説     教           詩篇115911節   ルカ福音書95156

                 「エルサレムへの道中にて」 ルカ福音書講解〔82

                  2021・08・22(説教21341922)

 

 「(51)さて、イエスが天に上げられる日が近づいたので、エルサレムへ行こうと決意して、その方へ顔をむけられ、(52)自分に先立って使者たちをおつかわしになった。そして彼らがサマリヤ人の村へはいって行き、イエスのために準備をしようとしたところ、(53)村人は、エルサレムへむかって進んで行かれるというので、イエスを歓迎しようとはしなかった」。

 

ここに記されている場面は、非常に緊張感に満ち溢れたものです。まず51節に「イエスが天に上げられる日が近づいたので」とありますのは、主イエス・キリストがエルサレムのゴルゴタの丘において十字架におかかりになって死なれることをさしています。そして続いて「(51)(イエスは)エルサレムへ行こうと決意して、その方へ顔をむけられ、(52)自分に先立って使者たちをおつかわしになった」とありますのは、主が弟子たちの中の何人かをサマリヤの村にお遣わしになって宿の準備を整えさせようとなさったことを示しています。そして最後の53節を見ますと「(53)村人は、エルサレムへむかって進んで行かれるというので、イエスを歓迎しようとはしなかった」とありますが、それはガリラヤからエルサレムへの道中において、沿道の村々の住人たちは「イエスを歓迎しようとはしなかった」ということを示しています。

 

 特に、この最後の53節の御言葉が意味していることは何でしょうか?。主イエス・キリストが私たち全ての者の罪を一身に背負われて、エルサレムのゴルゴタの丘をめざして歩みたもうその道中において、沿道の町々村々の住民たちは主イエスに感謝と讃美を献げるのではなく、逆に「イエスを歓迎しようとはしなかった」のでした。これこそまさに現在の私たち全ての者の罪をあらわしているのではないでしょうか。主イエスを十字架へと追いやったものは私たちの罪でありますにもかかわらず、私たちは主イエスに感謝を献げるどころか、逆に、主イエスを歓迎せず、主イエスを石もて追うようなことをしたのです。主イエスに向かって罵声を浴びせ、早くこの村から出て行けと罵り、水一杯さえも与えることを拒んだのでした。

 

 先日、私は「伊勢参り」という新書版の本を読んでいまして、改めて「ああなるほど」と納得することがありました。この本を書いた人は江戸時代の伊勢参りのことを詳しく調べているのですが、もしも当時の伊勢参りの旅を現代において再現しようとすると思わぬ困難に出会うというのです。それはなにかと申しますと、現代の道路は歩行者のことをほとんど何も考えておらず、あたかもクルマ専用の道路のようになってしまっているということです。江戸時代には街道筋にたくさんの茶店があって、旅人はそこで思い思いに休むことができました。しかし現代の道路はクルマ専用道路のようになってしまっているため、疲れても休めるところがなく、しかも危険も多く、徒歩での旅行は江戸時代に較べて、とても過酷なものになってしまうというのです。

 

 主イエスの時代のイスラエルの旅は、もちろん徒歩での旅でした。ガリラヤからエルサレムまではサマリヤを通って近道をしても約250キロの道のりですから、一日に40キロ歩くとして、ガリラヤのカペナウムからエルサレムまではおよそ6日かかる計算になります。しかも途中に安息日があればその日は旅ができませんから、控えめに考えてもエルサレムへの旅は一週間以上かかってしまう計算になるのです。その一週間以上の旅の間、立ち寄り先の村々において主イエスは何のもてなしも受けることができなかったわけです。それどころか「早くこの村から出て行け」と罵られ、休む場所も泊るところも与えられなかったわけです。それは恐らく、現代の伊勢参りよりも遥かに過酷な旅路であったに違いありません。

 

 それではなぜ、主イエスがエルサレムに向かう道中において、街道筋の村々の人々は主イエスを「歓迎しなかった」のでしょうか?。それは今朝の53節にありますように、まさに主イエスがエルサレムをめざして歩んでおられたからでした。当時、エルサレムを中心とするユダヤと、ガリラヤ湖周辺の地域であるガリラヤ(特にサマリヤ)は非常に仲が悪かったのです。それは複雑な歴史といろいろな事情があったからなのですが、ひと言で申しますなら、ガリラヤの人々はエルサレムに対して自分たちの歴史の正統性を主張し、逆にエルサレムの人々はガリラヤに対して自分たちだけが正統なイスラエルであると主張していたわけです。

 

