説    教    創世記1269節    ピリピ書21718

              「信仰の祭壇」 ピリピ書講解(19

              2019・05・19(説教19201803)

 

 「そして、たとえ、あなたがたの信仰の供え物をささげる祭壇に、わたしの血をそそぐことがあっても、わたしは喜ぼう。あなたがた一同と共に喜ぼう。同じように、あなたがたも喜びなさい。わたしと共に喜びなさい」。これが今朝、私たち一同に与えられた福音の御言葉です。ここに使徒パウロは「あなたがたの信仰の供え物をささげる祭壇」という印象的な言葉を用いています。「祭壇」と聞きますと、私たちプロテスタント教会、特に改革長老教会の伝統に立つ私たち葉山教会の者たちにとっては、馴染みが薄い、と申しますより、ほとんど無縁の言葉に聞こえるかもしれません。

 

もっとも、ローマン・カトリック教会や、アングリカン(聖公会)の教会に参りますと、礼拝堂の正面に祭壇がしつらえられているのが普通です。私は「おやおや」と思いましたが、ルーテル教会にもなぜか祭壇が置かれていたりします。大きな金色の十字架が飾られ、ロウソクが供えられ、両側には(または中央にも)キリストやマリアの像が置かれていたりします。仏教の寺院の祭壇と同じような感じがします。もしもパウロが語る「祭壇」がそのようなもののことならば、今朝の御言葉は私たちには「わかりづらい」言葉であると言わねばならないでしょう。

 

 そもそも「あなたがたの信仰の供え物をささげる祭壇」とは、いったい何のことなのでしょうか?。それを理解する上で大切な言葉は「あなたがたの信仰の供え物」とあることです。この「信仰の供え物」とは具体的に申しますなら「献金」のことです。パウロの時代、初代教会では「献金」は「奉献」と申しまして、お金だけではなく、聖餐式で用いられるパンや葡萄酒、または主の御業のために貧しい人たちに配られる食糧、衣服、その他の物品も「献金」に含まれていました。それらを総合的に「奉献」と呼んで、主の御業のために「信仰の祭壇」に献げたのです。その名残、と申しますよりも、その形式を私たちは今日もそのまま受け継いでいます。それが何か、おわかりになるでしょうか?。実はとても具体的なことなのです。

 

私たちの教会の礼拝の中で「献金」が献げられます。礼拝当番の3人の人たちが献金を集めて、それをどのようにしますか?。私たち一同が心をこめて献げた献金を、献金当番の人たちは献金台の上に置いて、そこで「献金感謝の祈り」をささげます。この「献金感謝の祈り」の内容は、私たちに信仰の供え物を献げる幸いを与えて下さった主なる神に対する感謝と讃美です。「献げて下さった皆さんありがとう」ではありません。「献げさせて下さった神様ありがとうございます」それが「献金感謝の祈り」です。

 

 そこで、問題はこの献金台です。本来は私たちの教会は、このような献金専用の台を設けてはいませんでした。ではどこに献金を置いたのかと申しますと、聖餐卓の上にじかに置いたのです。それが初代教会以来の私たちの伝統なのです。献金台を設けるようになったのは、聖餐卓の上に献金を置くと聖餐卓が手狭になるからであって、それ以外の理由はありません。むしろ献金は聖餐卓の上に直接「供える」のが初代教会から続く私たちの教会の伝統なのです。つまり、私たち葉山教会では集めた献金を献金台に置きますけれども、それは実は聖餐卓に供えているのと同じことなのです。

 

 さて、そういたしますと、今朝の御言葉で語られている「あなたがたの信仰の供え物をささげる祭壇」とは、実は聖餐卓のことをさしているのだ、ということがわかるのです。逆に申しますなら、ローマン・カトリック教会やアングリカンでは、この「祭壇」という御言葉の意味を正しく理解していないということになります。この「祭壇」とは聖餐卓のことなのです。まさにこの聖餐卓こそ「あなたがたの信仰の供え物をささげる祭壇」なのだとパウロは語っているわけです。そして、まさにその「信仰の祭壇」に、自分は殉教者たちの血と同じように、信仰のゆえの血を注ぐことになるかもしれないと言うのです。それは現実のものとなりました。事実パウロはこのピリピ書をローマの獄中で書いているわけです。いつ処刑されるかわからない切迫した状況の中で、しかしパウロは「たとえ、あなたがたの信仰の供え物をささげる祭壇に、わたしの血をそそぐことがあっても、わたしは喜ぼう。あなたがた一同と共に喜ぼう」と明確に「喜び」を語るのです。

