説     教         イザヤ書3534節   ルカ福音書1012

                  「収穫の主」 ルカ福音書講解〔85

                  2021・09・12(説教21371925)

 

 「(1)その後、主は別に七十二人を選び、行こうとしておられたすべての町や村へ、ふたりずつ先におつかわしになった。(2)そのとき、彼らに言われた、「収穫は多いが、働き人が少ない。だから、収穫の主に願って、その収穫のために働き人を送り出すようにしてもらいなさい」。これが今朝、私たち一人びとりに与えられている福音の御言葉です。そこで、まず1節を見ますと「主は別に七十二人を選び」とあります。主イエスの弟子と言えば十二弟子と相場が決まっているのですけれども、それとは別に「七十二人」を主が自らお選びになったことがわかるのです。

 

そこで、十二弟子たちのリストの中には名前が見当たらないけれども、たとえばこのルカによる福音書や使徒行伝の著者であるルカ(この人は医者であったと言われています)はこの「七十二人」の中に含まれていた人であったと考えられています。そのことは4世紀のヨハネ・クリュソストモスやエピファニウスと言った教父たちの証言によっても裏付けることができます。その意味では今朝の御言葉はルカ自身が親しく見聞きした出来事であったと言えるでしょう。ともあれ、主イエスはこの1節にありますように「主は別に七十二人を選び、行こうとしておられたすべての町や村へ、ふたりずつ先におつかわしになった」のでした。ここで大切なことは、主が七十二人を二人ひと組にして(つまり36組を)お遣わしになったのは「(主が)行こうとしておられたすべての町や村」であったという事実です。

 

 これは、いささが意外なことではないでしょうか?。すでに私たちは9章の53節などによって、エルサレムをめざして旅をされる主イエスを沿道の町や村の人々は歓迎せず、却って冷たくあしらったという事実を見て参りました。だからこそ主イエスは58節において「きつねには穴があり、空の鳥には巣がある。しかし、人の子にはまくらする所がない」とまで語られたのです。これはいわば、これから向かう町や村では伝道のわざは著しく困難であるということを示しているのではないでしょうか?。それなのに主イエスは今朝の2節においてこう語っておられるのです。「収穫は多いが、働き人が少ない。だから、収穫の主に願って、その収穫のために働き人を送り出すようにしてもらいなさい」。

 

これは、イメージとして描くならば、肥沃な畑にたわわに収穫物が実っている状態だと言えるでしょう。今はちょうど早場米の稲刈りの季節なのですが、どの田圃を見ても稲の穂は充実していて刈り入れを今か今かと待ち受けている、そのようなイメージが描ける御言葉なのです。だからこそ主は「収穫は多いが、働き人が少ない。だから、収穫の主に願って、その収穫のために働き人を送り出すようにしてもらいなさい」と語っておられるのではないでしょうか。しかし、現実の町や村を見るとどうであったかと申しますと、主イエスを歓迎するどころか、逆に、主イエスを石もて追うごとき冷たい反応しか示されなかったのです。ここに、今朝の御言葉の解釈が一筋縄にはいかないことの理由があります。

 

 私はかつて16歳から18歳までの3年間、農学校で学んだことがある者です。私の実家は農家ではありませんでしたから、農学校で学ぶ経験は私にとっては毎日が「今日のこの学びを逃したら次の機会はない」という意味で真剣勝負そのものでした。その頃の私は、農学校を卒業したら国立大学の理学部に進学して植物学者になりたいと望んでいました。そのような農学校での学びの日々において、私にとって忘れることができないのは、なんと言っても秋の収穫の喜びでした。早春の田起こし(田圃の耕作)に始まって畔作り、代掻き、稲の苗の準備、田植え、除草、水の管理、農薬散布、その他数限りない農作業を経て、ようやく9月になって、苦労して育てた稲がたわわに穂を実らせているその光景は、私にとって世界のどんな風景よりも美しいものに見えたものです。

 

 ところで、稲刈りに適した時期というものは10日ぐらいの幅しかないのです。つまり、収穫は早くても遅くてもいけないのです。もちろん天候にも左右されますけれども、晴れた日にできるだけ急いで稲刈りを終えなくてはなりません。その忙しさは想像以上のものでした。そして稲刈りを終えても休む暇もなく、次は脱穀、乾燥、籾摺り、袋詰め、倉庫への移動など、かなりの重労働が待ち受けています。しかし今も思い返してみて、そのような農作業の経験はとても楽しいものでした。そして、その楽しさの大部分は収穫の喜びに重なるものなのです。言い換えるなら、もしも収穫の喜びが無ければ、農作業は無意味な重労働でしかなくなるのです。

