説    教            伝道の書51012節  ルカ福音書121621

                 「愚かな富者の譬え」 ルカ福音書講解〔123

                  2022・06・19(説教22251965)

 

 今朝、私たちに与えられたルカ伝1216節以下の御言葉を、もういちど口語訳でお読みしたいと思います。「(16)そこで一つの譬を語られた、「ある金持の畑が豊作であった。(17)そこで彼は心の中で、『どうしようか、わたしの作物をしまっておく所がないのだが』と思いめぐらして(18)言った、『こうしよう。わたしの倉を取りこわし、もっと大きいのを建てて、そこに穀物や食糧を全部しまい込もう。(19)そして自分の魂に言おう。たましいよ、おまえには長年分の食糧がたくさんたくわえてある。さあ安心せよ、食え、飲め、楽しめ』。(20)すると神が彼に言われた、『愚かな者よ、あなたの魂は今夜のうちにも取り去られるであろう。そしたら、あなたが用意した物は、だれのものになるのか』。(21)自分のために宝を積んで神に対して富まない者は、これと同じである」。

 

 ここで主イエスは「ある金持の畑が豊作であった」という出だしで、一人の金持ちの譬えを人々にお語りになります。金持ちであることも、畑が豊作であることも、それ自体は決して悪いことではなく、むしろ世間的に見るなら「良いこと」であり「羨むべきこと」であり、祝福でありましょう。最近「親ガャ」という言葉を方々で聴くようになりました。この「ガチャ」というのはガチャポン、つまり子供向けの簡単なスロットマシンのような、コインを入れると小さなおもちゃが当たる機械のことです。そこで、この「親ガチャ」とはどういう意味かと申しますと、人間はどんな親の元に生まれてくるかによって経済的な豊かさがほとんど決定してしまうのだ、というような意味の言葉であるらしい。

 

 それは一面において事実かもしれません。たぶん今朝の主イエスの譬え話に出てくるこの「金持ち」も、そのような「親ガチャ」に恵まれた、いわば裕福な親の元に生れ育った人だったのかもしれません。特に16節には「畑が豊作であった」とあるのですから、この畑は(つまり彼が所有していた広大な農場は)親から(先祖から)受け継いだものだったと考えるのが自然であると思います。ようするにこの人は「親ガチャ」に恵まれた人であったと考えることができると思うのです。

 

 それだけではありませんでした。この「金持ち」は祖先から受け継いだこの広大な農場を管理することを怠らなかったと見えます。小作人たちを雇い、指導監督し、場合によっては彼自身が畑に出て鍬をふるい、草を取り、種を蒔き、手入れをしたことでありましょう。広大な農場が宝の持ち腐れにならぬように彼なりに苦労した、そういう経歴を持つ人であったように思われるのです。かくして彼は、広大な農場のほかに、立派な家屋敷を持ち、家族にも恵まれ、仕事仲間にも恵まれ、なに一つ不自由のない生活を営んでいたのでありましょう。世間的にはこのような人のことを「甲斐性のある人」と申します。そのようにしているうちに、ある年、彼のもとに信じられないような幸運が訪れました。それは、彼の農場が大豊作であったことです。たぶんそれは小麦であったと思われますが、小麦畑が50年に一度あるかないかというような大豊作であった。ところが収穫された途方もない量の小麦を前にして、彼は心の中でこう言ったのでした。17節です「(17)どうしようか、わたしの作物をしまっておく所がないのだが」。収穫したまでは良いけれども、その小麦の山を貯蔵しておく場所がないことに彼は気が付いたわけです。

 

 そこで、さらに次の18節と19節をご覧ください。「(18)こうしよう。わたしの倉を取りこわし、もっと大きいのを建てて、そこに穀物や食糧を全部しまい込もう。(19)そして自分の魂に言おう。たましいよ、おまえには長年分の食糧がたくさんたくわえてある。さあ安心せよ、食え、飲め、楽しめ」。幸いにして土地ならいくらである。そのうえ資金にも全く事欠かない。それですから彼は解決策として、古い倉庫を取壊して新しい大きな倉庫を建てることにしたのでした。そして、そこに大量の小麦を貯蔵して、彼はようやく安心したのでした。だから19節にはこう言ったと記されているのです。「たましいよ、おまえには長年分の食糧がたくさんたくわえてある。さあ安心せよ、食え、飲め、楽しめ」。

