説     教         サムエル記上31813節  ヨハネ黙示録161221

                  「ハルマゲドンへの召集」 ヨハネ黙示録講解〔56

                   2025・11・02(説教25442143

 

(12)第六の者が、その鉢を大ユウフラテ川に傾けた。すると、その水は、日の出る方から来る王たちに対し道を備えるために、かれてしまった。(13)また見ると、龍の口から、獣の口から、にせ預言者の口から、かえるのような三つの汚れた霊が出てきた。(14)これらは、しるしを行う悪霊の霊であって、全世界の王たちのところに行き、彼らを招集したが、それは、全能なる神の大いなる日に、戦いをするためであった。(15)(見よ、わたしは盗人のように来る。裸のままで歩かないように、また、裸の恥を見られないように、目をさまし着物を身に着けている者は、さいわいである。)(16)三つの霊は、ヘブル語でハルマゲドンという所に、王たちを召集した」。

 

 「ハルマゲドン」という言葉はもともと「メギドの丘」を意味するヘブライ語に由来しています。今朝、併せて拝読しました旧約聖書のサムエル記上318節以下に記されている「イスラエルの王サウルの戦死」の出来事と深いかかわりを持つ言葉です。そこを読みますと、このような御言葉です。「(8)あくる日、ペリシテびとは殺された者から、はぎ取るためにきたが、サウルとその三人の子たちがギルボア山(メギドの丘)にたおれているのを見つけた。(9)彼らはサウルの首を切り、そのよろいをはぎ取り、ペリシテびとの全地に人をつかわして、この良い知らせを、その偶像と民とに伝えさせた。(10)また彼らは、そのよろいをアシタロテの神殿に置き、彼のからだをベテシャンの城壁にくぎづけにした。(11)ヤベシ・ギレアデの住民たちは、ペリシテびとがサウルにした事を聞いて、(12)勇士たちはみな立ち、夜もすがら行って、サウルのからだと、その子たちのからだをベテシャンの城壁から取りおろし、ヤベシにきて、これをそこで焼き、(13)その骨を取って、ヤベシのぎょりゅうの木の下に葬り、七日の間、断食した」。

 

 ここにはイスラエルの民にとって、非常に痛ましく屈辱的な出来事(悲惨な事実)が記されているわけです。イスラエルの王サウルみずからが陣頭指揮をして、メギドの丘でペリシテ人の軍勢との決戦を挑みました。ところが結果はペリシテ人側の圧倒的勝利でした。イスラエル軍はほとんど全滅。サウルとその3人の息子たちも戦死してしまった。さらにあろうことか、ペリシテ人らはこのサウル王と3人の息子たちの死体から鎧をはぎ取り、それをアシタロテの神殿への奉納物とし、彼らの死体をベテシャンの城壁に釘づけにしてさらし者にしたのでした。

 

真の神を信じるヤベシ・ギレアデのイスラエル人たちは、この知らせを聞いて大いに悲しみかつ憤り、夜もすがら砂漠を歩いてメギドの丘(ハルマゲドン)にやって来て、サウル王と3人の息子たちの遺体を城壁から降ろしてヤベシという場所で火葬にし、彼らの遺骨を「ヤベシのぎょりゅうの木の下」に葬った。それが、サムエル記上318節以下に記されている悲惨な出来事であります。そこで、イスラエル全軍が壊滅したのみならず、王たるサウルと3人の王子たちまでもが戦死して、さらにはその死体をペリシテ人らに辱かしめられた、メギドの丘(ハルマゲドン)における悲惨きわまりない出来事の記憶は、その後も長く語り伝えられることになりました。いわばそのイスラエルの民族的記憶がさらに、決して忘れられてはならない決戦の象徴(次は絶対に勝利せねばならない世界最終戦争の象徴)としての「メギドの丘=ハルマゲドン」という合言葉を生み出すことになったわけです。「ハルマゲドンを忘れるな」「ハルマゲドンに備えよ」これがイスラエル民族全体の決戦(世界最終戦争)への合言葉になったのです。

 

 そこで、今朝のヨハネ黙示録1616節を見ますと「(16)三つの霊は、ヘブル語でハルマゲドンという所に、王たちを召集した」と記されています。この「王たち」というのは14節にありましたように「全世界の王たち」を意味します。つまり、このハルマゲドンでの世界最終戦争には全世界が召集されている、ということになります。しかも(これが大事な点ですが)この世界最終戦争へと全世界の王たちを召集しているのは、主なる神ではなくて、龍と、獣と、偽預言者の口から出てきた「三つの汚れた霊」なのです。これは、どういうことかと申しますと、思い起こして頂きたいのですが、既にこのヨハネ黙示録12章以下において、天における「悪魔と主の教会との最終決戦」に、主の教会が完全に勝利したのです。主イエス・キリストは十字架と復活によって、罪と死の支配に対して永遠かつ絶対の勝利をおさめたもうたのです。だからこそ、御自身の復活の御身体である天の勝利の教会(Ecclesia Victoriae Caelestis)に連なる全てのキリスト者たちに、罪贖われた者たちの受けるべき永遠の生命と平安と祝福が約束されているのです。

