説     教    エゼキエル書3416節   ピリピ書178

          「聖徒の交わり」ピリピ書講解 (3)

 2019・01・27(説教19041787)

 

 私たちが礼拝のたびごとに歌いつつ告白する使徒信条の中に「我は…聖なる公同の教会、聖徒の交わり(を信ず)」と告白されています。そこで、この「聖徒の交わり」という大切な信仰告白を、私たちはいつも正しく理解して告白しているのでしょうか?。そもそも「聖徒の交わり」とは、いったいどのような意味なのでしょうか?。今朝はこの大切な福音の音信について、ピリピ書17節と8節の御言葉から共に聴いて参りたいと思います。

 

 まず最初に、ひとつのことを確認したいと思います。「聖徒の交わり」のことをラテン語で「コミュニオ・サンクトールム」(communio sanctorum)と申します。この「コミュニオ」とは英語で言うコミュニケーションつまり「交わり」のことです。そして「サンクトールム」とはセインツ「聖徒たち」(=聖なる者たち)という意味です。そこで、ローマン・カトリック教会ではこれを「諸聖人の通功」と翻訳してきました。「通功」とは「功徳に与かる」という意味です。つまりローマン・カトリック教会では「聖徒の交わり」の「聖徒」を「聖人」、そして「交わり」を「通功」と、二重の意味で間違って理解した結果、communio sanctorumを「聖人たちの功徳に与かること」と翻訳してきたわけです。この理解は今日でも変わっていません。

 

 しかし大切なことは、使徒信条の原文はラテン語ではなくギリシヤ語なのです。原文のギリシヤ語では「交わり」は「コイノニア」(κοινωνία)という言葉です。そしてこの「コイノニア」には「通功」という意味は全くありません。コイノニアの本来の意味は「ともに一つの糧にあずかる」ことです。そういたしますと「聖徒」という言葉の意味も初めて明らかになるのです。つまり「聖徒の交わり」とは「ともに一つの糧であるイエス・キリストの恵みに与かる者たちの群れ」という意味なのです。つまり「聖徒」とは「聖人たち」という意味ではなく「主の御身体なる教会」のことであり、その教会とは「ともに一つの糧であるイエス・キリストの恵みに与かる」ことにおいて、ただ恵みによって「聖なる者」とされた者たちの群れであることがわかるのです。それこそが「聖なる公同の教会」であると使徒信条は告白しているわけです。これが私たち改革長老教会の「聖徒の交わり」の理解です。

 

 以上のことをきちんと踏まえた上で、改めて今朝のピリピ書17節の御言葉を読んでみましょう。そこにはこう記されていました。「わたしが、あなたがた一同のために、そう考えるのは当然である。それは、わたしが獄に捕われている時にも、福音を弁明し立証する時にも、あなたがたをみな、共に恵みにあずかる者として、わたしの心に深く留めているからである」。ここには13節から続く使徒パウロの祈りの言葉が記されています。パウロの生涯は「祈りの生活」の連続でした。パウロが書いたどの手紙にも必ず祈りの言葉が記されているのですが、特にこのピリピ書においてはそれが際立っています。ピリピ書の全体がパウロの祈りであると言っても過言ではありません。

 

 そこで、そのパウロの祈りの題目(中心課題)は何であったかと言いますと、突き詰めて申しますなら、それは「聖徒の交わり」としての真の教会の確立にあったと言えるのです。ただ「人間の交わり」としてであるなら、教会を建てることはそれほど難しいことではありません。もし教会に大勢の人を集めることをもって「伝道」であり「教会の成長」であるとするなら、それはそれほど困難なことではないと思います。早い話が礼拝堂をコンサート会場にして、有名なアーティストを招いてコンサートを開催すれば、1000人や2000人はすぐに集まるでありましょう。もしそのアーティストがサザンオールスターズだったとしたら、数万人、いや数十万人がこのピスガ台に集まるでしょう。問題はそれが本当の伝道になるのか?。それで真の「キリストの御身体」なる「聖徒の交わり」としての教会が建つのかという問題なのです。

 

 この点についてのパウロの、否、聖書の答えは明確です。「それでは決して真の教会は建たない」のです。なぜなら教会は単なる「人間の交わり」ではなく、いわんや「諸聖人の通功」でさえなく「聖徒の交わり」だからです。パウロの祈りの題目は「あなたがたをみな、共に恵みにあずかる者として、わたしの心に深く留めている」ことにありました。この「共に恵みにあずかる者として」という言葉こそが「聖徒の交わり」つまり教会の本質を現わしているのです。教会とは「ともに一つの糧であるイエス・キリストの恵みに与かる」ことにおいて、ただ恵みによって「聖なる者」とされた者たちの群れ」なのです。それが使徒信条の原文のギリシヤ語で申しますなら「ハギオン・コイノーニアン」(αγίων κοινωνίαν)の意味なのです。

