説 教 イザヤ書9章1−7節 ヨハネ福音書1章9節
「全ての人を照らす真の光」 クリスマス
2025・12・21(説教25512150)
「もろもろの人をてらす眞の光ありて、世にきたれり」。「すべての人を照すまことの光があって、世にきた」。これが今日、このクリスマス礼拝において私たち一人びとりに与えられた福音(神の言葉)です。ここに「すべての人を照すまことの光」とありますが、この「まことの光」とはいったい、どのような光のことをさしているのでしょうか?。
たぶん私たちがすぐに思うのは、太陽の光のことです。私たちが住んでいるこの地球という星を、太陽の光がいつも照らしています。しかし考えてみて下さい、それは決して「すべての人を照すまことの光」とは言えないのではないでしょうか。まず第一に、太陽の光は地球の約半分を照らしますけれども、残りの半分は夜です。第二に、太陽の光は生きている人たちを照らしますけれども、亡くなった方々を照らすことはありません。第三に、太陽の光といえども決して永遠のもの(不変の光)ではありません。ですからそれは「まことの光」と呼ぶことはできないのです。
クリスマスとは、どのような日でしょうか?。クリスマス礼拝が12月の第三主日に定められたのは西暦325年、ニカイア公会議においてでした。しかし実際には主イエス・キリストは、3月の初旬にベツレヘムでお生まれになったことが聖書の御言葉からわかります。実は、私は3月初旬にベツレヘムを訪ねたことがあります。35年前のことでした。なんと雪が降っていました。私はイスラエルという国に漠然と「温かい砂漠の国」というイメージを抱いていたものですから、実際に訪れたベツレヘムの余りの寒さと雪景色にとても驚きました。そして思いました。主イエス・キリストがお生まれになったベツレヘムの馬小屋は(現在、その場所は聖誕教会になっているわけですが)どんなに寒かったことだろうかと。
私たちの主イエス・キリストは、永遠の神の御子(独子)として御降誕せられたかたです。猫の子は子猫、犬の子は子犬、鳥の子はヒナ、人間の子は人間です。それなら神の御子は神と等しいおかたなのです。まさにその、神と等しいおかたが(ニカイア信条の言葉で言うなら「神と本質を同じくしたもう」おかたが)私たちが住むこの世界の、最も寒く、暗く、貧しく、低い場所に、ベツレヘムの馬小屋に、お生まれになられた。それがクリスマス(降誕節)の出来事です。永遠なる神が、世界と宇宙の創造主なるかたが、私たちの住むこの世界の、最も寒く、暗く、貧しく、低い場所に、お生まれになられたのです。
セーレン・キェルケゴールという哲学者が、ある本の中でこういうことを語っています。「もしも神の独子なる御子イエスが、煌びやかな王宮の中で、黄金のゆりかごを褥としてお生まれになったとしても“神が人となられた”という一事において、それは限りない恥辱であったに違いない。しかもなお、御子イエスは、この世界の、最も寒く、暗く、貧しく、低い場所に、そうだ、あのベツレヘムの馬小屋に、飼葉桶をゆりかごとなさって、お生まれになったのだ」。
それは、なんのためでしょうか?。御子イエスは、どうして、ベツレヘムの馬小屋という「どん底の場所」でお生まれになられたのでしょうか?。それは「すべての人を照すまことの光」として世に来られた(お生まれになった)おかただからです。あの太陽の光でさえ限定的にしか私たちを照らしません。あまつさえ、亡くなった人たちを照らすことはありません。しかし永遠なる神のまことの御子イエス・キリストは(御子イエス・キリストのみが)「すべての人を照すまことの光」として、私たちのただ中に来て下さったのです。「もろもろの人をてらす眞の光ありて、世にきたれり」。
なによりも、このかたは、「どん底の場所」でお生まれ下さった御子イエス・キリストは、私たち全ての者の救いのために、そしてこの現実世界と歴史全体の救いのために、あのゴルゴタの十字架への道を、想像を絶するご苦難の道を、ただ一人で歩いて下さいました。あののゴルゴタの丘において、私たち全ての者の罪を一身に背負われて、御自身の全てを献げ尽くして、贖いとなって下さったのです。だからルターは主イエスが担われた十字架における死のことを「死の死」と呼んでいます。そしてルターはガラテヤ書講解の中でこのように語っています。「十字架において、我らの主イエス・キリストは、滅ぶべき我らの呪いの死を、身代わりになって死んで下さった。このかたは永遠の神の唯一の独子であられるゆえに、このかたの十字架の死による贖いの恵みは、全ての人を照らす真の光なのである」。
クリスマス、おめでとうございます。メリー・クリスマスと申します。この「メリー」とはメリーネス(限りない喜び)という古代ケルト語から来た言葉です。私たち全ての者を、生命ある限りのみならず、死を超えてまでも、照らして、救いと生命を与えて下さる「まことの光」が、いま、あなたのもとに来ている、あなたを照らしている、だからこそ私たちは、このクリスマスの喜びの福音を「メリー・クリスマス」(クリスマスの出来事こそ、全ての人を照らすまことの光であり、限りない喜びです)と、挨拶を交わすのです。クリスマスおめでとうございます。まことに主は、あのたのために、この世界で最も寒く、暗く、貧しく、低いところに、お生まれ下さいました。祈りましょう。