説     教         イザヤ書21910節  ヨハネ黙示録1715183

                    「バビロンは倒れたり」 ヨハネ黙示録講解〔59

                    2025・11・23(説教25472146

 

今朝はまず、先週私たちに与えられました御言葉の最後の節、すなわちヨハネ黙示録第17章の14節をお読みして、それから18章の1節から3節をお読みしたいと思います。「(17:14)彼らは小羊に戦いをいどんでくるが、小羊は、主の主、王の王であるから、彼らにうち勝つ。また、小羊と共にいる召された、選ばれた、忠実な者たちも、勝利を得る」。「(18:1)この後、わたしは、もうひとりの御使が、大いなる権威を持って、天から降りて来るのを見た。地は彼の栄光によって明るくされた。(2)彼は力強い声で叫んで言った、『倒れた、大いなるバビロンは倒れた。そして、それは悪魔の住む所、あらゆる汚れた霊の巣窟、また、あらゆる汚れた憎むべき鳥の巣窟となった。(3)すべての国民は、彼女の姦淫に対する激しい怒りのぶどう酒を飲み、地の王たちは彼女と姦淫を行い、地上の商人たちは、彼女の極度のぜいたくによって富を得たからである』」。

 

 毎年、待降節(アドヴェント)になりますと、ヘンデルのオラトリオ「メサイア」がいろいろな場所で上演されます。皆さんもご存じかと思いますが、あのオラトリオはキリストの御降誕を聖書の御言葉によって想起する、いわばクリスマスの讃美歌集でありまして、その中に有名なハレルヤコーラスというものがございます(ちなみにハレルヤとはヘブライ語で「主を讃めたたえよ」という意味です)。1743年にロンドンで、ヘンデル自身の指揮によってメサイアが初演されましたとき、このハレルヤコーラスを聴いた当時のイングランド国王ジョージ2世が感動のあまり立ち上がった。国王が立ち上がったものですから、周囲にいた人たちも慌てて立ち上がった。この故事以来、ハレルヤコーラスの時には聴衆はみな立ち上がることが慣習となって今日に至っているわけであります。

 

 そこで、このハレルヤコーラスの歌詞は、実は今朝のヨハネ黙示録1714節から来ております。「王の王、主の主」(Kong of Kings, Lord of Lords)という言葉です。もちろんこれは、御降誕の主イエス・キリストのことです。この世の中に「王」と呼ばれる人たちはたくさんいるに違いない。「主=Lord」と呼ばれる人々はさらに多いだろう。しかし私たちと歴史を救いたもう唯一の真の「王」にして「主」なるおかたはただお一人である。そのおかたこそ、ベツレヘムの馬小屋に人としてお生まれになり、全人類の罪を一身に担いたもうてゴルゴタの十字架におかかりになった、我らの主イエス・キリストである。いわば聖書が宣べ伝える福音の核心とも言うべきこの音信(おとずれ)を、ヘンデルのメサイアのハレルヤコーラスが高らかに歌い上げているわけであります。

 

 「(17:14)彼らは小羊に戦いをいどんでくるが、小羊は、主の主、王の王であるから、彼らにうち勝つ。また、小羊と共にいる召された、選ばれた、忠実な者たちも、勝利を得る」。永遠の神の御子であられる「神の小羊」なる主イエス・キリストのみが、私たちを罪から贖い、完全にして永遠の救いを与えて下さる唯一の「主の主」であり「王の王」なのです。キリストの使徒ヨハネ(つまりこのヨハネ黙示録を書いた人ですが)がこの福音を書き記したのは西暦69年のことです。当時のローマ帝国は皇帝ネロの統治下でありましたが、このネロという人物はキリスト教徒に対する組織的な大迫害を始めた皇帝として知られています。非常に残忍かつ猜疑心の強い人物だったようでして、たとえば自分の地位を危うくすると思いこんで、実の母であったアグリッピナを暗殺しているほどなのです。また、これも先週もお話したことですが、キリスト教徒に対する迫害の口実を作るために、部下に命じてローマの下町を放火させています。この大火によって数万人の人が亡くなったと伝えられていますが、ネロはそういうことを平然と行う人間でした。また、自作の歌を披露することが好きで、あるとき数千人の聴衆をコロッセウムに集めて「皇帝ネロのソロコンサート?」を行ったという記録が残っています。音痴で聴くに堪えなかったそうですが、拍手しないと殺されかねないので人々は嫌々ながら拍手喝采したという記録が残っています。(どらえもんのジャイアンかよ!?)

