説 教 民数記22章31−35節 ヨハネ黙示録2章12−16節
「ペルガモにある教会の御使に」黙示録講解〔14〕
2024・12・08(説教24492096)
「(12)ペルガモにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。『鋭いもろ刃のつるぎを持っているかたが、次のように言われる。(13)わたしはあなたの住んでいる所を知っている。そこにはサタンの座がある。あなたは、わたしの名を堅く持ちつづけ、わたしの忠実な証人アンテパスがサタンの住んでいるあなたがたの所で殺された時でさえ、わたしに対する信仰を捨てなかった。(14)しかし、あなたに対して責むべきことが、少しばかりある。あなたがたの中には、現にバラムの教を奉じている者がある。バラムは、バラクに教え込み、イスラエルの子らの前に、つまずきになるものを置かせて、偶像にささげたものを食べさせ、また不品行をさせたのである。(15)同じように、あなたがたの中には、ニコライ宗の教を奉じている者もいる。(16)だから、悔い改めなさい。そうしないと、わたしはすぐにあなたのところに行き、わたしの口のつるぎをもって彼らと戦おう』」。
これまでに出てきた2つの教会があった都市、エペソとスミルナは商業都市(経済的な中心地)でありましたが、それに対してペルガモは、当時のローマ帝国アジヤ州における文化と宗教の一大中心地でした。ちなみにペルガモは今日のトルコの最西端、エーゲ海から約25キロほど内陸に入ったところに位置する美しい都会でした。そこにはゼウスとアスクレピオスの二大神殿が町の中央の丘に立ち、周辺諸国からも数多くの参詣者が集まっていたのです。なによりもローマ皇帝みずからもペルガモのゼウス神殿の熱心な崇拝者でした。つまり「ペルガモにある教会」は、異教の大海に浮かぶ孤島のような存在でした。
ある意味において私たち日本の葉山にある主の教会も、それと同じような環境にあると言えるのではないでしょうか。歴史の古い国ではどこでも同じことが言えますが、特に日本における古来からの文化的・宗教的基層にある精神的風土や価値観というものは、実は私たちが考えているよりも遥かに根強く、しぶといものなのです。それは譬えるならブルドーザーと同じでして、普段はのろのろと鈍重に動いているわけでありますが、いったん何かの障害物にぶつかりますと、とたんにものすごい力を発揮して、それを根こそぎ倒して進むのです。同じように、文化的・宗教的基層にある精神性(宗教的アイデンティティー)というものは、決して無視することはできないものなのです。
さて、そのような異教的宗教の真っただ中にあったペルガモにある教会の御使に対して、十字架と復活の主イエス・キリストは今朝の13節においてこのように言われます「(13)わたしはあなたの住んでいる所を知っている。そこにはサタンの座がある。あなたは、わたしの名を堅く持ちつづけ、わたしの忠実な証人アンテパスがサタンの住んでいるあなたがたの所で殺された時でさえ、わたしに対する信仰を捨てなかった」。ここで「サタンの座」というのは街の中心に聳えていたゼウス神殿のことをさしています。これは想像でありますが、おそらくペルガモ教会の信徒(おそらくは長老か執事)であったアンテパスという名の人が、このゼウス神殿の前の広場(アゴラ)で福音を宣べ伝えたのでありましょう。そして彼は(イエス・キリストの福音をゼウス神殿の前で宣べ伝えたという罪によって)たちまち捕らえられ、処刑されてしまったのでありましょう。だから十字架と復活の主イエス・キリストはこのアンテパスのことを「わたしの忠実な証人」と呼んでおられます。いかなる迫害をも、死をも恐れずに、福音を人々に宣べ伝えた一人の忠実なキリストの証人がいたのです。
このアンテパスの殉教の死はもちろん、大きな悲しみと衝撃をペルガモ教会の信徒たちに与えたことでした。しかしそれでペルガモ教会の信徒たちが、伝道への熱意と祈りを失ってしまったかと言いますと、そうではなくむしろ逆でした。ペルガモ教会の信徒たちは、親しい信仰の仲間であったアンテパスの殉教の死によってますます奮い立ち、いよいよ熱心かつ果敢に、十字架と復活の主イエス・キリストの福音を宣べ伝える、主の教会へと成長していったのでした。ですから今朝の13節でも「あなたは、わたしの名を堅く持ちつづけ、わたしの忠実な証人アンテパスがサタンの住んでいるあなたがたの所で殺された時でさえ、わたしに対する信仰を捨てなかった」と言われているのです。いわばこれは、ペルガモ教会に対する最大級の賛辞であります。
