説     教    サムエル記上1章10節   ピリピ書1章1〜2節

「キリスト・イエスの僕」ピリピ書講解(1)
2019・01・13(説教19021785)

 本日からピリピ人への手紙の連続講解説教を始めます。特にこのピリピ書は「喜びの手紙」と呼ばれ
るもので、使徒パウロと、パウロの同労者であったテモテが、愛するピリピの教会の信徒たちに宛てて
書き送ったものです。もっとも、パウロがこの手紙を書いたのはローマにおける獄中でのことでした。
時期は西暦61年の終わりから62年の初めにかけてであろうと推測されています。19世紀イギリスの
聖書学者ジョセフ・ビート (Joseph Agar Beet) は次のように語っています。「この手紙を受け取ったと
き、ピリピの人々がどのような反応を示したか、私たちはいまや窺い知ることはできない。残念ながら
ピリピの教会そのものが今は残っていないからだ。私たちがいま見ることができるのは、かつて栄え、
使徒たちが愛した共同体が存在したローマの植民都市(ピリピ)の廃墟が、雑草の中に埋もれている風
景だけである。しかしピリピの信徒たちの信仰と名誉はこの手紙によって永遠のものになった。ローマ
の牢獄の中で書かれたこの一通の手紙は、あらゆる時代と文化を超えて、読む人々に“苦難の中の光”
として輝き続けているのである」。 

 そこで、いま私たちはこのピリピ書の最初の御言葉に心を向けましょう。「キリスト・イエスの僕たち、
パウロとテモテから、ピリピにいる、キリスト・イエスにあるすべての聖徒たち、ならびに監督たちと
執事たちへ」とありました。私たちは手紙を受け取った時、まずその手紙が「どこの誰から」届いたも
のであるかを見るのではないでしょうか。それならば、このピリピ書の差出人は「キリスト・イエスの
僕たち、パウロとテモテ」であります。2名の連記で差出人が示されているのです。ここで大切なこと
は、パウロもテモテも「キリスト・イエスの僕」と自分を呼んでいることです。つまり、これが自分た
ちの唯一の肩書であると自己紹介をしているのです。もしもパウロとテモテが名刺を作ったならば、そ
こには「キリスト・イエスの僕」と肩書が記されていたに違いありません。

 さて、この「僕」と訳された元々のギリシヤ語はドゥーロスという言葉なのですが、これは「奴隷」
という意味でした。奴隷とは、主人に無条件かつ全面的に仕える者のことです。自分の存在の全てが主
人への奉仕にある、つまり自分が無くて主人が第一、それが「奴隷」です。パウロとモテは、まさに「キ
リスト・イエスの奴隷」として、ただキリスト・イエスの御業に仕える「僕」であると自己紹介をして
いるのです。何よりもこのとき、パウロとテモテは共にローマの牢獄に繋がれていました。牢獄の入口
には罪状書きがあって、その囚人がいかなる罪状で投獄されているのか一目でわかるようになっていま
した。パウロとテモテの牢獄には「キリスト・イエスの僕たち」という罪状書きがあったのでしょう。
そして彼らは、この罪状書きを少しも恥とせず、むしろこれを限りない誇りとし喜びとして、ピリピ書
の冒頭にも「キリスト・イエスの僕たち」と書いたのではないでしょうか。かつて、京都に同志社を創
立した新島襄は、10年にも及ぶ留学から帰国した時、時の内務大臣田中不二麿から、ぜひ文部大臣に就
任して欲しいと懇願されます。しかし新島はこれを固辞しました。自分の使命は伝道とキリスト教教育
にあると言ったのです。新島の意志が固いと見た田中不二麿は「それでは君は耶蘇の奴隷ではないか」
と叫びました。そのとき新島は莞爾として微笑み「さよう、われは耶蘇の奴隷なり。しかしてそを最も
誇りとする者なり」と答えたということです。

 さて、差出人「キリスト・イエスの僕たち」についてはわかりました。では宛先はどのように記され
ているのでしょうか?。宛先は「ピリピにいる、キリスト・イエスにあるすべての聖徒たち、ならびに
監督たちと執事たちへ」です。まず「ピリピ」の場所についてですが、今日で言うギリシヤの北東部、
ブルガリアと国境を接するあたりのマケドニアという高原地帯にあった植民都市がピリピでした。たし
か一昨日でしたか新聞で、今年のギリシヤは記録的な寒波に見舞われていて、特にマケドニアのテサロ
ニキで氷点下20度にもなったと報じられていました。このテサロニキは新約聖書のテサロニケのこと
です。テサロニキは今日でも大きな街ですが、ピリピは先ほどのジョセフ・ビートが語ったように「雑
草に埋もれた廃墟」になっています。しかし当時のピリピは約15万人もの人口を擁するマケドニア第
一の都会でした。

