説   教       詩篇419   ルカ福音書61216

            「弟子の選びの根拠」 ルカ福音書講解 (39)

             2020・10・04(説教20401876)

 

 今朝の御言葉であるルカ福音書612節と13節をもう一度、口語訳でお読みいたしましょう。「(12)このころ、イエスは祈るために山へ行き、夜を徹して神に祈られた。(13)夜が明けると、弟子たちを呼び寄せ、その中から十二人を選び出し、これに使徒という名をお与えになった」。聖書はえてして、このような単純に見える記述が実は大事なのです。まずここに12節の初めに「このころ」とありますが、それはいったい具体的に、いつ頃のことをさしているのでょうか?。そして次に13節には「夜が明けると、弟子たちを呼び寄せ」とあり「その中から十二人を選び出し、これに使徒という名をお与えになった」とありますが、この時の主イエスの十二弟子選定の根拠となった基準はいったい何でしょうか?。今朝はこの2つの事柄を中心に、共に福音の御言葉を聴いて参りたいと思うのです。

 

 夏目漱石の小説に「それから」という題の作品があります。「こころ」「門」そして「それから」この3つがいわゆる漱石の“三大告白的小説”と呼ばれているわけですが、この「それから」というのはどうも時間的には明確ではないわけでして、それを読む人によって千差万別の「それから」があって宜しい、つまりこの「それから」とは「あなたにとってのそれから」であると漱石は考えていたようです。

 

 少し話が変わりますが、私が26年前まで仕えていました東京の千歳教会の、私の前任牧師であられた上与二郎先生が「あのころ」という題の説教をなさったことがあります。私は今までずいぶんいろいろな説教題を見て参りましたけれども、上先生の「あのころ」というのはとてもユニークな説教題だと今でも思っています。それはまだ上与二郎先生が東京で学生生活をなさっていらした頃、たぶん明治32年か33年頃(1899年か1900年頃)のことなのですが、親友であった森明牧師(哲学者森有正の父上)と共にはじめて植村正久牧師に面会した時の様子を語っておられます。

 

植村牧師の書斎に通されますと、壁一面にずらりと洋書が並んでいたそうです。もちろんその大部分は神学書ですが文学や哲学の本も少なくなかった。そして植村先生は上先生に対して、今日は寒いから火鉢に足を置いて温まるようにと勧められたそうです。この日の出来事を上与二郎先生は振り返って「この日、私は神学という学問に目覚めた」と語っておられます。つまり、植村牧師と初めて出会った日、初めて会話をしたことが、ご自分が牧師を志すようになったきっかけであったと語っておられるわけです。とまれ、植村牧師というかたは神学的な弟子を選ぶのにずいぶん厳しい選定基準を持っておられたようです。事実ご自身が校長を務めていた神学校、つまり東京神学社への入学も容易なことでは許さなかった。非常に狭き門だったのです。(石原謙の逸話)。その厳しい選定基準に上与二郎先生は森明先生と共に合格なさったのだと言って良いでしょう。

 

 さて、それでは、主イエスの12人の弟子たちは、いったいどのような基準で選ばれたのでしょうか?。主イエスがご自分の弟子たちをお選びになったときの選定根拠とは、いったいどのようなものだったのでしょうか?。この大切なことを考えますとき、私たちは改めて12節の御言葉に心を向かわしめられるのです。それは12節に「(12) このころ、イエスは祈るために山へ行き、夜を徹して神に祈られた」とあることです。主イエスは徹夜の祈りをなさるために、大勢の群衆を尻目にたったお一人で山に籠られたのです。私は35年前にイスラエルに参りましたとき、その「山」とはいったいどこにあるのだろうかと探したことがあります。ガリラヤ湖の周囲はなだらかな丘陵に囲まれていますが、ただ2箇所だけ、ガリラヤ湖の北側のゲラサと西側のマグダラには比較的高い岩山が聳え立っています。

 

 私は、ガリラヤ湖を渡る船の上から周囲の景色を眺めまして、なぜかその西側のマグダラ近辺の山こそが、このとき、すなわち「このころ」に主イエスが徹夜して祈りを献げるために籠られた山ではないかという気がしました。実際にそのような雰囲気をマグダラのあたりの山は持っているように感じました。もしもそうだとするなら、その「山」はカペナウムから歩いて2時間か3時間ぐらいの場所です。ゲラサまでは歩けは10時間ぐらいかかるでしょうから、マグダラの山のほうが距離的にも蓋然性が高いように思いました。

 

