説     教    創世記214節   ピリピ書136

          「祈りの生活」ピリピ書講解(2)

 2019・01・20(説教19031786)

 

 私たちが改めてピリピ書を丁寧に読んで参りますとき、すぐに気が付くことは、このピリピ書13節以下には使徒パウロの「祈り」が記されているということです。事実「祈り」の言葉は今朝の3節から11節まで途切れることなく続いています。私たちはこのことからも、パウロがいかに熱心な「祈りの人」であったかを知ることができるのです。今朝の説教の題は「祈りの生活」でありますが、まさにそのとおり、パウロの生涯はそのまま「祈りの生活」そのものでした。

 

 私たちの信仰の先達として忘れることのできない植村正久牧師、明治から昭和初年にかけて東京の一番町教会(今日の富士見町教会)の牧師でしたが、この植村正久牧師もまた熱心な「祈りの人」でした。あるとき、教会の大切な問題について一人の長老と意見が激しく対立したことがあったそうです。長老会において議論が白熱し、とうとうこの長老は怒って席を蹴って家に帰ってしまった。翌日の朝、事の成り行きを心配したこの長老の夫人が植村牧師のもとを訪ねたとき、植村牧師は開口一番「彼は祈っているか?」と訊ねたそうです。「彼は祈っているか?」もし祈っているのなら彼は大丈夫、そのように植村牧師は言ったというのです。

 

 これは、とても大切な私たちの教会の伝統であると思います。とかく私たち改革長老教会は「祈りの生活」を二の次にしているような印象を持たれます。しかしそれは正しくありません。16世紀ジュネーヴのカルヴァン以来、私たち改革長老教会に連なる者たちはいつも「祈りの生活」を大切にしてきたのです。

 

私が神学校におりますとき、学部2年生の時であったと記憶していますが、スイスからルードルフ・ボーレン教授が来られて約1年間の集中講義をして下さったことがありました。神学校のゲストハウスが古くて手狭という事もあり、ボーレン先生は鎌倉雪ノ下教会のゲストルームに住まわれ、そこから神学校まで横須賀線で通っておられました。ある晩、神学生が住んでいる学生寮にボーレン先生をお迎えして、学生寮主催の懇談会が行われました。懇談会はいつしか「祈りの生活」についての話になり、夜9時過ぎにもなりました。そこで私の同級生の一人が下手なドイツ語でこういう質問をしました。「日本には教派によって断食祈祷というのがありますが、スイス改革派教会にも断食祈祷のようなものがありますか?」。ボーレン先生はすぐに答えて「いいえ、スイスの教会では断食して祈るという習慣はありません。しかし世界の教会の中で、スイス改革派教会は最も祈りの生活を大切にしてきました。“祈りの生活”を大切にする姿勢は今でも受け継がれています」。

 

 私はそれを聴いて、日本の教会はどうであろうかと思わされました。これは断食して祈ればそれで「祈りの生活」を大切にしている、という程度の問題ではないと思いました。何よりも今朝のピリピ書134節にこうありました。「わたしはあなたがたを思うたびごとに、わたしの神に感謝し、あなたがた一同のために祈るとき、いつも喜びをもって祈り…」。もう既にここに、パウロの「祈りの生活」が面目躍如としているのです。ここに強く現れているのは、パウロの祈りの生活がいつも継続した「喜びをもって祈る」生活であったということです。主なる神に祈りを献げるとき、パウロの心はいつも「喜び」と「感謝」に満たされていたのです。私たちもまた、そのような生きた「祈りの生活」をしている教会であり続けているか否か、まさにいま「主」に問われているのではないでしょうか。

 

それは、ピリピの教会が何の問題もトラブルもない、いわば完成度の高い教会であったからではありません。むしろその逆でした。これからこの手紙の講解の中で私たちが幾らでも学ぶことですが、やはりピリピの教会はいろいろな意味で「若い」「未成熟な」「欠点の多い」教会でした。信仰上の、また生活上の、様々な不安定な問題を抱えていました。それにもかかわらず、否、それだからこそ、パウロは熱心に「喜び」と「感謝」をもって祈り続けたのです。そこで続く5節にはその「祈りの生活」の理由が明確に記されています。「あなたがたが最初の日から今日に至るまで、福音にあずかっていることを感謝している」とあることです。これが今朝の御言葉の中心であると言って良いのです。ここでパウロは「ピリピの人たちよ、あなたがたは信仰にも生活にも完全無欠な人たちである」と言って「喜び」「感謝」をもって祈っているのではありません。そうではなく、ピリピの人たちが「最初の日から今日に至るまで、福音にあずかっていること」のゆえに「喜び」「感謝」をもって祈り続けているのです。

