説     教             エレミヤ書51610節  ヨハネ黙示録1716a

                    「罪の贖い主」 ヨハネ黙示録講解〔57

                    2025・11・09(説教25452144

 

(1)それから、七つの鉢を持つ七人の御使のひとりがきて、わたしに語って言った、『さあ、きなさい。多くの水の上にすわっている大淫婦に対するさばきを、見せよう。(2)地の王たちはこの女と姦淫を行い、地に住む人々はこの女の姦淫のぶどう酒に酔いしれている』。(3)御使は、わたしを御霊に感じたまま、荒野へ連れて行った。わたしは、そこでひとりの女が赤い獣に乗っているのを見た。その獣は神を汚すかずかずの名でおおわれ、また、それに七つの頭と十の角とがあった。(4)この女は紫と赤の衣をまとい、金と宝石と真珠とで身を飾り、憎むべきものと自分の姦淫の汚れとで満ちている金の杯を手に持ち、(5)その額には、一つの名がしるされていた。それは奥義であって、『大いなるバビロン、淫婦どもと地の憎むべきものらとの母』というのであった。(6)わたしは、この女が聖徒の血とイエスの証人の血に酔いしれているのを見た」。

 

 今朝の御言葉を一読して、私たちが感じる印象というものは「なんとおぞましい事柄が書き記されているのだろう」ということではないでしょうか。「おぞましい」というのは、これらの御言葉がおよそ黙示文学的であって、理性的というよりは感覚的であり、終末論的というよりはカタストロフィカルな(最終破壊的な)混乱した表現に満ち溢れているからだ。そのような印象を私たちは持つのではないかと思うのです。事実、今朝のこのヨハネ黙示録第171節以下には「大淫婦」とか「姦淫のぶどう酒」とか「赤い獣に乗った女」とか「淫婦どもと地の憎むべきものらとの母」とか、およそ聖書的ではないと申しますか、キリスト教のイメージとはかけ離れた、おぞましい言葉がたくさん出てくるわけであります。

 

 そこで、まず最初に私たちはこのことを理解しておく必要があります。このヨハネ黙示録は既に幾度も学んでまいりましたように、西暦69年ごろにギリシヤのエーゲ海にあるパトモス島において使徒ヨハネによって書き記されたものであります。当時、ローマ帝国の皇帝ネロによるキリスト教大迫害が行われており、当時の小アジア(今日のトルコ南西部)にあった7つの教会が非常に激しい迫害に晒されていました。まさにその7つの諸教会(エペソ、スミルナ、ペルガモ、テアテラ、サルデス、ヒラデルヒア、ラオデキヤの諸教会)を慰め励まし、既に天における最後の戦い(ハルマゲドン)に十字架と復活の主イエス・キリストは決定的に勝利して下さったのだから、私たちもまた、信仰による最後の勝利を確信して、忍耐して、祈りをもって、ともに歩み続けようではないかと書き送ったのがこのヨハネ黙示録なのです。

 

 ですから「大淫婦」とか「赤い獣に乗った女」とありますのはローマ皇帝のことをさしています。このローマ皇帝が(当時の皇帝はネロという人物でしたが)なんとこの皇帝ネロは家臣たちに命じてローマの街に放火させたのです。それは、放火の仕業をキリスト教徒のせいにして、教会を迫害する口実をえるためでした。なにも知らないローマ帝国の民衆は怒りに燃えまして、皇帝ネロのプロパガンダ(策略的扇動)にものの見事に踊らされました。以後、西暦313年に皇帝コンスタンティヌス自身が「ミラノの勅令」を出してキリスト教を公認し、みずからも洗礼を受けてキリスト教をローマ帝国の国教と定めるまで、約240年間にもわたる激しいキリスト教迫害の嵐がローマ帝国全土に吹き荒れたわけであります。だからこの皇帝ネロは、ローマに放火した真犯人ということで、今朝の御言葉の3節に「赤い獣に乗った女」として描かれているわけです。そして民衆をデマゴーグによって扇動した人物として「大淫婦」に譬えられているわけです。

 

 そこで、この大淫婦なるローマ皇帝ネロによる計画的かつ組織的なキリスト教迫害の嵐にさらされた小アジアの7つの諸教会は、ほとんど壊滅寸前かと思われるほどに追い込まれました。ただでさえまだ信徒の数が少なかった時代でした。教会とは言ってもまだ自前の礼拝堂さえなく、毎週の礼拝や諸集会は信徒の家庭を持ち回りで開かれていました。いわゆる「家の教会」であったのです。しかも迫害が始まってからはその小さな「家の教会」さえも目をつけられるようになりましたから、信徒たちはカタコンベと呼ばれる地下墓地、あるいは近隣の山や森の中などの隠れた場所に集まって、秘密裏に礼拝を献げざるをえなくなりました。「家の教会」から「地下教会」へと変貌せざるをえなかったわけです。