 

 いまの自分には、この暗い牢獄よりほかに礼拝を献げる場所はない。しかし私はいつもピリピの人たち全てを心に留め、あなたがた一同と共に礼拝を献げている。ピリピの教会のあの聖餐卓に、一同が心をこめて献金を献げたことをいつも思い起こしている。その「信仰の祭壇」である聖餐卓に、私は自分の殉教の血を注ぐことになるかもしれない。それをも神は喜び受け容れて下さるに違いない。自分の殉教の死を通して、ただ神の栄光のみが証され、一人でも多くの人たちに福音が宣べ伝えられるならば、それにすぐる喜びと幸いはない。だから私は「たとえ、あなたがたの信仰の供え物をささげる祭壇に、わたしの血をそそぐことがあっても、わたしは喜ぼう。あなたがた一同と共に喜ぼう」そのようにパウロは語っているのです。

 

 かえりみて、いま、今日のこの礼拝において、私たちは「信仰の祭壇」である聖餐卓に、なにを献げているのでしょうか?。なにをもって私たちの最大の「喜び」となしているのでしょうか?。そのことがいつも問われているのです。私たちの献金の姿勢がいつも問われているのです。パウロは聖餐卓に自分の血を注ぐことがあっても、自分はそれを限りなく「喜ぶ」と言いました。「同じように、あなたがたも喜びなさい。わたしと共に喜びなさい」と言いました。その「同じ喜び」を、私たちはいま共有する群れとされているでしょうか?。それとも、今朝のこの御言葉を「2000年前の教会にこのようなことがあった」という単なる記念碑にしてしまうのでしょうか?。そうではなく、今朝のこの御言葉はまさしく、今を生きる私たち一人びとりに語られた「生命の福音」なのではないでしょうか。

 

 私たち葉山教会のかつての3代目牧師であられた宮ア豊文先生が「さけび」の中でこのようなことを書いておられます。50年ほど前の文章です。「牧師は、長老会は、教会は、献金のことなんか言うものではない。金の話などをするべきではない。そのように言う人に限って、スズメの涙ほどの献金しかしていないのは実に不思議なことである」。「主イエスは『貧しき者は幸いなり』と仰せになったけれども『ケチん坊は幸いなり』とは仰せにならなかった」。まことに鋭い言葉です。そして今でも、この言葉を深く受け止めねばならない私たちではないかと思うのです。「主イエスは『貧しき者は幸いなり』と仰せになったけれども『ケチん坊は幸いなり』とは仰せにならなかった」。私たちは宮ア牧師が言われる「ケチん坊」になっていることはないでしょうか?。パウロが語る「喜び」を共有していない私たちになっていることはないでしょうか。

 

 これはクルマンというフランスの神学者が語っていることですが、初代教会の時代、聖餐卓にはしばしば殉教者の棺が用いられました。そのせいでしょうか、今でも聖餐卓は何となく棺を思わせる形のものが多いのです。そこでこそクルマンはこのように語っています。そこで「想起」される出来事、それは私たちのためにご自身の全てを献げ抜いて下さった神の子イエス・キリストの恵みである。それならばその「想起」アナムネシスとは「今ここにおけるあなたの救いの出来事」にほかならない。私たちが「信仰の祭壇」である聖餐卓に喜びと感謝をもって献金を献げるのは、まさにこの「今ここにおけるあなたの救いの出来事」に対する私たちの信仰の応答なのです。

 

そこでこそパウロは申します。今の自分にはその「信仰の応答」として献げることができるのはこの生命よりほかにない。自分の血をピリピの人たちが献金を献げる「信仰の祭壇」に注ぐよりほかにない。そして主はそれをも御業のために喜び受け容れて下さる。神の国建設のために用いて下さる。そのような「信仰の祭壇」を、喜びと感謝の礼拝を、ピリピの人たちと共に持つことができて、これ以上の幸いはない。

 

パウロはそのように語りまして、どうか私と共に「奉献」の喜びを共有して欲しい。私と共に喜んでほしい。主は御国を来たらせて下さる。御心が天に行われるように、地にも実現して下さる。それゆえに、いま私と共に「献金感謝の祈り」を共有してほしい。そのように願いかつ語りまして、その「献金感謝の祈り」が今朝のピリピ書217,18節として書き留められているのです。「そして、たとえ、あなたがたの信仰の供え物をささげる祭壇に、わたしの血をそそぐことがあっても、わたしは喜ぼう。あなたがた一同と共に喜ぼう。同じように、あなたがたも喜びなさい。わたしと共に喜びなさい」。祈りましょう。