 

 その意味で、では、主イエスの七十二人の弟子たちが遣わされて行った畑の様子はどのようなものであったかと申しますと、それはたわわに穂を実らせた畑ではなかったわけです。むしろ行く先々の町や村において、人々は主イエスを歓迎しようとはせず、却って冷たくあしらったのです。言い換えるなら、そこでは伝道の収穫が見込めなかったわけです。それにもかかわらず、主イエスは今朝の2節において弟子たち全てに言われます。「収穫は多いが、働き人が少ない。だから、収穫の主に願って、その収穫のために働き人を送り出すようにしてもらいなさい」と。つまり、主イエスはこうおっしゃっておられるのです、私があなたがたを遣わす畑は大豊作であって「収穫は多いが、働き人が少ない」だから、収穫の主に「もっと多くの働き人をここに送って下さい」と願いなさい。収穫の時期は短いからです。

 

 ここで私たちはようやく気が付き始めるのです。主イエスがご覧になる畑の様子と、私たちが見ている畑の様子は、どうやら違うのではないか?。どちらのまなざしが正しいかと申しますと、もちろん神の永遠の御子であられる主イエスのまなざしのほうが正しいに決まっています。要するに私たちのまなざしは節穴だということになるのです。牧師として伝道のわざに従事することはすなわち主イエスの弟子になることです。それは牧師だけではありません。長老として働くことも、執事として働くことも、教会員のひとりとして礼拝に出席することも、すべてキリストの弟子になることです。しかしその大切なことを私たちはしばしば忘れてしまうのではないでしょうか。

 

 どういうことかと申しますと、私たちは信仰生活の中で、いつの間にか主客転倒の罪を犯すのではないか。つまり、いつの間にか私たちは、自分自身を主として、キリストを僕にしてしまっていることはないでしょうか?。主よ、あなたはここで私に稲刈りをしなさいと言われますが、ここにはどこを見ても、たわわに実った稲の穂なんかないではありませんかと、私たちは不平不満を言うのではないでしょうか。そして決めつけるのです、主よ、あなたは間違っている。私が正しいと。実は、間違っているのは常に私たちの側です。それなのに、私たちは自分を主としていて、なかなかその間違いに気がつかないのではないでしょうか。

 

 もう40年以上前のことですが、私は夏期伝道で九州は宮崎県の都城城南教会という小さな教会に遣わされたことがあります。当時の都城城南教会は牧師がいない教会でたから、私はそこに2か月間(つまり60日間)滞在して牧師代理を務めるという経験をしました。都城に行って私が最初にしたことは、全教会員と求道者を自転車で訪問することでした。Sさんという人の家を訪ねようとしたとき、旧い教会員からこう言われて止められました。「先生、Sさんを訪問するのはやめたほうが良いです。なぜなら、彼は大の教会嫌いで、誰が行っても追い返されてしまうのです」。しかし私は「そんなこと、行ってみなければわかりませんよ」と答えて、敢えてその家を訪問することにしたのです。

 

 結論から申しますと、Sさんはとても頑固な人でしたが、正直で誠実なかたでした。その時の私の訪問がきっかけになって、Sさんは礼拝に出席するようになりました。そして2か月後に、つまり私が都城を去る最後の主日礼拝の後でSさんは「先生、私は洗礼を受けたいです」と申し出られたのです。私はもう東京に戻らなくてはなりませんでしたから、後のことを教会の長老たちに任せました。そして後から長老から戴いた手紙によって私は、Sさんが洗礼を受けたこと、そして毎週欠かさずに主日礼拝に通っておられることを知らされました。それから5年ほど経ってSさんは都城城南教会の忠実な教会員として天に召されました。このような経験を、私は今までに何十回もしています。そのたびに私は、今朝の主の御言葉が真実であることを改めて思い知らされて参りました。「収穫は多いが、働き人が少ない。だから、収穫の主に願って、その収穫のために働き人を送り出すようにしてもらいなさい」。

 

 私たちにはいつも「収穫の主」が共におられるのです。このかたは私たちの底知れぬ罪を十字架において贖って下さった唯一の救い主なのです。この収穫の主がいつも私たち一人びとりに語っていて下さるのです。「収穫は多いが、働き人が少ない。だから、収穫の主に願って、その収穫のために働き人を送り出すようにしてもらいなさい」と。そしてこの収穫の主こそ、私たちの人生全体の唯一の救い主であられるのです。祈りましょう。