説    教      箴言1317節    ピリピ書21924

              「練達の使徒テモテ」 ピリピ書講解(20

              2019・05・26(説教19211804)

 

 私たちが聖書を読むとき、有益なひとつの方法は、文章の中に繰返し出てくる言葉に注目し、それを手掛かりに文章全体を読み解くことです。いま、そのような視点をもって今朝のピリピ書219節以下の御言葉を読むとき、私たちは19節に「主イエスにあって」また24節に「主にあって」という言葉が繰返されていることに気が付きます。

 

そこで、使徒パウロはどのような思いで、愛するピリピの人々に、この「主イエスにあって」という言葉を書き送っているのでしょうか?。パウロがこのような言葉を書くとき、それは単なる社交辞令ではありえません。この「あって」とは「堅く結ばれている」という意味ですから「主イエスにあって」とは「教会によって主イエスにいつも堅く結ばれている」という意味になります。つまり、私たち人間がただそこにおいてのみ真実に生き、かつ死ぬことができる神の恵みを現しているのです。それこそ私たちが自分の全存在をかけて喜びをもって語りうる言葉なのです。

 

 そこで改めて19節に心を留めましょう。「さて、わたしは、まもなくテモテをあなたがたのところに送りたいと、主イエスにあって願っている。それは、あなたがたの様子を知って、わたしも力づけられたいからである」。さらに24節を見ますと「わたし自身もまもなく行けるものと、主にあって確信している」と記されています。パウロはこのピリピ書をローマの獄中で書いているのですけれども、パウロの切なる願いは、ローマから再度ピリピの教会を訪問し、様々な問題や混乱の中にあったピリピの教会員たちを励まし慰め力づけ、神の御言葉の光による問題の解決に至らせたいという願いでした。しかし現実問題として、パウロがローマの牢獄から解放される兆しはありませんでした。

 

そこでパウロは、自分の身代わり(名代)として、愛する同労者・若き使徒であるテモテをローマの獄中からピリピに送ることにしたのです。それは19節に「あなたがたの様子を知って、わたしも力づけられたいからである」とあるように、テモテを「問安使」として派遣することにより、愛するピリピの教会の人々と共に、福音の慰めと御言葉の豊かさに与かりたいと願ったからでした。それこそ19節にあるように「主イエスにあって願っている」祈りでした。いわばテモテは、パウロとピリピの教会相互の祈りの伝達者(問安使)として立てられ、遣わされたのです。

 

 そこで、改めて20節以下を読みましょう。テモテのような心で、親身になってあなたがたのことを心配している者は、ほかにひとりもない。人はみな、自分のことを求めるだけで、キリスト・イエスのことは求めていない。しかし、テモテの錬達ぶりは、あなたがたの知っているとおりである。すなわち、子が父に対するようにして、わたしと一緒に福音に仕えてきたのである」。ここに「テモテの練達ぶり」という印象的な言葉が出てきます。もともとこの「練達」とは軍隊用語でして、指揮官の命令に忠実に従うことを意味しました。では教会の指揮官とは誰のことでしょうか?。それこそ主イエス・キリストにほかなりません。もし教会が、そして教会に連なる私たちが、指揮官である主イエス・キリストの指揮命令系統を無視して聴き従わず、自分勝手な言動に生きるならば、主の教会は混乱し、主なる神の御業ではなく、私たちの勝手な思いや願いが教会を支配するようになるでしょう。

 

 言い換えるなら、それこそまさしくピリピの教会が直面していた問題の本質でした。オーケストラの演奏に譬えるなら、指揮者のコンダクトを無視して、楽団員がめいめい勝手な曲を勝手なテンポで演奏していたようなものです。ピリピの教会はそのような無秩序(discord=不協和音)状態にあったのです。教会員各自が指揮系統を見失い、群雄割拠して自分の考えを高歌放吟する、まるで梁山泊のような無政府状態に陥っていたのです。このままではピリピの教会は「キリストの御身体」であることを失い、歴史の流れ世の趨勢に呑み込まれて雨散霧消してしまうでしょう。この問題を解決するためにこそ、テモテがパウロの名代として立てられ、ピリピの教会に遣わされたのでした。

 

 さて、テモテという人はパウロよりも20歳ほど年若く、小アジヤ(今日のトルコ南部)のルステラという街の出身、ギリシヤ人の父とユダヤ人の母のもと、信仰ぶかく教養ある家庭で育てられた青年でした。彼はパウロの第二回伝道旅行以降の全ての伝道旅行に同行し、パウロと共にあらゆる苦難や迫害を耐え忍び、その全生涯を真の教会形成と伝道牧会に献げた忠実なキリストの使徒でした。テモテはパウロによって西暦65年に牧師に任ぜられ、西暦67年にパウロがローマで殉教の死を遂げた後、約15年間エペソ教会の監督として真の教会形成のわざと伝道と牧会に邁進し、皇帝ネロによる迫害のもと西暦82年に殉教の死を遂げたと伝えられています。別の伝承ではテモテの殉教を西暦90年とする説もあります。