 およそ人間社会における最も難しい問題は、それは国際関係においてこそ例外ではないのですが、自分たちの歴史の正統性と正義をめぐるアイデンティティーの問題であると言って良いのです。正義の反対語は悪ではなく「別の正義」なのです。現実の世界はアメリカ映画の勧善懲悪のようには動かないのです。それは常に複雑に絡み合った紐のようなものなのです。そしてさらに申しますなら、人間は正義の名においてこそ罪を犯すものです。正義の名においてこそ人間は相手に対して残酷になれるからです。ガリラヤとエルサレムの関係は、そのような複雑に絡み合った紐のようなものであり、正義と他の正義との対立であったのです。

 

 今朝の御言葉の続きを見てみましょう。「(54)弟子のヤコブとヨハネとはそれを見て言った、「主よ、いかがでしょう。彼らを焼き払ってしまうように、天から火をよび求めましょうか」。(55)イエスは振りかえって、彼らをおしかりになった。(56)そして一同はほかの村へ行った」。万葉集に「君が行く道の長手を繰り畳ね焼き滅ぼさむ天の火もがも」という歌があります。その意味は「あなたの旅路が長くならないように、私はできるなら天からの火を呼び求めてそれを焼き滅ぼしてしまいたい」というものなのですが、主イエスの弟子たちは(特にヤコブとヨハネは)そのような良い意味ではなく、まさに「彼らを(この不親切な村を)焼き払ってしまうように、天から火をよび求めましょうか」と主イエスに言ったのです。

 

 主イエスはそれに対して、今朝の55節にありますように「振りかえって、彼らをおしかりになった」のでした。この「振り返って叱る」は聖書の中でここだけに出てくる言葉です。私は高校1年生の時に初めて聖書を読みまして、このルカ伝955節をとても印象深く感じたことを昨日のことのように覚えています。私はこう感じたのです「弟子たちを振り返って叱って下さる主イエスは、なんて素晴らしく、頼もしいかただろう」と。私たちもまた、主イエスに振り返って叱って頂かなければならない場面が人生において無数にあるのではないでしょうか。そしてこのことが55節に記されてるということは、言い換えるならこの時の弟子たちにとって、この時の主イエスのお言葉とお姿がいかに印象的なものであったかを示しているのではないでしょうか。

 

 この時の主イエスは、エルサレムへの道中にあったのです。ということは、主イエスは弟子たちの、そして私たち全ての者たちの測り知れない罪を一身に担われて十字架にお架かりになり、ご自分の全てを献げて罪の赦しと贖いと救いを成し遂げて下さるかた、つまりキリストとしてご自分をあらわしておられるのです。このキリストであるイエスを「あなたは神の子・救い主として信じるか?」と問われているのがこの時の弟子たちであり、今ここに集まっている私たちなのです。

 

 私たちはイエス・キリストという言葉が初代教会における最初の信仰告白の一つであったことを知っています。これは「ガリラヤのベツレヘムにお生まれになったイエスはキリスト(神の子・救い主)である」という意味の信仰告白の言葉です。ですから言い換えるなら、信仰告白としてではないイエス・キリストという言葉は本来はありえないのです。キリストの弟子たちは、まだ今朝の御言葉の段階では、この信仰告白をするに至っていません。それどころか、自分たちを歓迎しようとしないサマリヤの村に対して「彼らを(この不親切な村を)焼き払ってしまうように、天から火をよび求めましょうか」と主イエスに進言する始末でした。まさにその弟子たちを主イエスは振り返って叱りたまいます。そして毅然としてエルサレムに向かって歩みを進めたもうのです。

 

主イエスが弟子たちを振り返ってお叱りになったということは、このエルサレムへの道中においては、主イエスが弟子たちの先頭に立って歩まれたことを示しています。

いつもなら、弟子たちの後ろで弟子たちを見守りながら歩みたもう主イエスでしたのに、事がひとたび十字架への道行きになりますと、主イエスみずから弟子たちの先頭に立って歩みたもうのです。今日の御言葉と同じ場面を記しているマルコ伝1032節にはこのように記されています。「(32)さて、一同はエルサレムへ上る途上にあったが、イエスが先頭に立って行かれたので、彼らは驚き怪しみ、従う者たちは恐れた」。このとき「驚き怪しみ…畏れた」者たちは、つまり主イエスの弟子たちは、主イエスの十字架と復活の後に信仰告白へと導かれるのです。すなわちそれこそ「イエス・キリスト」という信仰告白です。それは魚の徴としても伝えられています。魚を意味するギリシャ語のそれぞれの最初の文字は「イエス・キリスト、神の子、救い主」という意味になるからです。私たち一人びとりが、今ここに、その信仰告白によって一つとされ、主の御身体なる聖なる公同の教会に連なる僕たちとされているのです。祈りましょう。