説    教      ゼカリヤ書21011節  ピリピ書41416

               「欠乏を満たしたもう神」 ピリピ書講解(44

               2019・11・24(説教19471830)

 

 今朝、私たちに与えられたピリピ書414節から16節の御言葉を、改めてもういちどお読みしましょう。「(14)しかし、あなたがたは、よくもわたしと患難を共にしてくれた。(15)ピリピの人たちよ。あなたがたも知っているとおり、わたしが福音を宣伝し始めたころ、マケドニヤから出かけて行った時、物のやりとりをしてわたしの働きに参加した教会は、あなたがたのほかには全く無かった。(16)またテサロニケでも、一再ならず、物を送ってわたしの欠乏を補ってくれた」。

 

 ここに使徒パウロは、愛するピリピの教会の兄弟姉妹たちに対して、主にある心からの感謝と喜びを言い表しています。それはおもに3つの事柄に対してでした。第一に14節にあるように、ピリピの教会の兄弟姉妹たちが、獄中にあって苦難の中にある使徒パウロを助けて「よくもわたしと患難を共にしてくれた」こと。第二に「わたしが福音を宣伝し始めたころ、マケドニヤから出かけて行った時、物のやりとりをしてわたしの働きに参加した教会は、あなたがたのほかには全く無かった」こと。第三に「またテサロニケでも、一再ならず、物を送ってわたしの欠乏を補ってくれた」ことです。そこで私たちは、使徒パウロ語るこれら3つの「主にある感謝と喜び」について、最初から順に心に留めて参りたいと思います。

 

まず、ピリピの教会の兄弟姉妹たちが、ローマの獄中にある使徒パウロの伝道のわざを支援するために「患難を共にしてくれた」ことですが、この「患難」という字は読んで字の如く「患いと困難」を意味します。原文のギリシヤ語でもほぼ同じ意味合いの言葉です。ローマの獄中におけるパウロの伝道のわざに、ただ単に様々な困難や障害や苦労があったというだけではない。それらに加えて数々の「患い」があったのです。私たちはここで、第二コリント書1124節以下の御言葉を思い起こすことができるでしょう。パウロが伝道旅行の中で遭遇した数々の「患難」を数え上げているところです。

 

(24)ユダヤ人から四十に一つ足りないむちを受けたことが五度、(25)ローマ人にむちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度、そして、一昼夜、海の上を漂ったこともある。(26)幾たびも旅をし、川の難、盗賊の難、同国民の難、異邦人の難、都会の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難に会い、(27)労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢えかわき、しばしば食物がなく、寒さに凍え、裸でいたこともあった。(28)なおいろいろの事があった外に、日々わたしに迫って来る諸教会の心配ごとがある」。

 

ここで大切なことは、パウロはこの28節に「なおいろいろの事があった外に、日々わたしに迫って来る諸教会の心配ごとがある」と語っていることです。まさにこれこそ今朝のピリピ書414節の「患難」の意味なのです。そしてさらに大切なことは、そのような「諸教会の心配ごと」を、いつも使徒パウロが一人で背負わねばならなかったというのではない、そうではなく、愛するピリピの教会の兄弟姉妹たちが「よくも患難を共にしてくれた」つまりその「諸教会の心配ごと」をピリピの教会の信徒たちが「共に担ってくれた」というのです。それこそが「しかし、あなたがたは、よくもわたしと患難を共にしてくれた」という言葉の意味する事柄なのです。

 

 最近よく耳にする言葉に「ブラック企業」というものがあります。「あの会社はブラックだ」と言えば、あそこは社員に過酷で理不尽な労働を強いるところだから「そんな会社に決して就職してはならない」という意味になります。しかし、実はこの世界で一番のブラック企業は教会なのではなかと思うのです。半ば冗談、半ば本気でこのように言うのですが、この世界で牧師の職務ほどブラックなものはないと思うのです。@36524時間休みなく続く職務であり、A「諸教会の心配ごと」が容赦なく降りかかり、Bどんなに理不尽な働きを強いられても、主なる神に対していかなる言い訳も言い逃れもできない職務である。この3点だけでも究極のブラック企業と言えるのではないでしょうか。あ、Cを忘れていました。「ひとたび召されたら生涯この職務から解放されることはない」ということです。まさに「ブラックここに極まれり」です。

