説   教   アモス書413  ルカ福音書43839

            「世界最古の教会」  ルカ福音書講解 (25)

            2020・06・28(説教20261862)

 

 今朝私たちに与えられたルカ福音書438,39節をもういちど口語訳でお読みいたしましょう。「(38)イエスは会堂を出てシモンの家におはいりになった。ところがシモンのしゅうとめが高い熱を病んでいたので、人々は彼女のためにイエスにお願いした。(39)そこで、イエスはそのまくらもとに立って、熱が引くように命じられると、熱は引き、女はすぐに起き上がって、彼らをもてなした」。

 

 この御言葉は、一連の出来事として見るならばまことに単純です。主イエスはガリラヤ湖畔のカペナウムという村の会堂で2度目の説教をなさいました。故郷ナザレでの最初の説教とは違って、カペナウムでは人々の熱烈な歓迎を受けたのです。多くの家の人たちが「ぜひわが家に来てお泊り下さい」と主イエスに懇望したのです。主イエスはしかし、シモン・ペテロの家にお泊りになられた。これはおそらく、カペナウムの村の人たちが主イエスをその家に案内したものと思われます。

 

 なぜなら、そのシモン・ペテロの家では「シモンのしゅうとめが高い熱を病んでいた」からです。そこには家族の者たちや村人たちがいて、この姑の看病をしていましした。そして38節の終わりには「人々は彼女のためにイエスにお願いした」と記されています。もちろん、人々は主イエスにこの姑の熱病の癒しを願ったのです。イエス様、あなた様ならかならずこの人の熱病を癒して下さると私たちは信じています。どうか彼女の病気を癒してやって下さいとお願いしたのです。

 

 そしてその結果、そこに何が起こったのでしょうか?。どうぞ39節をそのままご覧ください。「(39)そこで、イエスはそのまくらもとに立って、熱が引くように命じられると、熱は引き、女はすぐに起き上がって、彼らをもてなした」。つまりこういうことです。主イエスはこの姑が寝ている部屋にお入りになり、人々が見ている前で「そのまくらもとに立って、熱が引くように命じられ」たのです。これはどういうことかと申しますと、病気に向かって「彼女から立ち去れ」とお命じになったのです。そういたしますと、彼女の病気はたちどころに治りまして「女はすぐに起き上がって、彼らをもてなした」のでした。これが一連の出来事の流れです。

 

 そこで、この一連の出来事は、私たちにどのような福音を物語っているのでしょうか?。幾つかのことをご一緒に心に留めたいと思います。まず最初に、主イエスは病人のいる家をわざわざお選びになって、そこにお泊りになられたという事実です。もし私たちの立場だったならどうでしょうか?。私たちなら「そのような病人のいる家に泊まるのは遠慮したい」と思うのではないでしょうか?。少なくとも歓迎はされないだろうと予測するのが普通の人情ではないでしょうか。しかし主イエスは何の躊躇いも屈託もなくシモン・ペテロの家の客になられたのです。それはまさに、そこに一人の女性が(シモンの姑が)熱病に苦しんでいたからです。主は最も苦しんでいる人の傍らにこそ、共にいて下さるかたなのです。

 

 そして主は最初に彼女の病室にお入りになり、そこに居合わせた大勢の人たちの前で「そのまくらもとに立って、熱が引くように命じられ」ました。主イエスは真の神の永遠の御子であられますから、あらゆる被造物を御言葉によってご支配下さる救い主なのです。だから主イエスは熱病に向かって「彼女から立ち去れ」とお命じになることのできる唯一のかたなのです。聖なる神の救いの権威をもって、主は私たちのもとにも来て下さる。そして私たちの傍らにお立ち下さるかたなのです。

 

 熱病はとても辛いものです。意識さえ朦朧として、息も絶え絶えになり、いまにも生命の炎が消えなんとするその時、主イエスはその苦しむ人のかたわらにお立ちになり、聖なる神の救いの権威をもって熱病に「彼女から立ち去れ」とお命じ下さいます。そこに驚くべき癒しの出来事が、否、救いの出来事が起こりました。そのことが今朝の御言葉の最後の一行によってはっきりと示されています。すなわち「熱は引き、女はすぐに起き上がって、彼らをもてなした」とあることです。もちろんこの「女」というのはシモン・ペテロの姑のことです。彼女は苦しい熱病から、死の病から主イエスによって癒して戴いた、救って戴いた、その感謝と喜びを、主イエスと弟子たちを「もてなす」ことによって現したのでした。

