説     教           イザヤ書242123節  ヨハネ黙示録2016

                   「神のミレニアム」 ヨハネ黙示録講解〔66

                   2026・01・25(説教26042155

 

(1)またわたしが見ていると、ひとりの御使が、底知れぬ所のかぎと大きな鎖とを手に持って、天から降りてきた。(2)彼は、悪魔でありサタンである龍、すなわち、かの年を経たへびを捕えて千年の間つなぎおき、(3)そして、底知れぬ所に投げ込み、入口を閉じてその上に封印し、千年の期間が終るまで、諸国民を惑わすことがないようにしておいた。その後、しばらくの間だけ解放されることになっていた。(4)また見ていると、かず多くの座があり、その上に人々がすわっていた。そして、彼らにさばきの権が与えられていた。また、イエスのあかしをし神の言を伝えたために首を切られた人々の霊がそこにおり、また、獣をもその像をも拝まず、その刻印を額や手に受けることをしなかった人々がいた。彼らは生きかえって、キリストと共に千年の間、支配した。(5)(それ以外の死人は、千年の期間が終るまで生きかえらなかった)これが第一の復活である。(6)この第一の復活にあずかる者は、さいわいな者であり、また聖なる者である。この人たちに対しては、第二の死はなんの力もない。彼らは神とキリストと共に千年の間、支配する」。

 

 今朝の説教題を「神のミレニアム」といたしました。ミレニアムと聞きますと、多くのかたは西暦2000年期に入らんとしていた26年前のことどもを思い起こされるかもしれません。あの時にも「ミレニアム」という言葉がしきりに用いられたものです。ミレニアムという言葉(ラテン語ですが)には第一義的に「千年」という意味があるからです。そこから、たとえば少し大きめの英和辞典などを紐解きますと「千年王国」などという訳語が出てきたりいたします。そして、この「千年王国」という言葉はそれこそ、いまお読みしたヨハネ黙示録201節以下の御言葉がその根拠になっているものです。では「千年王国」(ミレニアム)とは、いったいどういう意味の言葉なのでしょうか?。

 

 今朝の御言葉の1節と2節をご覧になりますと、一人の「御使」(すなわち神に仕える天使)が「底知れぬ所のかぎと大きな鎖とを手に持って、天から降りて」きて「悪魔でありサタンである龍」を千年の間、封印した(つまり無力化した)ということが記されています。悪魔が千年だけ(つまり1ミレニアムの期間だけ)悪魔の全ての力を封印して無力化したというのです。そして、それと共に、今朝の4節以下をご覧になりますと「イエスのあかしをし神の言を伝えたために首を切られた人々の霊」が「生きかえって、キリストと共に千年の間、支配した」というのです。この支配は自由と祝福の支配であり、それがために千年間、この歴史的現実世界には完全な平和が実現するという告知がなされているのです。そしてこの「神のミレニアム」である千年王国の自由と祝福の支配にあずかった人々は「第一の復活」を経験する人々であって、その人たちにとっては「第二の死」はなんの力も持たないと告げられているわけです。

 

 実は、ここまで読んでも、よく理解できないというかたが、ほとんどかもしれません。私はしかし、それでも良いのだと思っています。今朝の「神のミレニアム」(キリストの千年王国)は頭や理屈で理解して、それで何かが変わるというものではないからです。(たとえば「ものみの塔」と言われるカルト集団の人たちは「千年王国」を非常に強調します。私たちはこの人たちのように千年王国を理解しません)。そうではなくて、今朝の御言葉で大切な中心的な言葉は「支配」という言葉です。実は、私たちは「支配」と聞きますと、あまり良いイメージを持たないのではないでしょうか。力による支配、暴力による支配、権威による支配、いずれにしても、そこには何か暗い強制力のイメージが付きまとうからです。しかしこの「支配」とは「神のミレニアム」なのです。神が十字架と復活の主イエス・キリストによって、私たち全ての者たちに、そしてこの歴史的現実的世界の救いのために、なして下さった全ての救いの御業を示すのです。それが「支配」という言葉です。ですからこの「支配」と訳された元々のギリシヤ語は“バシレイア”です。このバシレイアの意味は「十字架と復活の主イエス・キリストは、あなたを罪と死の暗黒の支配から、ご自身の恵みの永遠の光の御支配へと捕え移して下さった」ということなのです。

 