 

 そのような使徒パウロの「ブラックな」職務にまつわる数々の「患難」を、ピリピの教会の信徒たちが「共にしてくれた」と言うのです。この「共にする」という言葉は元々「ひとつのくびきを共に担う」という意味の言葉です。ピリピの教会の人々が、パウロが担う「キリストのくびき」を共に担う人々になってくれた。文字どおりの「同労者」になってくれたというのです。そのとき「諸教会の心配ごと」ももはやブラックではなくなるのです。主の御業に仕える喜びと幸いの歩みに変えられるのです。その主にある感謝と喜びを使徒パウロはまず14節で言い表しているのです。「しかし、あなたがたは、よくもわたしと患難を共にしてくれた」。

 

 次に15節に心を留めましょう。「ピリピの人たちよ。あなたがたも知っているとおり、わたしが福音を宣伝し始めたころ、マケドニヤから出かけて行った時、物のやりとりをしてわたしの働きに参加した教会は、あなたがたのほかには全く無かった」とあることです。この御言葉に対応する記録として、私たちはがすぐに思い起こすのは使徒行伝16章です。特にその6節以下にこのように記されています。「(6)それから彼らは、アジヤで御言を語ることを聖霊に禁じられたので、フルギヤ・ガラテヤ地方をとおって行った。(7)そして、ムシヤのあたりにきてから、ビテニヤに進んで行こうとしたところ、イエスの御霊がこれを許さなかった。(8)それで、ムシヤを通過して、トロアスに下って行った。(9)ここで夜、パウロは一つの幻を見た。ひとりのマケドニヤ人が立って、「マケドニヤに渡ってきて、わたしたちを助けて下さい」と、彼に懇願するのであった。(10)パウロがこの幻を見た時、これは彼らに福音を伝えるために、神がわたしたちをお招きになったのだと確信して、わたしたちは、ただちにマケドニヤに渡って行くことにした」。

 

 パウロの伝道の生涯を見るとき、それは常に“聖霊なる神に導かれての歩み”であったことがわかります。パウロは自分の思いや計画ではなく、どこに主の御心があるか、なにが神のご意志でありご計画であるか、いつもそのことを第一にしていました。エーゲ海を渡ってマケドニヤ、つまりヨーロッパ大陸に福音を宣べ伝えんと決心したのも、まさに聖霊なる神の導きによるものでした。そして「マケドニヤ第一の都市」であったピリピでルデヤという女性の一家に出会い、彼女とその家族に洗礼を授けたことがヨーロッパにおける福音宣教の最初となったのです。まさにそのルデヤの家での家庭集会がピリピ教会へと成長したのでした。

 

 ということは、今朝の御言葉の15節でパウロが「わたしが福音を宣伝し始めたころ、マケドニヤから出かけて行った時、物のやりとりをしてわたしの働きに参加した教会は、あなたがたのほかには全く無かった」と言うのは、まさにこのルデヤの家の家庭集会から誕生したピリピの教会が、その後もずっと変わることなくパウロによる伝道のわざを“時と力と宝とを献げて”応援し支援し続けたことを物語っているのです。既に幾度も申しましたが、ピリピの教会は経済的には貧しい教会でした。しかしこの貧しいピリピの教会が、パウロの伝道のわざを、どんなに苦しい時にも変わることなく支え続ける群れとなったのです。このことをパウロは心から主に在りて喜び感謝しているのです。

 

