説 教 詩篇145篇1−3節 ヨハネ黙示録5章11−14節
「主にのみ栄光と讃美を」ヨハネ黙示録講解説教〔27〕
2025・03・23(説教25122111)
「(11)さらに見ていると、御座と生き物と長老たちとのまわりに、多くの御使たちの声が上がるのを聞いた。その数は万の幾万倍、千の幾千倍もあって、(12)大声で叫んでいた、『ほふられた小羊こそは、力と、富と、知恵と、勢いと、ほまれと、栄光と、讃美とを受けるにふさわしい』。(13)またわたしは、天と地、地の下と海の中にあるすべての造られたもの、そして、それらの中にあるすべてのものの言う声を聞いた、『御座にいますかたと小羊とに、讃美と、ほまれと、栄光と、権力とが、世々限りなくあるように』。(14)四つの生き物はアァメンと唱え、長老たちはひれ伏して礼拝した」。
今朝の御言葉でありますヨハネ黙示録5章11節以下には、この世界と宇宙に満ち満ちている全ての存在が、主なる神と神の御子なる主イエス・キリストを(すなわち屠られたまいし神の小羊=十字架と復活の主イエス・キリストを)礼拝し、讃美と栄光を献げる様子が描かれているのであります。改めて11節をご覧ください。そこには使徒ヨハネ自身の目撃証言として「さらに見ていると、御座と生き物と長老たちとのまわりに、多くの御使たちの声が上がるのを聞いた。その数は万の幾万倍、千の幾千倍もあって、大声で叫んでいた」とございます。「万の幾万倍、千の幾千倍」というのは文字どおり無限に近い数を示しています。御使すなわち天使たちも、聖なる生き物であるケルビムも、24人の長老たちも、そして造られたるもの全てが、叫びにも似た大きな声(讃美のどよめき)をもって、主なる神と御子なる主イエス・キリストとを讃美し、その栄光を称える様子であります。
ところで、先日、アメリカのいまの共和党政権で、トランプ大統領のもとで働いているキャロライン・レヴィット報道官という女性(彼女はまだ27歳の若さです)が、空爆によって廃墟と化したイスラエルのガザ地区の写真を示して「これこそ黙示録的な光景です=This is what the Apocalypse looks like.」と語っていたのを聴きまして、私は「おや?」と疑問を感じました。レヴィットさんという女性はたいへん教養のある、頭の回転の速い人のように見うけましたが、廃墟を示してそれを「黙示録的な光景」と言うのはちょっとと申しますか、かなりおかしいのではないかと感じたのです。少なくとも彼女は(トランプ大統領もそうかもしれませんが)ヨハネ黙示録をきちんと読んだことがないのではないかと思いました。
もしも“what the Apocalypse looks like”と言うのなら、それは今朝の御言葉に現わされているような、世界の万物が喜びと感謝をもって、あたかも叫ぶがごとき讃美のどよめきをもって、主なる神と御子なるイエス・キリスト(屠られたまいし神の小羊)を讃美している、そのような讃美と喜びの様子こそが、本当の意味での「黙示録的な光景」と言うべきなのではないでしょうか。それは秩序が破壊されて混沌(カオス)と化した様子を示すのではなく、逆に、破壊された秩序と混沌のただ中から、新しい生命と自由の世界が立ち上がった様子を示すものです。すなわち「黙示録的な光景」とは破壊と混沌の光景ではなく、回復と癒しと讃美と生命と自由の光景なのです。そのことがいちばんよくわかるのが、今朝のこの5章11節以下の御言葉なのです。
ですからレヴィット報道官は、もしあの記者会見の場で黙示録を引き合いに出すのなら「いまはガザ地区はこのような混沌とした廃墟の姿ですが、これから私たちのアメリカは(そして世界は)この廃墟と混乱の巷と化したガザ地区を、イスラエルやパレスチナをはじめ、ヨーロッパ各国とも協力して、黙示録的な光景に(つまり回復と癒しと讃美と生命と自由と平和の満ち溢れる光景に)回復してゆく課題を負うています」と言わねばならなかったのではないでしょうか。(それとの関連でもうひとつ言うなら、トランプ大統領が発表したガザ地区の再建案は酷いですね。話になりません。ガザ地区からパレスチナ人を追い出して、アメリカ主導のもとで経済特区と観光リゾート地として再開発する計画(そしてトランプがパレスチナ問題の救世主になる計画)あれは絶対に失敗し、さらなる混乱を生むだけだと断言できます。三千年間続いているパレスチナ問題はそんな生易しいものではないですよ)。
