説    教   ダニエル書2章22〜23節   第一コリント書8章1〜6節

「知識と愛」

2016・02・12(説教17071683)  使徒パウロは西暦65年にローマで殉教の死をとげるまで、伝道者として幾度も伝道旅行を行い、今日 のシリア、トルコ、ギリシヤ、イタリヤなどを巡り、数多くの町に伝道をしましたが、とりわけギリシヤ 南部の港町コリントにおける伝道は、その困難において特筆すべきものがありました。コリントはパウロ の時代、すでに60万人もの人口を擁する大都会でした。しかしそのうち約40万人、つまり全人口の三分 の二が奴隷階級の人々でした。人類の歴史を顧みても、こうした歪な奴隷制国家が永続した例はありませ ん。コリントという街はいわばローマ帝国の構造的末期症状を具現していた“病める大都会”でした。  事実、当時のコリントには至るところに道徳的退廃が横行していました。人々は労働を「奴隷の仕事」 として卑しみ、学問も表面的なものとなり、真理を求める心は浅はかな知識欲に変質し、退廃的で享楽的 な雰囲気がコリントの街中を支配していたのです。当時のギリシヤ語に「コリント人のように振舞う」と いう表現がありましたが、それは「慎みのない淫らな行為」を意味していたほどです。ギボンという歴史 家は「ローマ帝国衰亡史」の中で「ローマ帝国は国家を生み出したが、文明を生み出さなかった」と語っ ています。それはコリントにおいてとりわけ顕著なことでした。物質的のみか重んじられ、精神が蔑ろに されていたのです。  それは今日の日本の状況とも通じているのではないでしょうか。コリントの伝道の問題は、今日のわが 国における伝道の課題を深く考えさせられるものです。私は先日あるショッピングセンターの大きな書店 を見ていて驚いたのですが、本当に人々が本を読まなくなっているのだと実感しました。並んでいるのは 全部いわゆるハウツー本というやつです。実用書やビジネス書や趣味の雑誌ばかりです。もちろん聖書を 置いてあるコーナーなどありません。ちょっと気持ちが落ち込みました。古代のコリントに似てきている と感じました。それでいてコリントの街の至るところに異教の神々の神殿や祠が乱立していたのと同じよ うに、現代の日本でも様々な怪しい宗教が乱立しています。この一点だけを観ても、コリント伝道がどん なに困難であったかがわかるのです。  しかしこの困難の中に、パウロは一歩もひるむことなく、ただ主イエス・キリストの福音による真の救 いのみを宣べ伝えました。アテネ伝道において用いた「すぐれた言葉や知恵」を捨てて、パウロはコリン トにおいては「イエス・キリスト、しかも十字架につけられたキリスト」のみを宣べ伝え続けたのです。 その結果、数々の困難の末に、コリントには教会が形成されました。アテネではついに教会形成は実現し ませんでしたが、コリントでは小さいながらも教会が形成されたのです。伝道とはひとことで言うなら、 そこにキリストの御身体なる真の教会が建てられてゆくことです。その意味でコリント伝道は大きな成果 をおさめたのです。規模は小さいながらも真の教会が形成されていったからです。ところが、パウロがコ リントを離れ去った後で、その教会に幾つかの思わぬ問題が起こりました。その一つが今朝の御言葉・コ リント書8章1節以下に現れている「偶像への供え物の問題」でした。これはいったいどのような問題だ ったのでしょうか?。  実はコリントという街は、ギリシヤの都会には珍しく、豊富な地下水に恵まれた街でした。町の至ると ころに冷たい水の湧く井戸がありました。それで、今日のような冷蔵庫がなかった時代、人々は食料を、 特に肉類を保存するために、肉を籠に入れて井戸の途中に吊るすという方法をとりました。これは今日で もイタリヤやスペインの田舎で普通に見られる方法で、夏でも4〜5日は肉を保存することができるそう です。すると、どういうことが起こるかと言いますと、異教の神殿で偶像の神々に献げられた生肉が井戸 で保存されて、数日後に市場で売りに出されるということがあった。というより、そういうことが起こっ たわけです。  当時のコリントの人々の感覚では、偶像の神々にいったん献げられて、払い下げられた肉を食べること は、偶像の神々と交わることだと考えられていました。いわゆる「ご利益にあずかる」という感覚です。 わが国でも神社の祭礼などで神饌(神への供物)を氏子たちが分け合って食べますが、それは氏神との交わ りを意味するわけです。同じような感覚でコリントの市場でも「これはゼウスの神殿に献げた肉やさかい にご利益ありまっせ」というような売られかたをしていたわけです。そこで問題は、市場で売られている そのような肉を、コリントの教会員が知らずに買ってしまうことがあった。