 

 私たちが何よりも注目しますのは、パウロによって「テモテへの第一の手紙」「テモテへの第二の手紙」が書き記されていることです。この2つの手紙を通してテモテという人の生涯と人となりとがよくわかります。特に注目したいのはテモテ第一の手紙24節です。「神は、すべての人が救われて、真理を悟るに至ることを望んでおられる」。これは文語訳では「神は凡ての人の救はれて真理を悟るに至らんことを欲したもう」でして、ご存知のように私たちの教会で礼拝招詞の言葉として用いているものです。パウロがこのように記したのは、ここにテモテとパウロ双方の共通した「主にある」願いがあったからです。その願いこそ「神は凡ての人の救はれて真理を悟るに至らんことを欲したもう」事実でした。この神の御心に忠実に仕える伝道牧会の生涯を全うすることこそ、テモテという人の人となりの、いわば全てでありました。

 

 テモテはギリシヤ人の父のもとで育てられた人ですから「真理」(アレテイア)という言葉には特別な思い入れがあったのです。主イエスは「真理は汝らを自由にすべし」と言われました。この「真理」というギリシヤ語は単数形でして、それは私たちのために十字架におかかりになり、復活して下さった主イエス・キリストご自身のことをさしています。ですからテモテにとって「真理」とはキリストのことであり、それ以外の真理は存在しませんでした。この確信のもとに立って、テモテの生涯は唯一の真理に仕え、唯一の真理を証しする生涯になりました。

 

 そのように顧みますとき、今朝の221節以下にこうございました。「人はみな、自分のことを求めるだけで、キリスト・イエスのことは求めていない。しかし、テモテの錬達ぶりは、あなたがたの知っているとおりである。すなわち、子が父に対するようにして、わたしと一緒に福音に仕えてきたのである」。ここにある「テモテの練達ぶり」とは、世の中に五万とある真理(複数形の無数の真理)という洪水の中で、唯一の真理、私たちを救い、私たちを生かし、私たちに新たな生命を与える、唯一絶対の真理は、ただ十字架の主イエス・キリストである。この「唯一の真理の御言葉」のみを宣べ伝えたのがテモテの生涯であったわけです。つまりテモテはこの「唯一絶対の真理」であられる十字架の主イエス・キリストのみを宣べ伝えた「練達」の使徒でした。

 

 教会の中にはいろいろな人がいるのです。自分の意見の強い人もいます。それを押し通さねばすまないという性質の人もいます。先ほどのオーケストラの譬えで言いますなら、あー!そこのバイオリン、勝手にテンポを作るなよ、あー!そこのトランペット、なんで勝手に音を鳴らすんだよ、あー!そこのティンパニ、いまは叩くところじゃないよ、あー!そこのソリスト、まだあなたが歌う場面じゃないよ。もし牧師が指揮者なら、そのように言いたくなる場面というものが、ピリピの教会にはたくさんあったわけですね。私たちの葉山教会にも無いとは言えません。いわば、そのようなディスコーダルな、不協和音の状態の渦中にあったピリピの教会に、テモテはパウロの名代たる「問安使」(指揮者)として遣わされ、そこでコンダクトを、指揮をいたしまして、ピリピの教会が絶妙のハーモニーを奏でる群れとなるために、全力を尽くして伝道牧会のわざに邁進したわけです。それがピリピという人の「練達ぶり」であった。

 

そして、その「練達ぶり」は何に裏付けられていたかと申しますと、それは何と申しましても「主イエスにあって」「主にあって」という一事に尽きるのです。言い換えるなら、そこにこそ、私たち葉山教会員一同の「主にある」務めがあるのではないでしょうか。私たちも、自分の我儘な意見や主張をかなぐり捨てて、そのようなエゴを振りかざすのをやめて、ただ「主イエスによって」「主によって」「教会によって主イエスにいつも堅く結ばれている」僕となって、礼拝者となって、主に忠実な群れをここに形成してゆく、そのためにこそ私たちは召され、ひとつとされているのです。そこにこそ私たちの「練達ぶり」があるのです。そして主は、そのような私たちの葉山教会を、ご自身の御業のために豊かに用い、御言葉により、力と慰めと導きと平安を与えて、御国の祝福の器として用いて下さるのです。祈りましょう。