 

 そこで、ここに「もてなした」と訳された元々のギリシヤ語は今もなお継続する出来事をあらわすテンス(時制)で書かれています。つまり、シモンの姑が主イエスの一行を「もてなした」その出来事、その奉仕のわざは、現在もなお継続しているのだということを示しているわけです。これはどういうことなのでしょうか?。

 

 私は約30年前にイスラエルのカペナウムを訪れたことがあります。対岸のティベリアスという町から船に乗ってガリラヤ湖を渡ってカペナウムに行きました。その船はちょうど真名瀬あたりに停泊している漁船ぐらいの大きさで、私の他にスウェーデンから旅行に来た20名ほどの人たちが乗っていました。するとその中の一人が突然、船の進行方向左側、ガリラヤ湖の北側に見える小高い岩山を指さして何か意味ありげに語っているのです。私が傍にいた人にその言葉の意味を訊ねましたら、あの岩山のちょうど下あたりがマグダラの村だというのです。そこで私は、ああそうか、マグダラのマリアの出身地はカペナウムにこんなに近いのだと実感したのです。

 

 なにを言いたかったかと申しますと、このルカ福音書に何度も出て参りますけれども、皆さんもよくご存じのマグダラのマリア、主イエスによって「七つの悪霊を追い出して戴いた」マグダラのマリアも、この日シモン・ペテロの家にいた可能性は大きいと思うのです。そして熱病を癒して戴いたシモンの姑と一緒に、彼女を助けて、主イエスの一行を喜んで「もてなした」のではなかったでしょうか。そしてこのシモンの姑も、マグダラのマリアも、主イエスが十字架におかかりになったとき、最後まで主イエスの傍らから離れずにいた女性たちでした。主イエスの弟子たちが恐ろしさのあまりみな逃げてしまったゴルゴタの丘に、ただこうした数名の女性たちだけが最後まで付き従っていたのです。

 

 そこでこそ、どうか心に留めましょう。私たちの教会は、私たちの葉山教会は、まさにこの今なお継続する「主イエスへのもてなし」の延長線上にある群れとして、十字架の主イエス・キリストの傍らに最後まで付き従う群れとして、ここに建てられているのです。

 

私が乗った船は、やがてカペナウムの小さな港の桟橋に着きました。そこから歩いて分の所にカペナウムの村があります。現在そこはキブツというイスラエルの共同農場になっていまして、モダンな住宅が立ち並んでいますけれども、そこから数百メートル離れた場所に、主イエスの時代のカペナウムの遺跡と会堂(シナゴーグ)の跡が遺っています。キブツでオレンジジュースを飲んだ後で、もちろん私はそのカペナウムの遺跡を訪ねました。するとまさに今朝の御言葉の舞台であった場所、シモン・ペテロの家の土台だけが残っていました。そこに小さな立札がありまして、これはイスラエル中どこに行っても重要な遺跡には同じ規格の立札がありまして、上から順にヘブライ語、英語、ドイツ語、アラビア語の4つの言語で同じことが書いてあるのですけれども、そのシモン・ペテロの家の遺跡にはなんて書いてあったかと言いますと「ここに世界最古の教会が建てられた」と書いてあったのです。

 

 私はそれを読んで感心しました。イスラエル政府観光庁もなかなか粋なことを書くものだと思いました。「ここに世界最古の教会が建てられた」。その「ここ」というのは何でしょうか?。ただ単に場所のことなのでしょうか?。そうではないと思います。それは今朝の御言葉にはっきりと示されていました。主イエスによって救われたシモン・ペテロの姑が、感謝と共に喜んで起き上がり、主イエスの一行を「もてなした」ところ、まさにその「もてなし」が、生ける主イエス・キリストに対する奉仕のわざこそが、礼拝こそが、教会の本質なのです。

 

 そして、それを私たちに行わしめたのは主イエス・キリストの十字架による救いの出来事です。それならば「世界最古の教会」の礎は十字架の主イエス・キリストご自身なのです。そこに私たちの葉山教会も建てられている。そして私たちがただ恵みによって招き集められ、礼拝の群れとされている。主イエスを「喜びもてなす」群れとして立てられている。そこに私たちの変わらぬ喜びがあり、感謝と幸いがあり、勇気と力があることを覚えます。祈りましょう。