説    教      詩篇6212節   ルカ福音書23638

                「預言者アンナ」 ルカ福音書講解 (5)

                2020・02・02(説教20051841)

 

 今朝お読みしましたルカ福音書236節以下に、このように記されておりました。「(36)また、アセル族のパヌエルの娘で、アンナという女預言者がいた。彼女は非常に年をとっていた。むすめ時代にとついで、七年間だけ夫と共に住み、(37)その後やもめぐらしをし、八十四歳になっていた。そして宮を離れずに夜も昼も断食と祈とをもって神に仕えていた。(38)この老女も、ちょうどそのとき近寄ってきて、神に感謝をささげ、そしてこの幼な子のことを、エルサレムの救を待ち望んでいるすべての人々に語りきかせた」。

 

 私たちは「預言者」と聴きますと、それは男性だけで、しかも旧約聖書に出てくる人物のみであると、勝手に思いこんでいます。しかし、今朝の御言葉に出て参ります預言者アンナは女性であり、しかも新約聖書に出てくる預言者なのです。この事実はとても大切なメッセージを私たちに告げています。第一に、預言者の務めには男と女の区別はないということ。第二に、預言者の務めは過去のものではなく、新約聖書の中にも、つまり私たちの現在の教会の中にも「預言者」の務めはあるのだということです。

 

 そこで36節を改めて心に留めましょう。「(36)また、アセル族のパヌエルの娘で、アンナという女預言者がいた。彼女は非常に年をとっていた」。イスラエルの十二部族のひとつ、アセル族の家系に属するアンナという老婦人がいたのです。この女性についてルカは「女預言者」であったと記しています。わざわざ「女預言者」と語られているのは、アンナが女性だから特別だという意味ではなく、むしろ旧約の時代に既に「女預言者」という職務があったからです。それは神の御言葉を宣べ伝える神の教会に仕える奉仕の務めでした。

 

 この「女預言者」アンナは、今朝の36節と37節によりますと「…むすめ時代にとついで、七年間だけ夫と共に住み、(37)その後やもめぐらしをし、八十四歳になっていた。そして宮を離れずに夜も昼も断食と祈とをもって神に仕えていた」と記されています。当時のイスラエル社会では、女性はだいたい15歳か16歳ぐらいで結婚していました。ですから「七年間だけ夫と共に住み、(37)その後やもめぐらしをし、八十四歳になっていた」と言いますのは、このアンナという人が少なくとも60年以上ものあいだ「宮を離れずに夜も昼も断食と祈とをもって神に仕えていた」事実を示しています。これは大変なことではないでしょうか。文字どおり彼女の生涯は片時も主の教会から離れず「断食と祈とをもって神に仕えていた」神の僕「主のはしため」としての人生だったのです。

 

 私たちもまた、そのような人を知っているのではないでしょうか?。私たちの教会にもアンナと同じような「女預言者」たちがいたし、今もなおその職務を担ってくれている婦人がいるのではないでしょうか。私が、過去の人だけを申しますけれども、すぐにお顔を思い浮かべるのは、たとえば天に召された宮ア登美子さん、また三橋敏代さん、中田寿子さん、といった人たちのことです。特に三橋敏代さんは現代における「女預言者アンナ」とも言うべき人でした。私はこのような婦人たちの陰日向なきご奉仕によってどれほど拙い牧会を支えて戴いたか、感謝を申し述べる言葉すら見つからないほどです。こうした現代における「女預言者アンナ」の奉仕のわざあってこそ、私たちの葉山教会は主に祝福された群れであり続けることができたのです。

 

 そこで、今朝の御言葉の38節にはこのようなことが記されています。「(38)この老女も、ちょうどそのとき近寄ってきて、神に感謝をささげ、そしてこの幼な子のことを、エルサレムの救を待ち望んでいるすべての人々に語りきかせた」。84歳の女性のことを「老女」と呼ぶのは今日いささか憚られるものがありますが、私が言っているのではなく聖書が言っているのです。場面はまさに大祭司シメオンが幼子イエスを抱いて祝福し「シメオンの讃歌」を歌い上げたその時でした。この「女預言者アンナ」も幼子イエスとヨセフとマリアに「近寄ってきて、神に感謝をささげ」たのでした。さすがは「女預言者アンナ」と言うべきでしょう。彼女は一目でこの幼子イエスがキリスト(全人類の救い主)であられることを見抜いたのです。

 

