説     教           ミカ書52節  マタイ福音書2112

                  「最初のクリスマス」 降誕節主日礼拝

                  2021・12・19(説教2151193

 

 先ほど拝読した旧約聖書のミカ書52節に、このようにございました。「(2)しかしベツレヘム・エフラタよ、あなたはユダの氏族のうちで小さい者だが、イスラエルを治める者があなたのうちから、わたしのために出る。その出るのは昔から、いにしえの日からである」。これは今から約2800年前、アッスリヤの侵略によって滅亡状態にあったイスラエルにおいて、これはひとつの国家の終焉であるが、同時にイスラエルを通して与えられた「救いの契約の徴」なのだということを預言者ミカが宣べ伝えた御言葉です。

 

 このミカ書の御言葉が示すように、最初のクリスマスの出来事は、深い夜の闇の中に輝き現れた、全世界に対する大いなる救いの徴でした。それは人の目には、ベツレヘムという貧しい村里の片隅の馬小屋の中で、飼葉桶を揺り籠の代わりにして一人の赤ちゃんが誕生したという、とても小さな出来事にすぎませんでした。しかしその幼子イエスこそ、永遠なる神の唯一の御子としてこの歴史の中にお生まれになった救い主キリストであり、この世界と、歴史と、全ての人の真の救いが、この幼子によって実現した「救いの契約の徴」なのです。

 

 ベツレヘムの馬小屋で御降誕せられた幼子イエス・キリストにお目にかかり、礼拝を献げるために、遠い東の国から(たぶんペトラ遺跡で知られるナバテヤ王国から)3人の博士たちがやって来ました。もっとも、聖書には「3人の博士」という記述はありませんが、彼らが幼子イエスに献げるために携えてきた宝物が「黄金、乳香、没薬」であったことから、いつしか「3人の博士(マギ)=東方三博士まは東方三賢者」ということになり、しかも彼らの名はメルキオール(Melchior)、バルタザール(Balthasar)、カスパル(Casper)という名であるとされ、しかも、メルキオールは青年であり、王の象徴である黄金をキリストに献げ、バルタザールは壮年であり、預言者の象徴である乳香を献げ、カスパルは老人であり、祭司の象徴である没薬を献げた、ということになったのです。

 

 そのことから、すでに4世紀において、教父ヒエロニムスとアウグスティヌスは、クリスマスの出来事は、永遠なる神の独子が、全世界の救いのために真の王、真の祭司、真の預言者としてお生まれになったことだと語りました。さらにヒエロニムスによれば、最後の没薬は神の御子が死すべき人間として、肉体をもってお生まれになったことの徴であると解釈されたのです。もちろん、このような数々の解釈には教理的・神学的な裏付けがあることであり、私たちもそれをよく心に受け止めなればならないと思うのですけれども、今朝はさらに進んで、この「黄金、乳香、没薬」が、実は3つともに死への備えとして献げられたものだということを、ご一緒に深く心に留めて参りたいと思うのです。

 

 主イエスのお生まれになった2021年前のイスラエルにおいて、黄金、乳香、没薬は、王の葬儀の際に用いられる、いわば「葬式三点セット」の役割を果たしていたのです。黄金は、棺を飾るために用いられました。乳香は、死者の身体を清めるために用いられました。そして没薬は、死体を保存するために用いられたものでした。そのようなことを考えますと、実は東方の三博士たちは、幼子イエス・キリストに対して、とても厳粛な信仰告白をしていたという事実がわかるのではないでしょうか。

 

 それはなにかと申しますと、東方の三博士たちは、ベツレヘムの馬小屋にお生まれになった幼児イエスこそ、全世界の人々の罪を一身に担われて十字架への道を歩まれ、御自身の死によって罪と死に永遠に勝利して下さり、信ずる全ての者をその永遠の勝利の中に招き入れて下さる、救い主キリストであると告白しているわけです。これは、大変なことではないでしょうか。どこの世界、どの時代に、子供の誕生のお祝いに「葬式三点セット」をもらって喜ぶ親がいるでしょうか。それば、東方三博士たちの献げたこの信仰告白を、ヨセフとマリアも心を一つにして告白していたことになるのです。信仰告白に「同意する」という意味のギリシヤ語は“homologein”です。これは文字どおり「その言葉に自分の心を重ね合わせる」ことです。

 

 そして、今朝のこのマタイ伝21節から12節の御言葉を通して、主なる神はここに集うている私たち一人びとりにも、この“homologein”を求めておられるのではないでしょうか。すなわちそれは「ベツレヘムの馬小屋にお生まれになった幼児イエスこそ、全世界の人々の罪を一身に担われて十字架への道を歩まれ、御自身の死によって罪と死に永遠に勝利して下さり、信ずる全ての者をその永遠の勝利の中に招き入れて下さる、救い主キリストであると告白すること」です。まさに、その信仰告白において一つの群れとなったのが私たちの教会であり、その教会は罪と死に永遠に勝利して下さった十字架と復活の主イエス・キリストの御身体なのです。

 

 毎年クリスマスになると、サンタクロースというキャラクターのことが巷を飛び交いますね。このサンタクロースは、実は実在の人物です。西暦325年の第一回ニカイア公会議にも議員として出席していた人で、本名をニコラウスと言います。それはギリシヤ語で“Nicos Laos”つまり「勝利の民」という意味の名です。そのニコラウスが聖人になって聖ニコラウスとなり、それがオランダ語ではシンタクラウスとなり、さらに英語でサンタクロースになったわけです。そこで、その「勝利の民」という名ですが、それはただサンタクロースの独占私有名ではないのでして、ベツレヘムの馬小屋にお生まれになった御子イエスに「黄金、乳香、没薬」を献げた最初のクリスマスに連なる、いまここに集うている私たち一人びとりもまた「勝利の民」の一員に数えられているのです。

 

 いま私たちは心から「クリスマスおめでとう」と祝福の挨拶を交わしあいたい。それは言い換えるならこういうことです。「クリスマスおめでとう。ベツレヘムの馬小屋にお生まれになった幼児イエスこそ、全世界の人々の罪を一身に担われて十字架への道を歩まれ、御自身の死によって罪と死に永遠に勝利して下さり、信ずる全ての者をその永遠の勝利の中に招き入れて下さる、救い主キリストである」。まことに主は、全ての人の救いのため、そして全世界と歴史の救いのために、世界で最も暗く、貧しく、低いところに、お生まれ下さった救い主なのです。祈りましょう。