説    教            詩篇24110節  ルカ福音書2326

                「主イエスとクレネ人シモン」 ルカ福音書講解〔206

                    2023・03・03(説教24092056)

(26)人々イエスを曳きゆく時、シモンといふクレネ人の田舍より來るを執へ、十字架を負はせてイエスの後に從はしむ」。「(26)彼らがイエスをひいてゆく途中、シモンというクレネ人が郊外から出てきたのを捕えて十字架を負わせ、それをになってイエスのあとから行かせた」。今朝、私たちが与えられた御言葉はまことに単純明快です。主イエス・キリストが十字架を背負わされてゴルゴタの丘へと続く道(ヴィア・ドロローサ=悲しみの道)を歩みたもうその途中で「シモンというクレネ人」がたまたまそこを通りかかったのでした。おりしも主イエスは十字架の重みに耐えかねて幾度も道ばたに倒れたもうた。そこで人々(この場合は処刑を指揮していたローマの兵士たちのことでありましょう)はこのクレネ人シモンに、無理やり主イエスの十字架を担うことを命じた。それでシモンは仕方なく主イエスの後から十字架を背負って付き従って行った、そういう場面がこの26節に記されているわけであります。

 

 クレネというのは今日でいうところの北アフリカのエジプトからリビアあたりにかけての地中海沿岸地帯のことを言います。なぜこの時にシモンがわざわざ1000キロも離れたクレネからエルサレムに来ていたのでしょうか?。これは推測ですが、たぶんシモンはユダヤ人であって、過越の祭りを守るためにエルサレムに来ていたのだと思われます。シモンという名もユダヤ人によくある名前のひとつです。シモンはたぶん生まれて初めてエルサレムに来た人だったのでしょう。だから道に迷って歩き回っているうちに、たまたま偶然、ゴルゴタの処刑場へと歩みたもう主イエスに出会ってしまったのではないでしょうか。文語訳では「人々イエスを曳きゆく時、シモンといふクレネ人の田舍より來るを執へ、十字架を負はせてイエスの後に從はしむ」とございますように、シモンはローマの兵士たちに命じられて否応なく、主イエスの代わりに十字架を背負わされる羽目に陥ったのでした。

 

 そこで、シモンはきっと思ったに違いありません「ああ、今日はなんて不運な日なんだろう。よりにもよって、十字架にかけられる死刑囚の十字架を背負わされるなんて」と。十字架は古代ローマ帝国における最も残虐な処刑の方法でした。ローマ皇帝に対する謀反や殺人や反逆などの重罪を犯した死刑囚だけが十字架の刑に処せられたのです。シモンは生まれて初めてやってきたエルサレムで、こともあろうにその死刑囚の十字架を無理やり背負わされることになってしまったわけです。「今日はなんて不運な日なんだろう」と彼が思ったのは当然のことでした。妻や子供たちをクレネに残して単身エルサレムに来ていたことだけがせめてもの慰めでした。もし妻や子供たちがこの自分の姿を見たらなんて思うだろう。こんなにも恥ずかしいこと、嫌なこと、不運なこと、呪われたことが他にあるだろうか。シモンはそう思い、ともかくも早くゴルゴタの処刑場に着いてこのおぞましい重荷から解放されたいと願いつつ、主イエスの後姿を見つめながら、十字架を背負ってヴィア・ドロローサを歩いたのでした。

 

 話は変わりますが、この礼拝堂が献堂されてから今年の春で24年を迎えます。年月の経つのは速いものだと感じます。どこの教会でもそうですが、屋根の上には十字架が立てられています(ちなみにヨーロッパ、特にドイツなどのプロテスタント教会では、塔の先端に十字架ではなく風見鶏が立てられているのが普通です)私たちの葉山教会の元の木造の礼拝堂の塔にも立派な十字架が立てられていました。建築委員会(長老会)でよく相談をいたしまして、この新しい礼拝堂にはそれ以上に、改革長老教会に相応しい十字架を立てようではないかと話し合いました。この教会の塔の先端にある十字架は高さ2メートルあるステンレス製のもので、川崎の鋳物工場に特注して作ってもらったものです(縦と横の棒の比率つまりプロポーションについては、私がラテン十字の伝統的な形を調べて図面を書き、それを川崎の鋳物工場に手渡して作ってもらいました)

 

 ある日、忘れもしない199910月のある日の朝のことです。私がいつものように坂道の掃除をしておりましたら、下のほうから十字架を担いで登ってくる人がいました。私は思わず「ああ、クレネ人シモンが来た!」と叫びました。聞けば、その人(川崎の鋳物工場の社員)は坂下に車を置いて、なぜか自分の手でこの十字架を運び上げたいと、そう思って(重さは約40キロあります)坂道を登ってきたと言うのです。私はその姿に感動を覚えました。この礼拝堂の十字架ひとつにもそのようなエピソードがあることを、ぜひ皆さんにも記憶にとどめておいて頂きたいと思うのです。そこで、私が改めて感じたことは、クレネ人シモンが背負って歩かされた十字架は、もっとずっと重かったに違いないということです。クレネ人シモンはそれこそ、その重い木の十字架を、嫌々ながら無理やり背負って歩かされました。そこでこそ、私たちは次のことに思いを馳せなければなりません。クレネ人シモンはゴルゴタに向かう道の途中で、そしてゴルゴタの丘の上で、いったいなにを見、なにを感じたただろうかということです。

