説 教 ゼカリヤ書6章7−6節 ヨハネ黙示録6章7−8節
「封印を解く小羊 (2)」ヨハネ黙示録講解説教〔29〕
2025・04・06(説教25142113)
「(7)小羊が第四の封印を解いた時、第四の生き物が『きたれ』と言う声を、わたしは聞いた。(8)そこで見ていると、見よ、青白い馬が出てきた。そして、それに乗っている者の名は『死』と言い、それに黄泉が従っていた。彼らには、地の四分の一を支配する権威、および、つるぎと、ききんと、死と、地の獣らとによって人を殺す権威とが、与えられた」。ここに、いよいよただならぬ不穏な雰囲気の御言葉が「青白い馬」とともに飛び出して参りました。今朝のヨハネ黙示録第6章7節と8節です。すなわち「(7)小羊が第四の封印を解いた時、第四の生き物が『きたれ』と言う声を、わたしは聞いた。(8)そこで見ていると、見よ、青白い馬が出てきた。そして、それに乗っている者の名は『死』と言い、それに黄泉が従っていた」と言うのです。
ヨハネ黙示録は西暦2世紀のローマ帝国アジア州にあった7つの諸教会に宛てて書かれた福音の手紙です。当時、それら7つの諸教会はローマ皇帝による迫害の嵐のただ中にありました。当時のローマ帝国において、キリスト教徒たちはローマ皇帝だけが持つべき「主=キュリオス」という称号を、十字架につけられたイエス・キリストにのみ献げている不逞の輩だという理由で「レリギオ・イリキタ=不法な宗教」というレッテルを張られ、激しい迫害の対象となっていたのでした。そして、その厳しい迫害の極みにあったものこそ「死」でした。少なからぬキリスト者たちが、不当な拘束を受け、投獄され、拷問にかけられて棄教を迫られ、それでも従わなかった者たちは死刑の宣告を受けたからです。
それこそまさに、今朝の御言葉に語られている「それに乗っている者の名は『死』と言い、それに黄泉が従っていた」とある言葉どおりの出来事(迫害)が行われていたわけであります。言い換えるなら、ローマ帝国によるキリスト教徒迫害の本質は「おまえたちが信じているイエス・キリストなどより、死と黄泉の支配のほうが遥かに力があるではないか」という宣告でありました。つまり今朝の御言葉の「青白い馬」とその騎手は、まさに「死と黄泉こそ本当の神である」という「死の福音」を告げるために、7つの教会のキリスト者たちのもとに飛び出して行ったと言えるのです。どうだ、おまえたちが信じているキリストなど、死と黄泉の力の前には無力だったではないか。だからこそキリストは十字架にかけられて、あのような無様な死にかたをしたのではなかったか、ローマ帝国はキリスト者たちにそのように宣べ伝えたのです。
そこで、このような「死の福音」に対して、私たちキリスト者はどのように答える言葉を持つのでしょうか?。それが今朝の御言葉によって、私たち一人びとりが問われていることであり、それはつまり、私たちがイエス・キリストをどのようなおかたとして信じ告白しているのか、という、私たちの信仰の核心に関わる問いなのであります。私ごとになりますが、今日4月6日は、私が生まれて初めて教会の礼拝に出席した日から数えてちょうど50年になります。1975年4月6日、その日は朝から雪が降っていた、とても寒い日でした。当時まだ農学校の2年生だった16歳の私は、かつて新島襄の伝道によって設立された上州の前橋教会の礼拝に初めて出席しました。そしてそこでひとつの決定的な経験を与えられました。それは使徒信条の言葉に触れたことでした。
私が教会に行く契機になった、ひとつの出来事がありました。それは、農学校で私が最も親しくしていた友人が、劇症の白血病によってわずか10日間の入院のすえに亡くなったことでした。私は級友たちと一緒に、赤城山の麓にある、彼の家で行われた葬儀に出席しました。驚いたことに、彼の遺体は棺桶に納められていました。僧侶の読経と焼香が終わったあとで、私たちは彼の棺桶を数百メートル離れた、彼の家の先祖代々の墓地に埋葬しました。土葬でした。その時、私はひとつのことを強く思わされました。それは「もしもこの世界に本当の神がおられるのなら(つまり本当の宗教があるのなら)それは、この土葬の虚無の現実の中にさえ、否、この土葬の虚無の現実の中にこそ、真の救いを告げてくれる神(宗教)でなければならない」という思いでした。折口信夫の歌に「天地に人を愛する神ありてもしもの言はば我のごとけむ」というのがありますが、私は16歳の高校生でしたけれども、親友の死という虚無的な現実を通して、その思いへと必然的に導かれたわけであります。