 

 それならば、神と悪魔との間に戦われた真の意味での世界最終戦争(ハルマゲドン)には、既に神が永遠の勝利を決定的におさめておられるわけでありまして、もうその勝利は絶対に変わらない(覆らない)ものなのですから、今朝の御言葉にあるように「三つの汚れた霊」どもが全世界の王たちをハルマゲドンに召集しようとしていることは、実は全く意味のないことなのです。こういうのを「見苦しい最後のあがき」と申します。ところが、ところがですよ、実は私たちの生きているこの現実世界というものは、天における勝利の教会の「永遠の勝利」を認めようとはしない「汚れた霊ども」がなす「見苦しい最後のあがき」に、なおも満ち溢れているのではないでしょうか。さらに申しますならば、この世界に起こる様々な戦争や争いや対立の数々が、そのほとんど全てが、天における勝利の教会の「永遠の勝利」を認めようとはしない「汚れた霊ども」がなす「見苦しい最後のあがき」が原因となっているのではないでしょうか。

 

 これを言い換えるならば、いまもこの瞬間に世界の様々な地域で現実に戦争や紛争が起こっているわけですが、それらはすべて私たち人間の罪に由来するものなのです。ところが不思議なことに人間は(知恵のある人も大勢いるにもかかわらず)戦争や紛争の根本的原因が人間の罪にあるとは認めようとしないのです。むしろ「三つの汚れた霊ども」すなわち、悪魔と、それに仕える獣と、偽預言者という3つの汚れた霊から出るところの「ハルマゲドンへの召集」に怯えてしまって、肝心要な十字架と復活の主イエス・キリストによる真の意味での「世界最終戦争」にまなざしを向けようとはしないのではないでしょうか。本当のハルマゲドンは、十字架と復活の主イエス・キリストが、私たちの救いのために、私たちの身代わりとなって、戦い、まさに十字架の死と復活によって、完全な永遠の勝利をおさめて下さったものなのです。その事実にこそ、私たちは注目し、かつ、十字架と復活の主イエス・キリストを本当に信じて、十字架と復活の主イエス・キリストの御身体であるところの聖なる公同の使徒的なる教会にしっかりと連なって、キリストを中心とした新しい生活をする者たちとされているのではないでしょうか。

 

 カール・バルトという改革長老教会の神学者が、この人はスイス人ですが、ナチズムの支配に対して命がけで抵抗し、戦った人生を歩んだ神学者、まさに「戦う神学者=Theologus militans」としての人生を歩んだ人です。このカール・バルトに、あの悲惨な第二次世界大戦はどうして起こったのでしょうか?と質問したジャーナリストがいました。バルトはすぐにこう答えました「それは、私たち人間が、本当に神の言葉を聴いていなかったからです」。このバルトの言葉を逆に申しますならば、もし私たちが真剣に(本当に)神の言葉を聴いていたならば、あの悲惨な戦争は起こらなかったということです。これはとても単純な答えのように見えますが、バルトのような神学者でなければ語りえなかった言葉でありましょう。さらに申しますならば、この現実世界におけるありとあらゆる戦争や紛争や対立の根本原因は私たち人間の罪にあるのだということです。

 

 それならば、私たちが真に仰ぎ見るべきおかたはただ一人ではないでしょうか。それは、私たちの救いのために、そしてまさに全世界の(全歴史の)救いのために、あのゴルゴタにおいて呪いの十字架を担われ、私たちの身代わりとなって死んで下さった神の御子主イエス・キリストのみを、私たちは仰ぎかつ信ずるべきであります。なぜなら、天における本当の「ハルマゲドンへの召集」に、このおかたは私たちの救いのために応じて下さったからです。そして天の栄光の教会を永遠の勝利へと導いて下さったからです。それならば、いま地上の(歴史の)ただ中にある私たちの教会も、私たちのキリスト者としての歩みも、まさしく「天のハルマゲドン」に永遠に勝利して下さった十字架と復活の主イエス・キリストによって、いつも支えられ、導かれ、永遠の平和をめざして歩むものとならせて戴いているのです。まさにそのことを、十字架と復活の主イエス・キリストによる福音を(救いの音信を)宣べ伝えているのが、今朝のヨハネ黙示録1612節以下の御言葉なのです。祈りましょう。