 

 これは要するに、この「金持ち」は、自分には莫大な量の食料と財産があるだから、だからも自分には神など必要ないと言い放ったのと同じことなのです。その証拠に彼は自分の魂に語りかけたのでした「たましいよ、おまえには長年分の食糧がたくさんたくわえてある。さあ安心せよ、食え、飲め、楽しめ」と。これは言い換えるならこういうことです、わが魂よ安心せよ、お前はおまえ自身の神なのだ。つまり、この金持ちは自分に与えられた恵みを神に対して感謝せず、却って自分を神として自分の魂に「さあ安心せよ、食え、飲め、楽しめ」と語りかけたのでした。ここにこの金持ちの愚かさが現れています。というよりも、ここにこそ彼の罪が露呈しているのではないでしょうか。

 

金持ちであることが罪なのではありません。先祖から農場を受け継いだことも、その農場の小麦が大豊作であったことも、罪なのではありません。むしろ豊かさは神からの賜物として感謝をもって受け止められるべきものであり、与えられたすべての恵みに対して、神に感謝と讃美が献げられるべきなのです。それにもかかわらず、この金持ちは豊かさをもって自分自身を神とする罪を犯しました。ここにこそ彼に罪があったのです。それゆえにこそ、主なる神は彼に20節の御言葉でお答えになるのです。「(20) すると神が彼に言われた、『愚かな者よ、あなたの魂は今夜のうちにも取り去られるであろう。そしたら、あなたが用意した物は、だれのものになるのか』。(21)自分のために宝を積んで神に対して富まない者は、これと同じである」。

 

 京都に同志社を創立し、日本各地に伝道して教会を建設した新島襄は、今から158年前の1864(元治元年)に函館からアメリカの貨物船に便乗して密出国し、約1年もの航海を経て18657月にアメリカ東海岸のボストンに着きました。しかし当時のアメリカは南北戦争の直後で経済的に疲弊しており、そのうえリンカーン大統領が暗殺されるなど世情が不安定であったため、新島はせっかくボストンに着きながらも約3ヶ月間ものあいだ狭い船の船室に留められ、全く先行きの見えない不安な状況に置かれていたのです。そのような22歳の青年新島襄に慈愛のまなざしをとめ、全面的な支援の手を差し伸べてくれたのが、新島を乗せてきた船の船主であったアルフュース・ハーディー(Alpheus Hardy)とその妻クララ・ハーディーでした。

 

 このハーディーという人はなかなかの苦労人でして、貧しい家庭に生れ育った人でした。彼は苦学して大学を卒業した後、神学校に入って牧師になるつもりでいたのですが、神の召命に応える道は牧師になることだけではないと気が付きました。当時ボストンに大火事があって、大勢の人たちが家を失ったとき、ハーディーは彼らを助けるために煉瓦と建築資材をフランスから大量に仕入れて格安で販売することによってボストンの再建を助けたのでした。そのことが契機になってハーディーは船運会社を設立し、また、教会においては忠実な長老として、社会の貧しい人々に支援の手を差し伸べ続けた人でした。このハーディーが若き新島襄の後見人また後援者となったことによって、新島は10年間にも及ぶアメリカでの勉学を続けることができましたし、そして帰国後は京都に同志社を設立することができたわけです。(新島襄の英語の正式名はJoseph Hardy Neesimaです)

 

 ハーディーも「金持ち」でした。しかし彼は「愚かな金持ち」ではなく「神に従う金持ち」でした。私たちはどうでしょうか?。私たちは金持ちではないかもしれません。普通の人かもしれません。しかし私たちは「愚かな普通の人」になってはいけないのです。そうではなく、たとえ経済的にはどうであれ、私たちはいつも「神に従う人」になりたいと思うのです。終わりに、ご一緒にピリピ書411節以下をお読みしたいと思います。「(11) わたしは乏しいから、こう言うのではない。わたしは、どんな境遇にあっても、足ることを学んだ。(12)わたしは貧に処する道を知っており、富におる道も知っている。わたしは、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、ありとあらゆる境遇に処する秘けつを心得ている。(13)わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる」。祈りましょう。