説    教      イザヤ書1110節  ルカ福音書21314

               「クリスマスの喜び」 2019 聖夜礼拝

               2019・12・24(説教19511835)

 

 クリスマス、おめでとうございます。クリスマスは誰もがご存知のようにイエス・キリストがご降誕なされた日です。旧約聖書の預言者イザヤの書96節に、この主イエス・キリストの御降誕について、このように告げられています。「(6)ひとりのみどりごがわれわれのために生れた、ひとりの男の子がわれわれに与えられた。まつりごとはその肩にあり、その名は、「霊妙なる議士、大能の神、とこしえの父、平和の君」ととなえられる」。

 

 クリスマスは、ここでイザヤが告げているように、まさしく「ひとりの男の子」すなわち神の御子イエス・キリストが、全世界の全ての人々の救いのために、私たち全ての者のために、神から与えられた日なのです。そしてそのかたは「『霊妙なる議士、大能の神、とこしえの父、平和の君』ととなえられる」と言うのです。ここで私たちが気をつけたいのは「霊妙なる議士」という不思議な言葉です。「議士」とは代議士のことです。しかし、ただの代議士ではありません。元々のヘブライ語では「矢面に立ってあなたを守って下さるかた」という意味の言葉です。「矢面に立ってあなたを守って下さるかた」すなわち、私たちに生命を与えて下さるかたが、お生まれになった日、それがクリスマスなのです。

 

 ですからこのかたは、主イエス・キリストは、全く無防備なお姿で、もっとも弱いお姿で、この世に来て下さいました。お生まれになったのは、ユダヤのベツレヘムという町の、町外れの馬小屋の中でした。馬小屋の飼葉桶を揺りかご代わりにして、マリアとヨセフ、牛や羊やロバや鶏に囲まれて、世界で最も貧しく、寒く、暗く、低く、惨めな場所に、主はお生まれ下さいました。私たち全ての者を「矢面に立って」守って下さり、生命を与えて下さるためです。全ての者に救いを与えて下さるためです。全ての人の「矢面」にお立ちになるのですから、このかたは、世界で最も無防備なお姿でお生まれ下さったのです。それがクリスマスの出来事でした。

 

 カール・バルトというスイスの神学者が、クリスマスのこの出来事を、このように語っています。「クリスマスの出来事の中に、私たちは、あたかも写真の重ね写しのように、ベツレヘムの馬小屋の、貧しいけれども平和で温かい風景の向こうに、あの恐ろしい十字架が立っているのを見るのだ」。

 

 まさに、バルトの言うとおりではないでしょうか。私たちはクリスマスの、貧しいけれども平和で温かい、馬小屋の情景だけを見て、そして家に帰るのではないと思うのです。私たちはクリスマスの情景の、その向こう側に、あたかも写真の重ね写しのように「あの恐ろしい十字架が立っているのを見る」のです。なぜでしょうか?。まことにこのかただけが、主イエス・キリストだけが、イザヤの言う「ひとりの男の子」だけが、私たち全ての者の罪を担って、十字架におかかりになり、こ自分の全てをささげて、贖いとなって下さるために、お生まれ下さったかただからです。

 

 「霊妙なる議士」とは「矢面に立ってあなたを守って下さるかた」という意味だと申しました。この不思議な名前こそイエス・キリストの別名なのです。「霊妙なる」とは「神から世に遣わされた」という意味です。それなら「霊妙なる議士」とは「神から世に遣わされた、矢面に立ってあなたを守って下さるかた」という意味です。クリスマスとは、まさにそのような救い主が、全ての人のためにお生まれになった日なのです。だからこそ、そこには限りない喜びがありました。感謝と讃美がありました。ただ「嬉しい」というだけの喜びではないのです。そこにお生まれ下さったかたは「矢面に立ってあなたを守って下さるかた」なのです。主イエス・キリストの御降誕を喜び迎える私たちに、もう罪と死の支配は力をふるうことはできません。十字架の主イエス・キリストが矢面に立ってあなたを守って下さるからです。この「ひとりの男の子」はそのためにお生まれになったからです。

 

 「いと高きところでは、神に栄光があるように、地の上では、み心にかなう人々に平和があるように」。さきほど、このルカ福音書213,14節をご一緒にお読みしました。イザヤ書1110節には「その日、エッサイの根が立って、もろもろの民の旗となり、もろもろの国びとはこれに尋ね求め、その置かれる所に栄光がある」と告げられていました。御子イエスが御降誕されたのは、私たちのただ中であります。私たちの日々の現実のただ中です。そこで「矢面に立ってあなたを守って下さる」ために、このかたは、世界で最も低く、暗く、寒く、貧しく、惨めなところに、お生まれ下さったのです。

 

だからこそ、私たちは全世界の人々と共に「クリスマスおめでとう」と祝福の挨拶を交わします。主は、あなたの生活のただ中に、救い主として、お生まれ下さったかた、キリストであられるからです。祈りましょう。