説     教    箴言1623節   ピリピ書11518

           「宣教の姿勢」 ピリピ書講解 (6)

 2019・02・17(説教19071790)

 

 パウロという人は、本当に大胆な人であります。それは、私たちの誰もが、常識ではとても喜ぶことができないところ、失望したり、愚痴を言ったり、批判し合ったりするところで、パウロは「喜ぶ」という言葉を繰返し用いているからです。それは特に今朝の118節に顕著に表れています。「すると、どうなのか。見えからであるにしても、真実からであるにしても、要するに、伝えられているのはキリストなのだから、わたしはそれを喜んでいるし、また喜ぶであろう」。私たちはある意味で、みな「喜び」を求めて教会にやって来たし、またやって来るのではないでしょうか?。教会へと導かれた動機は千差万別ですけれども、しかしみな一様に、人生における真の喜び、真の幸いを求めて、教会に来たという点においては一致しているのではないでしょうか?。

 

 私たちが所属しております全国連合長老会が毎月発行している「宣教」という機関紙があります。ずいぶん前に、大井町教会の宮崎和夫牧師が書かれた、次のような文章がありました。ある夏の日のこと、家庭集会からの帰り道、数名の教会員と共に歩いていたとき、すれ違った一人の初老の婦人から声をかけられたというのです。「皆さんはなぜ、そんなに幸せそうなのですか?」。咄嗟のことで驚きつつも「これもまた恵みのできごと、恵みの言葉のできごとであった」と、宮崎牧師は書いておられます。その婦人は美しい身なりをした婦人であったそうです。そのことを踏まえて宮崎牧師は「私たちには、身を飾ることによって与えられる以上の幸いが与えられていること、キリスト信者はそのようなものにされていることを、神はすれ違っただけの人をさえ用いてお教え下さいます。それはとても幸いなことではないでしょうか」と結んでおられます。私にも全く同じ経験があります。

 

 そこで改めて、ひとつのことを思わされるのです。もし教会に集う私たちに、そのような「喜び」がいつもあるなら、初めて教会に来た人は「来週もここに来よう」とおのずから思うのではないでしょうか?。その逆に、教会に集う私たちに「喜び」の欠片さえなく、不平不満ばかりの姿であったとしたら、それはもう伝道以前の問題なのです。宮崎牧師が出会った、その「美しい身なりをした初老の婦人」は、その後どのような歩みをされたのか、私は一つの想像を逞しくします。その婦人はきっと、その出来事がきっかけとなって、ある日、近くの教会を訪ね、礼拝に出席するようになったかもしれません。あたかも使徒行伝3章に記された、「美しの門」の傍らでペテロに「ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい」と告げられ、新しい喜びの人生を歩むことになったあの人に起こったのと同じ救いの出来事が、その婦人にも起こったのではないでしょうか。逆に問うなら、ふとすれ違っただけの人をも立ち止まらせ「どうしてそんなに幸せそうなのですか?」と問わしめた、その同じ喜びの姿を、ここに集う私たちが持ち合わせていないとすれば、私たちはそれだけで、どんなに数多くの伝道の機会を失っているか知れないのです。

 

 だからこそ、私たちは今朝、改めて自らに問わねばなりません。私たちはいつも、そのような「主にある喜び」に生き続けていると、躊躇いなく語れる信仰生活をしているでしょうか?。むしろ「あなたは教会に通っているのだから、喜びに溢れていて当然でしょう」と私たちの心に囁く声がするとき「いや、そうではない」とうなだれる私たちの姿があるのではないでしょうか?。ピリピ書は「喜びの手紙」と呼ばれます。事実この手紙の中には16箇所「喜ぶ」という動詞があります。名詞や形容詞まで含めたら30箇所以上になるでしょう。むしろそれを知って私たちは、どこかよそよそしい思いにならないでしょうか?。「パウロだからこそ、こんなに喜べたのだ、私は違う」と、自分とは無関係の事柄としてピリピ書を読んではいないでしょうか?。

 

 私たち人間の生活から「喜び」を奪う原因には様々なものがありますが、その中でも最も根深く、かつ執拗に喜びを奪う最大の力(最大勢力)は、私たちの罪が醸し出す「ねたみや闘争心」でありましょう。それはまさに今朝の15節が語る事柄です。「一方では、ねたみや闘争心からキリストを宣べ伝える者がおり、他方では善意からそうする者がいる」。ここに記されていることは「宣教の姿勢」に関わることです。ですから1617節にはこのように続きます。「後者は、わたしが福音を弁明するために立てられていることを知り、愛の心でキリストを伝え、前者は、わたしの入獄の苦しみに更に患難を加えようと思って、純真な心からではなく、党派心からそうしている」。この「ねたみや闘争心」と言うのは、パウロがピリピの教会を離れて後に入りこんできた“反パウロ主義者”たちの攪乱工作をさしています。この人々は「パウロは正統な使徒ではない」とピリピの人たちに吹聴し、教会に混乱と分裂の種を持ちこみ、要するに「自分たちに都合の良い教会」を作ろうと画策していた人たちでした。