知らずに食べてしまうという ことが起こったわけです。それが「偶像への供え物」の問題を引き起こしたのでした。  この問題を巡って、コリントの教会の中に2つの対立する立場、いがみ合う2つのグループが現れまし た。「弱者グループ」と「強者グループ」です。まず「弱者グループ」の人たちはこういう主張をしました。 そのような偶像に供えられた肉は、たとえ知らずに食べたとしても偶像との交わりをしたことになる。だ から今後はいっさい市場で肉を買うのはやめるべきだ。この「弱者グループ」の人たちのほうが少数派で あったようです。これに対して多数派の「強者グループ」の人たちはこういう主張をしました。たとえ偶 像に供えられたものであろうが何であろうが、肉は単なる肉に過ぎない。だから市場で肉を買って食べて もかまわない。そんなことを問題視すること自体がそもそもナンセンスである。  そこで、この2つのグループの対立をよりいっそう複雑にしたのは「強者グループ」の人たちが、自分 たちは「知識がある」(=強者である)と称して「弱者グループ」の人たちを「知識のない弱者の戯言だ」 と審きはじめたことでした。彼らは自分たちこそ「知識ある強い者」であると主張し、市場の肉を食べる べきではないと主張する人々を「知識のない弱い者」として蔑んだのでした。やがてこの2つの対立する グループの確執はコリント教会全体の内部分裂へと発展してゆきました。もう一緒に礼拝を献げることは できないと、お互いにそのように言い出して、自らの正しさだけを主張し、互いに相手を審き合い、誹謗 中傷合戦を繰り広げていたわけであります。  もとをただすなら、まことに些末な小さな問題にすぎません。しかし、えてして人間どうしの分裂や対 立は、そのような些細なことが切欠になって起こるのではないでしょうか。教会でさえも例外ではないの です。それはコリントの教会の未熟さゆえの問題でしたが、そこには何よりも人間の「罪」の問題が現れ ていることをパウロは見抜いていました。人間の知識のあるなし、あるいは強さや弱さそのものは、決し て「罪」ではありません。人間は多様性を持つ存在ですし、立場も違えば考えかたも違います。個性もあ ります。だからこそ互いに受け入れ認め合う「寛容さ」が求められています。その寛容さを失い、互いに その強さや弱さを正当化して相手を審くとき、そこには果てしない対立と分裂が生ずるのみです。パウロ はそこにコリントの教会の人々の「罪」を見ました。強くても弱くても、互いに主の御前にあるがままに、 ただキリストにのみ栄光を献げつつ、礼拝者として生きることができるはずです。それができずに教会分 裂の危機に陥ったのは、十字架の主イエス・キリストの恵みが見失われていたからです。言い換えるなら、 コリントの人々の「罪」とは、彼らが神の言葉ではなく、自分たちの「正しさ」の上に主の教会を建てよ うとしたことでした。  この問題をパウロは心から憂い、そしてコリントの人々に、改めて信仰生活の原点に立ち帰るように祈 りつつ勧めているのが今朝の御言葉です。すなわち1節にパウロはこう申しています。あなたがたに「知 識がある」ことは私にもわかっている。「しかし、知識は人を誇らせ、愛は人の徳を高める」。「もし人が、 自分は何か知っていると思うなら、その人は、知らなければならないほどの事すら、まだ知ってはいない。 しかし、人が神を愛するなら、その人は神に知られているのである」。これこそパウロがコリントの人々に、 また今日の私たちに宣べ伝えている福音の内容であります。  わが国のキリスト者の詩人八木重吉に「魂」という短い詩があります。「不思議なものは魂である。まっ たき魂は腐れている。砕かれているときのみ、魂は完全である」。コリントの人々は、否、私たちこそ、こ の「砕かれている魂」の幸いを知らずに生きていることはないでしょうか。大切なことは「(私たちが)神 を愛するなら、その人は神に知られている」という事実のみなのです。主が私たちに与えておられる幸い は、神の生ける御言葉の上に真の教会を建ててゆくことです。私たちの「正しさ」の上にではありません。 もし自分がどんなに「正しい」と主張しようとも、その「正しさ」の上に主の教会を建てようとすること は、砂の上に家を建てるのと同じ虚しいわざなのです。  パウロがコリントの人々に告げている「神に知られている」幸いとは、死に至る罪の支配から十字架の 主イエス・キリストによって贖い取られているという意味です。この十字架の主の恵みを知る者は、もは や自分を「知識のある強い者」とは呼べなくなるのです。自分はキリストに贖われた僕である。それだけ ではない、キリストの教会に仕え、そのことによってキリストの恵みのみを証し、神の栄光を現わしてゆ く僕たちである。