話を元に戻します。今朝の御言葉では、十字架と復活の主イエス・キリスト(屠られたまいし神の小羊)を讃美する声が、大きな輪のように外へと広がってゆく様子が描かれています。12節と13節です。その讃美の歌声の歌詞を見てみましょう。まず12節には「ほふられた小羊こそは、力と、富と、知恵と、勢いと、ほまれと、栄光と、讃美とを受けるにふさわしい」と歌われ、続いて13節には「御座にいますかたと小羊とに、讃美と、ほまれと、栄光と、権力とが、世々限りなくあるように」と歌われている様子が描かれています。特に、ここに出てくる7つの言葉に注目したいのです。それは「力(権威)」「富」「知恵」「勢い」「誉れ」「栄光」「讃美」この7つです。これら一つ一つについてお話することもできますが、最も大切なことをぜひ心に留めて戴きたいと思います。それは、これら7つの言葉が全て、私たち全ての者の救いのため、そして全世界と歴史の救いのために、御子イエス・キリストがなして下さった救いの御業(すなわち十字架の死と葬り)をさしているのだという事実です。
みなさんはバロック時代の作曲家バッハ(Johann Sebastian Bach)が、作曲した全ての楽譜の末尾に“SDG”という不思議な文字が記されていることをご存じでしょう。それは長いあいだ何を意味するのか謎でした。しかしバッハの没後約100年経った時にベートーヴェンが、それが“Soli Deo Gloria”(ただ神にのみ栄光あれ)というラテン語の3つの頭文字であることを解明しました。その経緯をアルベルト・シュヴァイツァーが「バッハの音楽とその解釈」という本の中で語っています。シュヴァイツァーによれば、それはバッハの音楽家としての根本姿勢であったというのです。自分が作曲した全ての音楽は“Soli Deo Gloria”(ただ神にのみ栄光あれ)この一事をさし示しているんだ。ここに私の全生涯の目的があるんだ。そういうことをバッハは表現するために、全ての楽譜の末尾に“SDG”の文字を入れたのだ、そのようにシュヴァイツァーは語っています。そのように語ったシュヴァイツァー自身、アルザスのコルマールという町の改革派教会の牧師の家庭に生まれ育った人でした。ですから「ただ神にのみ栄光あれ」それはシュヴァイツァー自身のモットーでもあったのです。
私たちの教会の伝統に即してもう少し詳しく申しますと、それは「改革派教会の5つのSolae」(Five Solae of Reformed Churches)と呼ばれます。それは(1)Sola scriptura(聖書のみ)(2) Sola fide(信仰のみ)(3) Sola gratia(神の恵みのみ)(4) Solus Christus(キリストのみ)(5) Soli Deo gloria(神の栄光のみ)以上の5つです。そして、この大切な教会形成の基本姿勢(神学的基本路線)の源流にあるものが、今朝のこのヨハネ黙示録5章11−14節の御言葉なのです。いつも、いかなる時にも、ただ聖書のみが私たちの教会形成の源泉であり「唯一の規範」(Canon)なのです。
私たちがいま献げておりますこの礼拝もそうです。礼拝のことをドイツ語ではゴッテスディーンスト(Gottesdienst)と申します。それは2つの意味を持っています。第一の意味は「神への奉仕」です。これは私たちにもよくわかることです。しかし第二の意味はどうでしょうか?。第二の意味は「(私たちに対する)神の奉仕」なのです。「(私たちに対する)神ご自身の御業」と言い換えても良いでしょう。それはなにかと申しますと、私たちのためにあのゴルゴタの呪いの十字架を負うて下さった主イエス・キリストの御業なのです。つまり、私たちの救いのために神ご自身がなして下さった恵みの御業であります。それが、ただそれだけが、私たちの礼拝を成り立たせている唯一の源泉なのです。ただそれだけが、十字架の主イエス・キリストの御業のみが、私たちをして礼拝者となして下さる唯一の恵みの根拠なのです。
だからこそ、私たちもまた、まさに混乱と破壊と混沌の坩堝のようなこの時代(この世界)の中にあって「黙示録的な光景」に生きる僕たちとされているのではないでしょうか。「(11) 御座と生き物と長老たちとのまわりに、多くの御使たちの声が上がるのを聞いた。その数は万の幾万倍、千の幾千倍もあって、(12)大声で叫んでいた、『ほふられた小羊こそは、力と、富と、知恵と、勢いと、ほまれと、栄光と、讃美とを受けるにふさわしい』。(13)またわたしは、天と地、地の下と海の中にあるすべての造られたもの、そして、それらの中にあるすべてのものの言う声を聞いた、『御座にいますかたと小羊とに、讃美と、ほまれと、栄光と、権力とが、世々限りなくあるように』。(14)四つの生き物はアァメンと唱え、長老たちはひれ伏して礼拝した」。祈りましょう。