 

 そこで、どうぞ今朝の18章の1節以下をご覧ください。「(18:1)この後、わたしは、もうひとりの御使が、大いなる権威を持って、天から降りて来るのを見た。地は彼の栄光によって明るくされた。(2)彼は力強い声で叫んで言った、『倒れた、大いなるバビロンは倒れた。そして、それは悪魔の住む所、あらゆる汚れた霊の巣窟、また、あらゆる汚れた憎むべき鳥の巣窟となった。(3)すべての国民は、彼女の姦淫に対する激しい怒りのぶどう酒を飲み、地の王たちは彼女と姦淫を行い、地上の商人たちは、彼女の極度のぜいたくによって富を得たからである』」。ここに記されていることは「もうひとりの御使」すなわち主イエス・キリストの御身体なる聖なる公同の使徒的なる教会が「大いなる権威を持って、天から降りて」きて「地は(その大いなる権威の栄光によって)明るくされた」という福音の告知であります。十字架と復活の主イエス・キリストの福音のみが、この世界とそこに住む「全ての人を照らすまことの光」なのです。

 

 私は先日、先週の木曜日のことですが、そしてこれは毎年この時期の恒例行事になっているのですが、銀座の教文館というところに参りまして、クリスマス関係のいろいろ必要なものを買って参りました。教文館ビル(ヴォーリスが100年前に設計して建てられたビル)の4階に「エインカレム」というキリスト教用品の売り場がありまして、そこと3階の洋書売場に行ったのですが(洋書のほうは収穫ゼロでしたが)たまたま目についたもののひとつにラテン語で「光は闇の中に輝いている=まことの光が暗闇を駆逐する」(Lux Lucent in Tenebris)と書かれた置物がありました。これはフランスのリヨンに始まり、数知れぬ迫害の中を信仰の灯を掲げて生き続け、イタリアのドロミテ山脈の中の村里に安住の地を見出したヴァルド派の教会の標語です。(私が神学校以来愛読している「旧約神学」の中にArberto Sogginが書いた“Theologie des A.T”がありますが、このソジン教授はヴァルド派の牧師でした)。

 

 カルヴァンの友人であり、優れた神学者であったテオドール・ベーズは、ヴァルド派の人々についてこのように語っています。「ヴァルド派は、彼らが古くから隠遁した谷の住処やアルプスの隘路のために、このように呼ばれた。そして、反キリスト(ローマ・カトリック教会)の偶像崇拝や圧政の支配下に彼らを置いた恐ろしい迫害が引き起こされたにもかかわらず、西欧を支配したローマ教皇による信仰の実践のうちに、何百年という期間を通して世界を揺り動かした数多くの災難においても、恵み豊かな神の摂理によって、これらの人々がかくも立派に変節しなかったことは明白なため、彼らは純粋な原始キリスト教会の生き残りと言えるのである」(Les Vaudois ont esté ainsi appellez, à cause de leur demeurance es vallees & destroit des Alpes, où ils se sont retirez des long temps & peut-on dire que ce sont les restes de la pure primitiue Eglise Chrestiẽne, veu qu’il appert que par vnetresadmirable prouidence de Dieu ces gens se sont si bien maintenus parmi tãt de tempestes, qui par l’espace de plusieurs cẽtaines d’ãnees ont esbrãslé le monde au milieu des pratiques de l’Euesque de Rome qui a miserablement assuietti l’Occident, & nonobstant les horribles persecutions esmeuës cõtre eux, qu’il n’a este possible de les ranger sous le ioug de l’idolatrie & tyrannie de l’Antechrist.

 

 「光は闇の中に輝いている=まことの光が暗闇を駆逐する」(Lux Lucent in Tenebris)これは実は、私たち改革長老教会の標語でもあるのです。宗教改革者の一人でルター度同年代の人にエコランパディウス(Oecolampadius)という神学者がいますが、このエコランパディウスの標語(モットー)もまた“Lux Lucent in Tenebris”でした。皇帝ネロによる暴力的(悪魔的)支配は人間の罪の猛威を示すものでした。今日に至るも、人間の罪に基づく「滅びの力=闇の支配」は世界の至る所に猛威を振るっています。しかし、たとえその闇の支配がどんなに強く見えようとも、十字架と復活の主イエス・キリストという「まことの光」のみがその「滅びの力」に打ち勝ち、私たち全ての者を救い、歴史全体を救いへと導く唯一のLux Lucent in Tenebris”なのです。

 

 今朝の御言葉の終わり、182節の最初には「倒れた、大いなるバビロンは倒れた」という宣言が出て参ります。この恵みの宣言は、同時に、あのゴルゴタの呪いの十字架におかかり下さった私たちの唯一の「主の主」にして「王の王」であられる十字架と復活の主イエス・キリストの御業へと、私たちの心を誘うものです。ただ十字架と復活の主イエス・キリストのみが、私たち全ての者の救いのために、そして全世界と歴史全体の救いのために「大いなるバビロン」すなわちサタンの支配を、罪の支配を、撃ち滅ぼして下さったのです。この主イエス・キリストのみが「闇を駆逐する唯一のまことの光」なのです。来週からは私たちは2025年の待降節(アドヴェント)を共に迎えます。十字架と復活の主イエス・キリストを、そして「全ての人を照らすまことの光」としてベツレヘムの馬小屋に人としてお生まれ下さった「神の小羊」なる御子イエス・キリストを喜びお迎えする心の道備えをなして参りたく存じます。ただこのかたのみが「大いなるバビロン」を打ち倒し、私たちに救いと生命を与えて下さった「主の主」「王の王」にいましたもうのです。祈りましょう。