「しかし」と、十字架と復活の主イエス・キリストは言われます。どうぞ14節をご覧ください。「(14)しかし、あなたに対して責むべきことが、少しばかりある。あなたがたの中には、現にバラムの教を奉じている者がある。バラムは、バラクに教え込み、イスラエルの子らの前に、つまずきになるものを置かせて、偶像にささげたものを食べさせ、また不品行をさせたのである」。今朝の15節以下に出てくる「ニコライ宗」については先週も申しました。これは「信仰は信仰、生活は生活」というように、信仰と生活とを別々のものとして、器用に切り替えて生きようとする、いわば処世術に長けた近代的キリスト者の生きかたのことだ、ということを私たちは学んだわけです。では「バラムの教」とは何かと申しますと、これは旧約聖書の民数記22章に出てくるバラムという人物の行為に深くかかわっているのです。具体的に申しますなら、今朝の14節の後半に示されているように「イスラエルの子らの前に、つまずきになるものを置かせて、偶像にささげたものを食べさせ、また不品行をさせた」ことです。
これは例えば、初代教会の時代ににおけるコリントの教会などにも見られたことなのですが「偶像への供え物」を食べても良いかどうかという、食生活に関わる問題でもあるだけに、とても難しい問題でもありました。さきほどもブルドーザーの譬えを引用して申しましたが、歴史の古い国における既存の文化や宗教に対して、私たちキリスト教会がどのようにかかわってゆくかという問題は、意外に難しいものなのです。そこでこそ、私たちは今朝のヨハネ黙示録の御言葉から、たしかな指針を与えられているのではないでしょうか。ここで多くを語る時間はありませんから、牧師である私自身の関わりかたについてお話をしたいと思います。
葉山教会のホームページにも書いてありますが、私の趣味は植物学、ドイツ語ドイツ文学、自転車、そして万葉集です。そして私は学生時代に花山信勝という仏教学の世界的権威の先生から、仏教学とサンスクリット語を学んだ経験があります。万葉集が趣味で、仏教学やサンスクリット語を学んだ、というようなことを申しますと、私のことをよく知らないかたは、いかにも私が日本古来の文化や宗教に対して、脇が甘いと申しますか、融和的な考えを持っている牧師ではないかと誤解されるのですけれども、そんなことは全くないわけでございまして、実は私ぐらい日本古来の文化や宗教に対して戦闘的で妥協しない(堅い)牧師はいないのではないかと自負しております。そもそも私が洗礼を受けるきっかけになったのは、17歳のときに親友の葬儀に参列した経験によるものです。棺桶に押し込められた友人の亡骸を、級友たちと一緒に彼の先祖代々の墓地に運び、そこに土葬したのです。
私はその時にはっきりと理解したことがあります。それは、日本古来の文化や宗教は、人間の死の真実に対して(ひいては人間そのものの救いについて)全く無力なものでしかないということです。僧侶の読経も、立派な墓石も、卒塔婆も、なんと虚しいものだったことか。(高市皇子が十市皇女が無くなった時に詠んだ歌「山吹の咲きよそひたる山清水くみに行かめど道の知らなく」)その絶望感に打ちひしがれて、私は17歳の時の4月5日に初めて教会の礼拝に出席しました。そこで何が起こったか、信徒の人たちが使徒信条を朗読されたのです。そこにこうございました「(主イエス・キリストは)十字架にかけられ、死にて葬られ、陰府にくだり…」。17歳の私はこの言葉を聞いた瞬間に、私の友人の土葬の時のことを思い起こしました。絶対に救いなどありえない死と葬りの現実の中に、このかたは、神の御子であられる主イエス・キリストは、みずから身を置いて下さったのだ!。私はそのことを深く心に刻まれまして、ここにこそ本当の救い主がおられると確信しました。
そのときの感動は、今でも少しも変わりません。いや、ますます強くなっています。私たち「葉山にある主の教会の御使たち」が宣べ伝えるのは、罪と死と滅びに打ち勝って下さった唯一の救い主、神の御子なる主イエス・キリストの福音なのです。このかたのみが、いかなる日本古来の既存の文化や宗教というブルドーザーもものともせず、しかもそれに完全に勝利したもうて、信ずる者全てに永遠の生命と幸い、真の唯一の救いと平安を与えて下さる真の救い主であられるのです。だからこそ、このおかたは、十字架と復活の主イエス・キリストは、今朝の御言葉の終わりにおいて、はっきりとこのようにおっしゃるのです。16節です「(16)だから、悔い改めなさい。そうしないと、わたしはすぐにあなたのところに行き、わたしの口のつるぎをもって彼らと戦おう」。そうです、十字架と復活の主イエス・キリスト御自ら「わたしはすぐにあなたのところに行き、わたしの口のつるぎをもって彼らと戦おう」とおっしゃって下さるのです。このかたが、いつも、永遠までも、私たちと共にいて下さり、私たちを永遠の御国へと導いて下さるのです。祈りましょう。