 そこで、どうか私たちは続く13節以下の御言葉に改めて心を留めましょう。「(13) 夜が明けると、(主イエスは)弟子たちを呼び寄せ、その中から十二人を選び出し、これに使徒という名をお与えになった。(14)すなわち、ペテロとも呼ばれたシモンとその兄弟アンデレ、ヤコブとヨハネ、ピリポとバルトロマイ、(15)マタイとトマス、アルパヨの子ヤコブと、熱心党と呼ばれたシモン、(16)ヤコブの子ユダ、それからイスカリオテのユダ。このユダが裏切者となったのである」。ここで幾つか、弟子の選定基準について仮説を立ててみたいと思います。まず、これらの12人の弟子たちには、他の人たちにはない学問や知識があったから主イエスに選んで戴けたのでしょうか?。その答えはもちろん「否」です。彼らは学問も学歴もない、ごく普通のガリラヤ湖の漁師たちでした。イスカリオテのユダだけは少し学問があったようですが、それでもある程度の計算ができるので、金銭の管理を任されていた、という程度のものだったと思われます。

 

 では、この12人は協調性があったのだと考えるのはどうでしょうか?。たとえ一人びとりの力や知識は小さなものであっても、みんなが一致団結して協力すれば、思わぬ大きな力、優れた知恵が生まれるものです。しかしそれも、彼ら12人には備わっていなかったと言わねばなりません。それは弟子たちの名前と顔ぶれを見ればすぐにわかることです。彼らの中に「熱心党のシモン」がいました。この「熱心党」というのは当時の過激な民族主義者たちでして、今日で言うならタリバンやアルカイダのようなテロリスト集団でした。そうかかと思えば、それとは正反対の立場にあった元取税人のマタイのような人がいたのです。聖書の記述を見ても、弟子たちはたとえば「自分たちの中で誰がいちばん偉いか」を巡って言い争い、喧嘩までしています。とてもではありませんが「協調性」があった人たちではなかったのです。

 

 では、この12人には学問や知識もなく、協調性も無かったけれど、主イエスに対する忠誠心だけは備わっていたのだと考えてみたらどうでしょうか?。たとえ学問や知識がなく、また協調性が無い人々であったとしても、忠誠心において一致することができれば、意外に大きな仕事ができるのではないでしょうか。しかしこの最後の望みも、彼らにとっては無縁だと言わざるをえないのです。何よりも私たちは、十二弟子のリストの最後に「イスカリオテのユダ」がいることを知っています。イスカリオテのユダは、主イエスを銀貨30枚で祭司長らに売った人物です。裏切り者の代名詞です。英語でもドイツ語でも「イスカリオテのユダ」と言えば、それは裏切り者のことを意味するのです。

 

 しかもそれは、イスカリオテのユダだけの罪ではありませんでした。他の11人の弟子たちも、主イエスが十字架にかけられそうになると、恐ろしさのあまりわれ先にと逃げ去ってしまったのです。誰一人として主イエスの十字架の傍らに残った者はいなかったのです。その意味では、十二人全員が裏切り者になったのです。そこには忠誠心など微塵もなかったのです。

 

 それでは、学問も無く知識もない、協調性も無い、最後の頼みである忠誠心さえもない、そのような、弟子たるに相応しい資格などどこにもないと言わざるをえない十二弟子たちが、どうして主イエスによって弟子に選んで戴けたのでしょうか?。まさにその大きな謎を解く唯一の鍵が、先ほど申しましたマグダラの山の中にあるのです。それは何かと申しますと、主イエスがたったお一人で、山の中で、徹夜して主イエスが祈りを献げて下さったことです。12節「(12) このころ、イエスは祈るために山へ行き、夜を徹して神に祈られた」この事実です。ただこの主イエスの徹夜の祈りだけが十二弟子の選びの根拠だったのです。他に如何なる根拠もなかった。主イエスの徹夜の祈りにこめられた、主イエスの御恵みによる選びだけが、十二弟子の選びの唯一の根拠なのです。

 

 これを言い換えるならば、主イエスの弟子としての「相応しさ」は少しも私たち自身の中にあるのではないのです。それはただ主イエスの恵みの選びの中にあるのです。さらに言うなら、私たちの中には救いの根拠は微塵もないのです。私たちの救いの根拠はただ十字架の主イエス・キリストの恵みのみなのです。それが福音の本質です。だから使徒パウロは第二コリント書1130節でこのように語りました。「もし誇らねばならないのなら、わたしは自分の弱さを誇ろう」。そうです、ここに私たちのキリストの弟子たる喜びと幸いがあります。私たちは少しも自分を誇りません。誇ることなどできません。そうではなくて、私たちの(この「誇り」という字はギリシャ語で喜びを意味しますが)誇りはただ十字架の主イエス・キリストなのです。

 

 だから使徒パウロは、同じ第二コリント書の129節と10節でこう語っています。「(9)ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。(10)だから、わたしはキリストのためならば、弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まりとに甘んじよう。なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである」。ここにこそ、私たち主の弟子たちの本当の幸いと自由、喜びと確信があるのです。祈りましょう。