 

 シモンは主イエスの背中を見つめながら歩かされました。そこでシモンはきっと思ったに違いありません。「このかたは何も悪いことをした人には見えないのに、どうして十字架の刑なんかに処せられねばならないんだろう?」と。そして沿道の人々が「十字架につけろ!」と狂ったように叫び、石を投げたりするのを「どうしてなんだろう?」と不思議に思ったに違いありません。そしてゴルゴタに着いてからは、シモンははっきりと見ました。十字架の上で主イエス・キリストが、御自分を十字架につけた全ての人の罪を赦し、祝福して下さるお姿を。そして近くにいたローマの百卒長(大尉)が膝まづいて「まことにこの人は神の子であった」と言うのをシモンは聞きました。やがて正午ごろ、にわかに天が暗くなり、午後3時頃に主イエスが「父よ、私の魂を御手に委ねます」と言われて息を引き取られたのをシモンは見たのです。

 

 つまり、嫌々ながら背負わされた十字架でしたが、まさにシモンはそのことによって、十字架の主イエス・キリストを間近で見た人の一人になることができました。ローマの百卒長が告白した「まことにこの人は神の子であった」という信仰告白は、同時にシモンの心の中に沸き起こった思いそのものでもあったのではないでしょうか。主イエス・キリストの十字架、そこでシモンが見たものは、全世界の全ての人の罪を一身に背負われて、贖いの死を遂げて下さった神の独子のお姿でありました。だからこそ主イエスの御口からは、全ての人を愛し、赦し、祝福し、救いに導く御言葉だけが語られたのでした。その全ての出来事を、主イエス・キリストの十字架の出来事と、十字架の上での主イエスの御言葉を、クレネ人シモンははっきりと見、そして聴いたのです。

 

 さて、この出来事からのち、シモンはどのような人生を歩んだのでしょうか。このことについて、私たちはローマ書1613節を通してひとつの事実を知ることができます。それはローマ書16章は使徒パウロが自分の伝道者としての半生を振り返って、お世話になった人々に「よろしく伝えてほしい」とローマの信徒たちに書き送っているところなのですが、その13節に「主にあって選ばれたルポスと、彼の母とによろしく。彼の母は、わたしの母でもある」と書かれていることです。このルポスとはクレネ人シモンの息子の一人であり「彼の母」というのはすなわちクレネ人シモンの妻のことなのです。そして使徒パウロは、当時ローマに住んでいたルポス(つまりクレネ人シモンの息子)について「(彼は)主にありて選ばれた人」だと語っています。このことによって私たちは、クレネ人シモンの息子ルポスが伝道者(牧師)となってローマの教会を牧会していたということがわかるのです。

 

 ということは、当然のことながら、クレネ人シモン自身も、今朝の御言葉の経験を通してキリストを信じる人(クリスチャン)になっていたのではないでしょうか。そして使徒パウロはさらに、クレネ人シモンの妻について「(彼女は)私にとっても母のような人である」と語っているのです。このことによって私たちは、クレネ人シモンが帰国後に家族もろともに洗礼を受けてクリスチャンホーム(キリスト者の家庭)を作り上げ、家族ぐるみで主の御業に仕える働きをしていたことを知ることができるのです。2人の息子(アレキサンデルとルポス)は共に牧師になり、また彼らの母(つまりシモンの妻)は使徒パウロの働きを陰で支える大切な務めを果たしてくれた、そのような家庭であったということがわかるのです。

 

 ここにいる皆さんの中にも「こんなはずではなかったキリストとの出逢い」つまり意外な(自分の意思や計画に反した)キリストとの出逢いを経験した人がきっといるに違いありません。それは主なる神の導きによるものだから、私たちの思いや計画を超えた恵みの出来事なのです。そして、そのような出来事を通して私たちもまた、今朝のクレネ人シモンやその家族と同じように、十字架と復活の主イエス・キリストに出会い、キリストの恵みによって救いと永遠の生命を与えられ、キリスト者としての歩みを生きる神の僕とされているのではないでしょうか。その意味では、私たち一人びとりがクレネ人シモンなのです。シモンに与えられた救いの恵みは、いまここに集うている私たち全ての者に与えられたものなのです。このことを思い、感謝と讃美をもって、このレント(受難節)の日々を、十字架と復活の主と共に、十字架と復活の主の恵みと祝福の内を、心を高く上げて歩む者たちとして、過ごして参りたいと思います。祈りましょう。