 最後に今朝の16節に心を留めましょう。「またテサロニケでも、一再ならず、物を送ってわたしの欠乏を補ってくれた」とあることです。このことについて、先ほどの使徒行伝は続く171節以下においてパウロのテサロニケ伝道の様子を語っています。「(1)一行は、アムピポリスとアポロニヤとをとおって、テサロニケに行った。ここにはユダヤ人の会堂があった。(2)パウロは例によって、その会堂にはいって行って、三つの安息日にわたり、聖書に基いて彼らと論じ、(3)キリストは必ず苦難を受け、そして死人の中からよみがえるべきこと、また「わたしがあなたがたに伝えているこのイエスこそは、キリストである」とのことを、説明もし論証もした」。

 

 テサロニケ伝道の特徴は教理的な説教の姿勢です。「教理的な」と言いますのは、御言葉の力に自らのわざの全てを委ねて、大胆果敢に、包み隠すことなく、力強く、ただ十字架と復活の主イエス・キリストの福音のみを語り告げたことです。ここで私たちはテサロニケ人への第一の手紙の冒頭の12節から10節を心に留めたいと思います。「(2)わたしたちは祈の時にあなたがたを覚え、あなたがた一同のことを、いつも神に感謝し、(3)あなたがたの信仰の働きと、愛の労苦と、わたしたちの主イエス・キリストに対する望みの忍耐とを、わたしたちの父なる神のみまえに、絶えず思い起している。(4)神に愛されている兄弟たちよ。わたしたちは、あなたがたが神に選ばれていることを知っている。(5)なぜなら、わたしたちの福音があなたがたに伝えられたとき、それは言葉だけによらず、力と聖霊と強い確信とによったからである。わたしたちが、あなたがたの間で、みんなのためにどんなことをしたか、あなたがたの知っているとおりである。(6)そしてあなたがたは、多くの患難の中で、聖霊による喜びをもって御言を受けいれ、わたしたちと主とにならう者となり、(7)こうして、マケドニヤとアカヤとにいる信者全体の模範になった。(8)すなわち、主の言葉はあなたがたから出て、ただマケドニヤとアカヤとに響きわたっているばかりではなく、至るところで、神に対するあなたがたの信仰のことが言いひろめられたので、これについては何も述べる必要はないほどである。(9)わたしたちが、どんなにしてあなたがたの所にはいって行ったか、また、あなたがたが、どんなにして偶像を捨てて神に立ち帰り、生けるまことの神に仕えるようになり、(10)そして、死人の中からよみがえった神の御子、すなわち、わたしたちをきたるべき怒りから救い出して下さるイエスが、天から下ってこられるのを待つようになったかを、彼ら自身が言いひろめているのである」。

 

 これはテサロニケ教会の兄弟姉妹たちに宛てて書かれた手紙ですが、このパウロのテサロニケ伝道を支えたのがピリビの教会であったことを思いますとき、ここに言い表された感謝と喜びは同時に、ピリピの教会の兄弟姉妹たちに対するものと同じであったと思うのです。ここで特に覚えたいのは8節です。「すなわち、主の言葉はあなたがたから出て、ただマケドニヤとアカヤとに響きわたっているばかりではなく、至るところで、神に対するあなたがたの信仰のことが言いひろめられた」とあることです。ここにこそ、パウロがテサロニケの、そしてピリピの教会の信徒たちと共有する祝福と幸いがあったのではないでしょうか。神の言葉が、神の御言葉による唯一まことの救いが、至るところの町々村々に宣べ伝えられ、そこで「響き渡って」いることです。そして諸教会の「神に対する信仰のことが」まだ救いを知らない全ての人たちに「言い広められ」ていることです。

 

まさにこのことを、御言葉の宣教の前進をこそ、使徒パウロはピリピの教会の愛するすべての人々と共に、主にありて感謝し喜ぶ祝福と幸いを与えられたのです。だからこそ感謝の言葉に始まり、感謝の言葉で締め括られているのです。私たちも同じ祝福と幸いを戴いているのではないでしょうか。もはや教会はブラック企業ではありえないのです。究極のブラックである罪と死の支配を打ち砕き、御国の幸いと自由と喜びを世に現す「聖徒の交わり」すなわち究極のホワイト企業、天の御国の地上における営業所、それが私たちのこの教会なのです。祈りましょう。