そして、それから数週間後でしたけれども、私は生まれて初めて教会の礼拝に出席しました。「もしかしたら、ここに本当の救いがあるかもしれない」という思いからでした。礼拝の中で、私たちも先ほど朗読しましたが、教会員の人たちが使徒信条を朗読します。その中に「我はその独子、我らの主、イエス・キリストを信ず」とありまして、それにすぐ続いて「主は聖霊によりて宿り、処女マリアより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、死にて葬られ、陰府にくだり…」とありました。私はその言葉を週報を見ながら生まれて初めて唱えたのですが「これだ!ここに本当の神がおられる」と感じたのです。
なぜかと申しますと、使徒信条の中に、主イエス・キリストは、神の御子であられるにもかかわらず「死にて葬られ、陰府に下り…」とあることです。この文言に私の心は釘付けになりました。ここにははっきりと、この方は真の神の独子であるにもかかわらず、死んで、墓に葬られたかたであると告げられているではありませんか!。私の親友を土葬した、あの墓の虚無的な(絶望的な)現実のただ中に、イエス・キリストというおかたは「降りてきて」下さったのだ。このかたこそ本当の神ではあるまいか、私はそのように強く感じまして「イエス・キリストというかたがどういうかたなのか、それがわかるまでは、私は絶対に礼拝を休まない」と心に堅く誓ったのでした。その出来事が起こった1975年の4月6日(日)から、今日がちょうど50年目の日曜日なのです。
今朝の「青白い馬」とその騎手は「死」という名で「黄泉」を従えていたのです。そして、まさに「死」と「黄泉」こそが全能の神のごとき存在であり、それにはだれも逆らえないだろうという「死の福音」を告げていたわけですね。ところが、ところが、真の神は、私たちを死と黄泉の支配(死と罪の支配)から解放し、真の救いと、自由と、永遠の生命を与えて下さるために、なんと御自身が、あの呪いのゴルゴタの十字架に死なれて、墓に葬られて下さった、そういうおかたであると明確に告げているのが聖書であり、使徒信条なのです。神は死なないからこそ神です。死んでしまうものはもはや神とは呼びえない。ましてや墓に葬られる者はなおさらです。それならば、真の神は(真の神の独子なる主イエス・キリストは)十字架の死と葬りによって、神の外に出て下さったかたなのです。それは、罪によって神の外に出てしまった私たちを救うためです。神の外に出てしまった「滅びの子」である私たちを救うために、神みずから神の外に出て下さった、神ではないものになって下さった、それが十字架の主イエス・キリストのお姿であり、聖書が語る福音の本質なのです。
「青白い馬」に乗った「死」には「地の四分の一を支配する権威、および、つるぎと、ききんと、死と、地の獣らとによって人を殺す権威とが、与えられた」のです。絶大な権威です。まさに圧倒的な力(ニーチェの言うüberwältigende Macht)です。しかし、まさにその罪と死の力を、黄泉の支配を、私たちの主イエス・キリストのみが、御自身の十字架の死と葬りによって、完膚なきまでに打ち破って下さったのです。ただ十字架と復活の主イエス・キリストのみが、罪と死に永遠に勝利して下さったのです。私たち全ての者の救いのために。いま私たちはレント(受難節)の日々を歩んでいますが、週報にも記しておりますように、それは「復活前主日」の歩みなのです。イースターへと向かう歩みです。私たちは十字架と復活の主イエス・キリストによって、いま既に絶大な救いの恵みを戴いているのです。このおかたのみが、神の外に出てしまった「滅びの子」である私たちの救いのために、十字架の死と葬りによって、神の外の出て下さったのです。そこにのみ、私たち全ての者の本当の救いと生命、希望と幸い、自由と平安があるのです。祈りましょう。