 

 ところが続く18節に、パウロはまことに大胆な言葉を記すのです。本当に驚かされます。「すると、どうなのか。見えからであるにしても、真実からであるにしても、要するに、伝えられているのはキリストなのだから、わたしはそれを喜んでいるし、また喜ぶであろう」。「見栄」と「真実」との間には天と地の違いがあります。「見栄」は自分の栄光、自分の名誉名声を求めることであり、「真実」とはただ神の栄光、キリストの名誉名声を求めることです。しかしパウロは言うのです「いずれの動機からであるにしても」「要するに、伝えられているのはキリストなのだから、わたしはそれを喜んでいるし、また喜ぶであろう」。これは驚くべき言葉です。自分を誹謗中傷し苦しめる者たちのわざであっても、神はそれを伝道の御業として用いて下さると言うのです。なぜならば「要するに、伝えられているのはキリスト」だからです。だから「わたしはそれを喜んでいるし、また喜ぶであろう」と言うのです。

 

いわば、これがパウロの「宣教の基本姿勢」でした。自分はどんなに誹謗中傷されても良いのです。誹謗中傷する者たち、それこそ「党派心」から伝道する者たちのわざであったとしても、そこで宣べ伝えられているのが「キリストの御名」である限りにおいて、私はそれを「喜ぶ」とパウロは言うのです。しかしそこに厳しさがあることも私たちは忘れてはなりません。それを「喜ぶ」のは、あくまでも「キリスト」が宣べ伝えられている限りにおいてです。もし彼ら「党派心」に囚われた者たちが、キリストではなく自分自身を、あるいは他の何かを宣べ伝えるのなら、パウロは決して容認することはありませんでした。そうした問題もこの後からこの手紙に出て参ります。ともあれ、パウロにとって、否、私たちキリストの教会に連なる者たちにとっていちばん大切なことは、動機がどうであれ、人々に「キリスト」のみが宣べ伝えられることです。それが私たちの「伝道の姿勢」なのです。

 

 東京は池袋に立教大学を創設したウィリアムズというビショップがおりました。このウィリアムズ主教のモットー(座右の銘)は「道ヲ伝ヘテ己ヲ伝ヘス」でした。今でも立教大学の構内にこの言葉を刻んだ記念碑が遺されています。そもそも「伝道」という言葉そものが「道ヲ伝ヘテ己ヲ伝ヘス」なのです。自分を伝えるのはもはや「伝道」ではなく「自伝」(Autobioglaphy=自分の生活の足跡)にすぎません。さらに、この「道」という漢字は元々「語る」という意味を持ちます。それならば「伝道」とは「キリストのみを伝え語ること」です。英語ではミッション“Mission”です。これは「使命」という意味です。そして「使命」とは「命を使う」と書きます。そうしますと「伝道」とは「私たちが自分の生命を使ってただキリストのみを人々に伝え語ること」です。それがピリピの教会の「宣教の姿勢」であり、同時に私たち葉山教会の「宣教の姿勢」なのです。

 

 譬えて言うならば、こういうことです。大切なのは「キリストによる救い」という荷物だけなのです。それを運ぶ宅配便のトラックは、新しくてもボロくても問題ではないのです。「キリストによる救い」が人々に宣べ伝えられるならば、それを運ぶ手段は神が良きように用いて下さるのです。だからこそパウロは、たとえ党派心からキリストを宣べ伝える人々がいても、その人たちによってただ「キリストによる救い」のみが宣べ伝えられるのなら「わたしはそれを喜んでいるし、また喜ぶであろう」と言うのです。これと同じことをパウロは、第二コリント書47節にこのように語っています。「しかしわたしたちは、この宝を土の器の中に持っている。その測り知れない力は神のものであって、わたしたちから出たものでないことが、あらわれるためである」。

 

 私たちの「喜び」の根拠は、実にここにあるのです。私たちの変わらぬ「喜び」は、自分自身の心の状態にあるのではなく、キリストがなして下さった救いの御業にあるのです。ただそれのみを、ただキリストのみを「喜び、喜ぶ」私たちとならせて戴いていることを、それこそ「喜び、喜ぼう」ではありませんか。祈りましょう。