 次にパウロとテモテは、宛先に「キリスト・イエスにあるすべての聖徒たち」と記しています。この
「聖徒たち」というのは私たちの教会の本質である「聖徒の交わり」を意味する言葉です。そして「交
わり」とはギリシヤ語で“コイノーニア”という言葉です。その元の意味は「ともにひとつの糧に与か
る」という意味です。それなら「キリスト・イエスにあるすべての聖徒たちへ」とは「ともにキリスト・
イエスという唯一の生命の糧にあずかる、聖徒の交わりに入れられた全ての兄弟姉妹たちへ」という意
味になります。つまりピリピ教会の全教会員のことをさしているのです。そして続いて「監督たちと執
事たち」とあります。この「監督たち」とは今日の長老のことです。そして「執事たち」とは同じく今
日の執事のことをさしています。但し「監督たち」と言う場合の「監督」には聖職者も含まれていまし
た。「監督」と訳された元々のギリシヤ語が“エピスコポス”(高みに立って見わたす)という言葉だか
らです。長老だけを意味する“プレスビューテロス”という言葉はまだなかったのです。教会の職制
“Church Order”が未成立であった時代の手紙であることがここからもわかるのです。

 顧みて、私たち人間は本当に不思議な、大きな矛盾を抱えた存在であると言わざるをえません。それ
は、誰しもがみな自由を求めているにもかかわらず、私たち人間はいつも「罪の奴隷」であり続けてい
るからです。アリストテレスは「人間ほど不自由な存在はない」と語りました。石川啄木は「人といふ
人の心に一人ずつ囚人がゐて呻く悲しさ」と歌っています。何よりも聖書は、私たち人間がみな一人残
らず「罪と死の奴隷」である事実を語っています。それは最近の言葉で言い換えるなら「罪と死ファー
スト」ということです。「自分ファースト」は即ち「罪と死ファースト」なのです。そのことをパウロは
ローマ書7章において「そこで、善をしようと欲しているわたしに、悪がはいりこんでいるという法則
があるのを見る。……わたしの肢体には別の律法があって、わたしの心の法則に対して戦いをいどみ、
そして、肢体に存在する罪の法則のなかに、わたしをとりこにしている」と語っています。

 それならば、私たちは、いまパウロとテモテが自分たちのことを「キリスト・イエスの僕たち」と呼
びあらわし、同時に、愛するピリピの教会の人たちを「キリスト・イエスにあるすべての聖徒たち」と
呼んでいることの大きな意味がわかるのではないでしょうか。ここで中心にいましたもうのはキリスト
(救い主)であられる主イエスなのです。つまり「自分ファースト」「罪と死ファースト」の古きおのれ
から、旧き「罪のからだ」から「キリストファースト」の新しい「生命のからだ」に作りかえて戴いた
私たちとされているのです。だから既に「キリスト・イエスの僕たち」という差出人名に福音が宣べ伝
えられているのです。手紙の封を切る先に、既に差出人の名前と肩書を読むだけで、私たちはこのピリ
ピ書が、いかに大きな慰めと喜びと平安を語り告げる手紙であるかを知る者とされているのです。

 これをもっとわかりやすく申しますと、私たちの心の中に「キリスト・イエスを喜ばせたい」「キリス
ト・イエスの御栄をあらわしたい」「キリスト・イエスと共に歩みたい」という切なる願いが生じて、そ
れが私たちの全生涯、全存在、全生活を支配する中心線になるということです。私たちの生きかたの本
質が180度変わるのです。生活の向きが変わるのです。この「向きを変える」という意味のヘブライ語
が「悔改め」の語源になりました。つまり「悔改め」とは「回心」することです。キリスト・イエスに
向かって180度向きを変えることです。英語で言うならコンヴァージョン“conversion”です。コンヴ
ァージョンとは「逆に向かう」という意味です。今までは自分の欲するまま、自分ファースト、結局は
「罪と死の支配ファースト」で歩んでいた、その私たちがキリスト・イエスに向かって回心することで
す。向きを変えることです。コンヴァースすることです。逆向きに歩み始めることです。それがコンヴ
ァージョン(回心)なのです。その喜びと平安を、既にピリピ書1章1節が宣べ伝えているのです。

 2節もその喜びと平安に続く、祝福の挨拶です。「わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから、
恵みと平安とが、あなたがたにあるように」。「キリスト・イエスの僕」として歩むとき、キリスト中心
の生活をするとき、私たちにいつも、神の「恵みと平安」が豊かに与えられているのです。この「恵み」
とは、神がキリスト・イエスによって私たち全ての者に与えて下さった救いと永遠の生命、そして「平
安」とは、神が私たちといつも変わることなく共にいましたもう幸いを意味します。まさにここに集う
「キリスト・イエスにあるすべての聖徒たち」である私たち一人びとりに、いま「恵みと平安」が豊か
に与えられているのです。祈りましょう。