 

 意外なことのように思われるかもしれませんが、実は、今日の私たちの教会にも、この時のローマ帝国による迫害の余波(余韻)が目に見える形で残っているものがあります。それは聖餐卓です。カタコンベと呼ばれる地下墓地に集まって礼拝を献げた人々は、説教壇として、そして聖餐卓として、殉教者の棺を用いたのです。ですから今日でも全世界の教会において例外はありますが(説教壇はともかくといたしまして)聖餐卓はどことなく棺(石棺)を連想させる形をしているのです。

 

 そのような地下墓地における、あるいは野山の隠れた場所における礼拝において、小アジアの7つの教会の信徒たちはどのような礼拝を献げたのでしょうか?。このことにつきまして20世紀初頭にベルリン大学神学部で教会史や教理史を講義したドイツの神学者アドルフ・フォン・ハルナックは、みずからの著書である「初期3世紀におけるキリスト教の伝道と発展(伝播)= Die Mission und Ausbreitung des Christentums in den ersten drei Jahrhunderten. 1906」の中でこのように語っています。「驚くべきことであるが、皇帝ネロによる残虐きわまりない迫害のさなかにあっても、小アジアにおける7つの教会に集まる人々の数は、少しも減らなかったどころか、かえってますますふえていった。…彼らがカタコンベ(地下墓地)の中でろうそくの灯のもとで献げた礼拝は、文字どおり『闇の中に輝く復活の喜び』を象徴するものになった。…彼らは信仰のゆえに、家を焼かれ、職場を追われ、家族を引き離され、学校を退学させられ、ローマ帝国の市民(自由人)としての身分を失わされて奴隷とされた。それに加えて、ある者たちは捕らえられて投獄され、拷問を受けて棄教を迫られ、それでも信仰を棄てずに生命を失った者たちも数多くいた。それにもかかわらず、教会に(主日礼拝に)集まる人々の数は少しも減らず、まし加えられていったのである」。

 

 その理由としてハルナックは幾つかの事柄を語っていますが、最も大きな大切なこととして挙げているのは、それは、初代教会のキリスト者たちが「罪の贖い主」であられる十字架と復活の主イエス・キリストを本当に信じて生活していたことです。ここでハルナックが語っている「本当にキリストを信じて」(Glaube wahrhaftig an Christus)という言葉はやや奇妙な言いかたに聞こえるかもしれません。しかし今日の私たちのことをどうぞ、敢えて顧みたいと思います。もしも私たち葉山教会が、この西暦69年の小アジやの7つの教会に加えられたのと同じような迫害にさらされてもなお、私たちはハルナックが語っているような「それにもかかわらず、教会に(主日礼拝に)集まる人々の数は少しも減らず、まし加えられていった」と言えるような信仰生活ができる、そのような本物の(wahrhaftig)キリスト信仰に生きる群れであり続けているでしょうか?。

 

なによりも、今朝のヨハネ黙示録の最後の6節をご覧ください。そこには「(6)わたしは、この女が聖徒の血とイエスの証人の血に酔いしれているのを見た」とあります。私たちはどうでしょうか?。小アジアの7つの教会と同じように、まさにいま、極東アジアの日本にいる私たちが「血を流す」ほどの信仰生活をしているかどうかが問われているのではないでしょうか。いや、私たちはそれよりも何よりも、唯一のおかたが、神の永遠の御子イエス・キリストが、私たちの罪の贖いと救いのために流して下さった血を、本当に大切なものとして教会に連なっているでしょうか。そのことがいま、改めて問われているのであります。十字架と復活の主イエス・キリストを本当に信じて生きるとは、十字架の主が私たちのために流して下さった御血潮、裂いて下さった御身体、献げ抜いて下さった生命によって、私たちが救われた者たちであることを、全てにまさって喜び、光栄とし、誇りとし、幸いとなして、キリスト中心の新しい自由の生活をすることです。

 

 いま私たち全ての者たちが、十字架の主イエス・キリストを本当に信じて生きる者たちとして、新しい一週間の生活へと召されているのです。何よりも、神の永遠の独子であられる主イエス・キリストみずから、私たちの救いと生命のために、私たちの身代わりとなられて、あのゴルゴタの呪いの十字架を担い取って下さったのです。そして御自身の生命を献げ抜いて、私たちの贖いとなって下さいました。「罪の贖い主」として、このおかたは、私たちと共に、永遠にともにいて下さり、私たちの歩みを永遠の御国へと導いて下さるのです。そしてこの世界に、歴史そのものに、揺るぎなき真の平和と救いを与えて下さるのです。このかたは、十字架と復活の主イエス・キリストこそは、全ての人の「罪の贖い主」であられるからです。祈りましょう。