 

 このピリピ書は別名を「喜びの手紙」と呼ばれます。それはこの手紙の随所に「喜びなさい」「わたしと共に喜びなさい」という言葉が出てくるからです。しかし現実には、ピリピの教会には様々な困難な問題がありました。信仰上の問題、教理上の問題、生活上の問題などが山積していたのです。その中でも、特にピリピの人々を悩ませたものは、主任牧師が不在であったという問題でした。なぜならパウロとテモテは遠くローマの獄中に捕われの身であったからです。パウロが書いた手紙の中で、ピリピ書、ピレモン書、コロサイ書、エペソ書の4つを「獄中書簡」と言います。いわばパウロは遠いローマの獄中から手紙でピリピの教会を牧会していたわけです。私たちの葉山教会に30年在任された宮崎豊文先生も晩年の5年間ほどは東京秋津の病院から毎日のように手紙を書かれて葉山教会を牧会して下さいました。

 

 そのような厳しい現実の中にあって、パウロは愛するピリピの教会の人々に「わたしが獄に捕われている時にも、福音を弁明し立証する時にも、あなたがたをみな、共に恵みにあずかる者として、わたしの心に深く留めている」と語ります。この「福音を弁明し立証する時」とは、おそらくローマの獄中で福音を宣べ伝えていたことをあらわしているのでしょう。パウロはキリストのゆえに投獄されたことを恥とはせず、むしろそれを「獄中にいる人々への伝道の機会」としてとらえました。だからそこには尽きぬ喜びがありました。もし自分が投獄されなかったなら、獄中にいる人々には福音は宣べ伝えられなかっただろう。主なる神は私を牢獄の中に「福音の役者」として遣わして下さった。そこにパウロの絶えざる感謝の祈りの題目があったのです。そしてパウロはピリピの教会の人々に「あなたがたをみな、共に恵みにあずかる者として、わたしの心に深く留めている」と語るのです。

 

 いま、私が獄中にいる人々にキリストの福音を語るとき、私はいつもピリピの教会の人たちを「共に恵みにあずかる者として、わたしの心に深く留めている」。私たちはキリスト・イエスの恵みによって、ともにひとつの「聖徒の交わり」の中に招かれ、御言葉によって新しくされた者たちなのだ。そのようにパウロは「喜び」をもって語っているのです。そこにこそ本当の教会が、キリストの御身体なる「聖なる公同の使徒的なる教会」があると言うのです。それは「ともに一つの糧であるイエス・キリストの恵みに与かる者たちの群れ」です。牧師も、教会員も、ともに「一つの糧であるイエス・キリストの恵みに与かる」のです。

 

そう言われて改めて、みなさんは私たちの教会で何が中心なのか、わかるでしょうか?。もちろん教会の中心は主イエス・キリストですが、目に見える中心は実は聖餐卓なのです。説教と洗礼と聖餐、この3つのサクラメンタルな救いの出来事が礼拝を形作るのですが、わけても大切なのは聖餐卓なのです。そもそも「コイノーニア」とは聖餐をあらわす世界共通語です。それが教会そのものを意味する言葉になりました。この聖餐卓を牧師と会衆がともに囲んで、聖霊なる神の導きによって心を高く上げて「ともに一つの糧であるイエス・キリストの恵みに与かる」のです。それが目に見える私たちの教会「聖徒の交わり」の本質なのです。パウロが7節に「わたしの心に深く留めている」と言いますのは、まさにその「聖徒の交わり」としての教会の姿を「深く心に留めている」のです。

 

 そして8節にこう続きます。「わたしがキリスト・イエスの熱愛をもって、どんなに深くあなたがた一同を思っていることか、それを証明して下さるかたは神である」。ここで言う「熱愛」とはアガペーです。キリスト・イエスの十字架において現わされた神の聖なる愛です。これを私もあなたがたも、ともに受ける「聖徒の交わり」の内に在って、御言葉によって新たにされて、希望と勇気と慰めをもって、人生の旅路を歩む神の僕とされた。このことを感謝し、真の礼拝者として生きる、そのキリスト者の姿勢において、いつも変わることのない、まっすぐな私たちであり続けようではないか。そのようにパウロは語り、また勧め、そして教えているわけであります。なによりも、主なる神は御子イエス・キリストの恵みにより、ここに集う私たち全ての者に「聖徒の交わり」の喜びと幸いを、いつも豊かに与えていて下さるのです。祈りましょう。