 そして、アンナの素晴らしさはそれだけで終わらないのです。彼女はこの幼子イエスがキリストであられることを「エルサレムの救を待ち望んでいるすべての人々に語りきかせた」のでした。この「すべての人々」というのは文字どおり礼拝のために神殿に(教会に)来た全ての人々です。そういたしますと、この「語りきかせた」というのは実は礼拝説教のことだということがわかるのです。アンナは大祭司でも祭司でもなく一介の「女預言者」ですから、礼拝をつかさどるということはしないのです。しかし彼女は説教をしたのです。この伝統は今日でも改革長老教会に残っいまして、たとえばイギリスやスコットランドの改革長老教会で、牧師ではないのですが信徒で礼拝説教を奉仕する女性のことを「信徒説教者」“lay preacher”と言います。天に召されたドロシー・ブリトンさんの叔母様であったイザベル・レンデルさんはこのレイ・プリーチャーでした。

 

 私はあるとき、イザベル・レンデルさんが100歳の時にウェルズ(Wells)の教会で語られた説教原稿を戴いて読んだことがあるのですが、それは驚くほど立派な良い説教でした。長い説教でした。私の説教より長いと思いました。聖書の御言葉を忠実に解き明かす講解説教でした。私はその翌日レンデルさんにお会いして「あなたの説教はとても素晴らしい。今でもイギリスの教会では牧師もこのような長い講解説教をしているのですか?」と訊ねましたら、レンデルさんはちょっと困ったような顔をなさっていました。私はそのとき思いました。レイ・プリーチャーなればこその説教の深みというものがあるのだ。そしてすぐに連想したのが今朝の御言葉の「女預言者アンナ」のことです。彼女は礼拝に出席した大勢の人たち「エルサレムの救を待ち望んでいるすべての人々」に、ベツレヘムの馬小屋にお生まれになった幼子イエスこそキリスト(救い主)であられることを「語りきかせた」のです。その言葉は、その説教は、とても素晴らしいものであったと私は思います。長い説教であったかもしれません。

 

 今朝あわせてお読みした旧約聖書・詩篇第6212節に、このようにございました。「(1)わが魂はもだしてただ神をまつ。わが救は神から来る。(2)神こそわが岩、わが救、わが高きやぐらである。わたしはいたく動かされることはない」。この最後の「いたく動かされることはない」という日本語の使いかたは一般的ではありません。これはどういうことかと言いますと、私たちの人生は、アンナの人生は、時に激しい嵐にも見舞われるのです。人生の苦難や悲しみが暴風のように吹き荒れるとき、私たちは倒れそうになります。アンナも同じでした。主の教会に仕え続けて60年以上の彼女の人生もまた、数々の苦難や悲しみから無縁なものではなかったのです。しかしそのような嵐の日にも、アンナは確信することができました。それこそ2節にあるように「(2)神こそわが岩、わが救、わが高きやぐらである。わたしはいたく動かされることはない」という事実です。

 

 だからこそ、アンナはその全生涯を通じて「わが魂はもだしてただ神をまつ。わが救は神から来る」ことを証し続けたのでした。実は私たちのキリスト教会では、その2000年の歴史の中で最初の約50年間は「牧師」のことを「預言者」と呼んでいたのをご存知でしょうか。それこそまさに、旧約以来の信仰の伝統を私たちの教会はそのまま受継いでいるのだという信仰告白によるものです。もし使徒パウロやペテロの時代に週報があったとしたら、その週報には「本日の説教者は預言者パウロ先生です」「説教・預言者ペテロ」などと書かれていたに違いないのです。西暦50年にエルサレム使徒会議という教会会議が行われまして、そこでおもに3つの重要なことが決議されました。@救いはユダヤ人だけのものではなく、全ての人たちが救いへと招かれている。A今後は礼拝の日を土曜日ではなく日曜日(主の御復活の日)とする。Bこれからは預言者ではなく牧師と呼ぶことにする。この3項目でした。

 

 いわば、私たちの葉山教会も、約2000年前の「エルサレム使徒会議」の決定事項をそのまま守って今日に至っているわけです。今朝のアンナはその「エルサレム使徒会議」が行われる約50年前の人ですけれども、主なる神はこの「女預言者アンナ」の信仰の系譜に、信仰生活の喜びと幸いに、ここに集うている私たち一人びとりをも連ならせて下さっているのではないでしょうか。どうぞ自覚をもって新しい一週間の旅路を始めたいと思います。主なる神は私たち一人びとりをも「預言者」として立てていて下さいます。神の言葉を預かり、養われつつ、御言葉に生きる幸いと自由を全ての人々に宣べ伝え、祝福と執成しを祈り続ける「預言者」の務めに、主の教会に生きる僕らの務めに、私たちもまた、生き続けて参りたいと思います。祈りましょう。