 

 それは、どのようなことでしょうか?。ここでパウロは、ピリピの人たちの人間としての「誇り」のゆえにではなく、彼らを贖い救いたもうた十字架の主イエス・キリストの「恵み」のゆえに「喜び」「感謝」をもって祈り続けているのです。つまり、パウロにとって“祈りの生活の根拠”は人間にではなく、ただ主なる神にのみあった、それが大切なことなのです。ということは「喜び」と「感謝」の根拠も人間にではなく、救い主なる主イエス・キリストにのみあったということになります。言い換えるなら、パウロの「祈りの生活」は人間に向けてではなく、ただ神に向けてのものであった。だからこそそれは、ピリピの教会のあらゆる問題の中にあって、なお「喜び」と「感謝」をもって祈り続ける「祈りの生活」になったのです。それこそ「彼は祈っているか?」が信仰と生活における最も大切な唯一のことなのです。

 

 そして続く6節の御言葉は、さらにその「祈りの生活」の神的根拠(バルト)を明らかに示しています。「そして、あなたがたのうちに良いわざを始められたかたが、キリスト・イエスの日までにそれを完成して下さるにちがいないと、確信している」。ここでひとつ、このピリピ書では「イエス・キリスト」という表現よりも「キリスト・イエス」という表現が目立ちます。どちらも同じ信仰告白の言葉ですが、特に「キリスト・イエス」と言う場合は「キリスト」に強調点が置かれています。「キリスト=救い主=ナザレのイエス」という図式です。つまり神が先に在って人間が次に来るのです。同じようにパウロはピリピの人たちに対して「あなたがたのうちに良いわざを始められたかた」ただそのかたのみを仰ぎ見なさいと勧めているのです。

 

 自分の足元のみを見て、落ち込んだり、卑屈になったり、逆に自惚れ、自尊心を抱く生活を止めて、そのような「古き人」をいま私たちはキリストの御手に委ねて「古きおのれ」を捨てようではないか。そして「あなたがたのうちに良いわざを始められたかた」つまり救い主なるキリストのみを仰ぎ見ようではないか。パウロが強く勧めている信仰生活の基本線はそこにあります。逆に申しますと、その基本線が揺らいで人間的なものが根拠になるとき、信仰生活は「喜び」と「感謝」を失うのです。教会もまた単なる人間の群れになってしまうのです。それこそ「彼は祈っているか?」が失われるとき、教会は人間的な不平不満の膨張し対立する場になってしまうのです。植村正久牧師と意見が対立して長老会を中座したその長老は、その翌日の晩、植村牧師のもとを訪ねて「よく祈った結果、主は私の間違いを指摘して下さいました」と言って、植村牧師に自分の非を詫びたそうです。そして以前にもまして礼拝を(礼拝を大切にすることは長老として当然ですが)なによりも以前にもまして祈祷会を大切にする長老になったということです。私たちはどうでしょうか?。

 

 パウロはピリピの人々のためにこう語っています。否、こう祈っています。「あなたがたのうちに良いわざを始められたかたが、キリスト・イエスの日までにそれを完成して下さるにちがいないと、確信している」と!。この「良いわざ」とは「救いの御業」のことであり「キリスト・イエスの日」とは「終末の完成の日」のことです。主イエス・キリストが再び世に来られ、全世界に救いを完成して下さるその日、あなたがたピリピの教会はその「救いの完成の喜びに共にあずかる群れ」として主の御前に立つものとされるだろう、そのようにパウロははっきりと語るのです。祈っているのです。それこそ先週の説教で紹介したジョセフ・ビートが語っているように、このピリピの教会は今ある教会としては残っていないのですが、このピリピの教会の信徒の人たちの信仰の輝きは永遠のものとされたのです。

 

 私たち葉山教会もまた、そのような「永遠に主に仕え、主の御栄を現わし、救いの完成の喜びに共にあずかる群れ」として、一人びとりが「祈りの生活」を大切にし、主に堅く結ばれて、成長してゆく群れであり続けたいと思います。なによりも私たちは「最初の日から今日に至るまで、福音にあずかっている」のですから…。祈りましょう。