この喜びと幸いが私たちの共通項=共有する喜びと幸いになるとき、そこにはじめて真 の「キリストの御身体」なる教会が形成されてゆくのです。詩篇51篇の詩人ダビデも「神よ、汝の喜び たもう犠牲は悔い砕けたる魂なり」と歌いました。キリストの恵みを見失い、教会に仕える喜びを見失っ て、信仰生活が観念に陥るとき、私たちは「神に知られていること」の喜びと幸いから離れ、いたずらに 知識のみを誇る者に変質してしまうのです。  パウロがここに「誇らせる」と語っている言葉を、ある英語の聖書は「インフレイツ」と訳しました。 中身が無いまま膨張してゆくという意味です。私たちの信仰また教会生活は、そのような虚しいものにな ってはいけません。インフレイションは私たちの存在を支ええないのです。知識自体が悪なのではありま せん。知識が信仰(イエス・キリスト)という土台を持たないとき、その知識は人を育てず(徳を立てず) むしろ他者を審かせるものになり、その人をも倒してしまうのです。ですから今朝の7節にパウロはこう 語っています。たとえ偶像に供えられた肉を食べたとしても、食べなかったとしても、それが私たちを少 しも損なわないことは明らかである。「食物は、わたしたちを神に導くものではない」(8節)からだとパ ウロは明確に語ります。しかし、まだそのような理解に達していない、いわゆる「弱い兄弟たち」がコリ ントの教会にいることも事実です。そこで今朝の10節以下にパウロは「強者グループ」の人々に訴えま す。あなたがたのその「強さ」をなぜ兄弟姉妹に対する「愛」となすことができないのか?。どんなに自 分を「強い」と主張しても愛が無ければいっさいは虚しいではないか。そして11節にこう語ります「す るとその弱い人は、あなたの知識によって滅びることになる。この弱い兄弟のためにも、キリストは死な れたのである。このようにあなたがたが、兄弟たちに対して罪を犯し、その弱い良心を痛めるのは、キリ ストに対して罪をおかすことなのである」。  あなたがたは「キリストになり代わって兄弟たちを審くのか?」とパウロは問うのです。むしろその「弱 い」兄弟たちのためにも、主が死んで下さった恵みを覚えなさい。そして共に主の御身体なる教会に喜び と感謝をもって連なり、主に仕える僕になろうではないかと勧めているのです。自分を基準にした生きか たではなく、キリストを中心(主)として生きる生活にこそ、真の自由と幸いと喜びがあるからです。そ してパウロは、自分ならどうするかを13節に具体的に語っています。「だから、もし食物がわたしの兄弟 をつまずかせるなら、兄弟をつまずかせないために、わたしは永久に、断じて肉を食べることはしない」。  終戦後まもなくスイスから来日し、東京神学大学で組織神学を教えたエーミル・ブルンナーという神学 者がいました。カール・バルトと共に20世紀を代表する神学者(教義学者)と見なされる人です。雪ケ谷教 会の森田武夫牧師はブルンナー先生のもとで学んだ一人です。このブルンナー牧師が来日したての頃、あ る会合でパイプをくゆらせていた。ヨーロッパでは牧師の喫煙は珍しいことではなく、バルトの写真も多 くはパイプをくわえています。しかしその席に一人の日本人の婦人がおられて、ブルンナー先生にこう申 し上げた。「先生、日本では牧師先生は煙草を吸わないものですよ」。ブルンナー先生は「あーそう」(Ah,So!) と言ってすぐパイプをしまわれた。それ以降2年半後に日本を離れるまで、ブルンナー先生は決してパイ プを手にしなかったというのです。普段「テオローゲ・ムス・ラウヒェン」(Theologe muss lauchen=神 学者はすべからく喫煙すべし)と言っていたブルンナー牧師のヘビースモーカーぶりを知るバルトがその エピソードを聞いて、ああそれはいかにもブルンナー先生らしい美しい振舞いである。彼は「キリストに ある真の自由」を知っているからねと言ったそうです。  今朝の御言葉の「徳を立てる」とはギリシヤ語で「主の教会を建てる」という意味です。一人でも多く の人が主の教会に連なり、真の救いにあずかるために、喜んで主の僕として生き、主にお仕えしてゆく幸 い、そのような本当のキリスト者の自由に、知識ではなく愛に、私たちもまた生きる者たちとされている のではないでしょうか。それは何物にも支配されることのない主にある真の自由に根ざした、御言葉に生 きる者たちの「愛」に基づく新しい生活です。同じ第一コリント書13章13節をお読みしましょう。「こ のように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるも のは、愛である」。人知をはるかに超えたキリストの愛を知り、その愛に生かされること、ここに私たちの 新しい生活のいっさいの原点があるのです。祈りましょう。