 つまり、どこまでも十字架と復活の主イエス・キリストが中心にいますのです。そして千年の間、悪魔が封印されて無力化されるというのは、その千年が終った時に、再び悪魔が活動を始めて世界を支配する、ということではなくて、その「神のミレニアム」である千年は、キリストが御自身の御身体と御血潮をもって贖い取って下さった私たちの教会が、全ての人々に救いと祝福の確かさを告げる「天使的職務」を果たすべき期間として与えられているバシレイア(「十字架と復活の主イエス・キリストは、あなたを罪と死の暗黒の支配から、ご自身の恵みの永遠の光の御支配へと捕え移して下さった」、この福音を全ての人々に宣べ伝える教会の時=恵みの時)として与えられているのだ、ということです。それが最も大切なことなのです。

 

 ものみの塔というカルト団体の人々も「千年王国」を強調します。自分たちだけが救われる民(144千人)だと主張するのです。そして、かつてはナチスドイツのヒトラーも「ナチスが支配する千年王国」ということを言いました。そういうカルト的で偏狭な似非歴史論は今朝のヨハネ黙示録の御言葉からは微塵も出てこないことです。そうではなくて「神のミレニアム」とは、繰返して申しますが「十字架と復活の主イエス・キリストは、あなたを罪と死の暗黒の支配から、ご自身の恵みの永遠の光の御支配へと捕え移して下さった」この救いの確かさのみを全ての人々に物語るものなのです。言い換えるなら、キリストの福音のみが宣べ伝えられているのです。ですから「支配」という言葉もバシレイアであり、自由と祝福の支配なのです。人をがんじがらめにする支配なのではなく、十字架と復活の主イエス・キリストによる真の自由と祝福に基づく、永遠の恵みの支配です。それが「神のミレニアム」の本質なのです。

 

 そういたしますと、どういうことになるのでしょうか?。最後に大切なひとつのことを心に留めたいと思います。その「神のミレニアム」はいつ、どのように現れるのか?(いつ、どこに、どんな形で実現するのか?)。もしもそういうことに関心を持っているかたがここにおられましたら、どうかその思いを投げ捨てて家路について頂きたいと思うのです。それは「神のミレニアム」について、なによりも大切な御言葉として、私たちはペテロの第二の手紙38節を与えられているからです。「(8)愛する者たちよ、この一事を忘れてはならない。主にあっては、一日は千年のようであり、千年は一日のようである」。そして続く9節にはこのように記されています。「(9)ある人々がおそいと思っているように、主は約束の実行をおそくしておられるのではない。ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである」。

 

 「主にあっては、一日は千年のようであり、千年は一日のようである」これはとても大切な御言葉です。「神の国はいつ、どのような形で来るのか」と問うパリサイ人に対して、主イエスはこうお答えになりました「神の国は、見られるかたちで来るものではない。また、『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」。この御言葉の意味は「私があなたと共にいる、そこに神のミレニアムが実現しているのだ」ということです。言い換えるなら、私たちは自分に合うくぼみを見つけて、そこに蹲ることによって「ああ安心だ」と言うキリスト者になってはならないのです。そうではなくて、人生の苦しみや悩みのただ中でこそ、主の御手によって立ち上がらせて戴いて、主と共に、主の愛と祝福の内を勇気をもって歩んでゆく、そのようなキリスト者にならせて戴いているのではないでしょうか?。

 

なによりも、主はいまここで、今朝の御言葉を通して、私たち全ての者に、はっきりと語り告げていて下さるのです。「心を高く上げなさい、勇気を出して、私とともに、私の愛と祝福の内を歩む人になりなさい。なぜなら、私は絶対にあなたを見捨てることはないからだ。私は絶対に、あなたを孤独にはしないからだ。私は十字架と復活の恵みをもって、いつも、永遠までも、あなたと共にいるではないか。だからいま、神の国は(神のミレニアムは)あなたのただ中に来ているのだ」。そのように、十字架と復活の主イエス・キリストは、はっきりと力強く、私たち一人びとりに語り告げていて下さるのです。私たちは主が贖って下さった僕たちです。主が救いと永遠の生命を与えて下さった者たちです。私たちのこの教会は「救われた者たちの自由と祝福の共同体」です。そこに、神は、いま全ての人々を招いていて下さる。いまこそは「教会の時」(神のミレニアム)だからです。このことを明確に告げているのが、今朝のヨハネ黙示録201節以下の御言葉なのです。祈りましょう。