説     教    イザヤ書9章14節  ルカ福音書2章8〜14節

「恐れるな、見よ」 2017年 聖夜礼拝
2017・12・24(説教17521729)

 クリスマスは、神が全ての人々に与えて下さった、大きな喜びの日です。この日、私たちは「クリ
スマスおめでとう」と互いに挨拶を交わします。この「おめでとう」は英語で言うなら「メリー」(メ
リーネス)です。ではクリスマスの「メリーネス」(最も大きな喜び)とはいったい何でしょうか。

 私たちの周囲を顧みるとき、世界中の至るところに、クリスマスの飾りや光とは正反対の、私たち
人間の罪が生み出す暗闇があります。新聞にもテレビにもインターネットにも、私たちの罪が生み出
す混乱や悲惨な出来事が報じられない日は一日もありません。そのような中で私たちはみな、先行き
の見えぬ不安を心の中に抱えているのではないでしょうか。

 それはひと言でいうなら「私たち人間に幸いな未来はあるのか?」という問題です。実は私たちは、
本当には、明日の自分の生命さえも保証できない存在なのです。確かなものを持ちえない存在なので
す。クリスマスの美しい光の飾りも、お正月の華やいだ雰囲気も、現実の不安を紛らわす、暫しの慰
みのようにも思われてしまうのです。実は私たちはいつも、そのような漠然とした不安と共に生きて
いるのではないでしょうか。

 今から2017年前、あの最初のクリスマスの晩にベツレヘムの羊飼いたちを取り囲んでいた夜の闇
もまた、いま私たちを覆っている不安と同じように、不気味で果てしないものでした。先ほどのルカ
による福音書2章8節以下にはもこのように記されています。「さて、この地方で羊飼たちが夜、野
宿しながら羊の群れの番をしていた」。この羊飼たちはベツレヘムの郊外で、エルサレムの神殿に犠牲
として献げられる羊を飼っていた人々でした。いわば最底辺の人々であっか彼らには、住む家さえな
く、羊の群れと共に「野宿」するほかなかったのです。

 彼らは、愛をもって大切に育てた小羊が、犠牲として殺されてしまう悲しみを、誰よりよく知って
いた人々でした。言い換えるなら、この世界の全ての人たちの罪を贖う真の犠牲(いけにえ)として、
最愛の独子イエス・キリストをこの世界にお与えになった父なる神の愛を、最もよく理解できたのが
ベツレヘムの羊飼いたちでした。そこで、この羊飼いたちは、何を「恐れた」と記されていたでしょ
うか?。住む家もなく「野宿」する不安定な生活を恐れたのでしょうか?。彼らを取り囲んでいた夜
の闇を恐れたのでしょうか?。そのいずれでもありませんでした。彼らが真に畏れたもの、それは天
使が告げたクリスマスの出来事でした。すなわち先ほどの9節に「すると主の御使が現れ、主の栄光
が彼らをめぐり照らしたので、彼らは非常に恐れた」とあるとおりです。

 顧みて、私たちはいつも、本当に畏れるべきものは畏れず、逆に、恐れるべきではないものを、恐
れているのではないでしょうか。羊飼いたちが畏れたのは、夜の闇の暗さではなく、彼らをめぐり照
らした、天使によって告げられた神の栄光(救い主キリスト御降誕の知らせ)でした。彼らは本当に
畏れるべきものを畏れたのです。それゆえにこそ、恐れるべきではない他の全てのものから自由にな
り、恐れに支配されたこの世界の、不安を抱えている全ての人々に、救い主キリストの御降誕という
「すべての民に与えられる大きな喜び」を語り伝える者とされたのです。現実のあらゆる恐れの中に、
本当の喜びを伝える「神の僕」として、クリスマスを祝う人々として、立つことができたのです。

 この夜、どうか共に聴こうではありませんか。天使ガブリエルは、私たち全ての者にクリスマスの
音信を(キリスト御降誕のメッセージを)伝えています。先ほどの10節の言葉です「すべての民に
与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。きょうダビデの町に、あなたがたのために救い主が
お生まれになった。このかたこそ主なるキリストである。あなたがたは、幼な子が布にくるまって飼
葉桶の中に寝かしてあるのを見るであろう。それが、あなたがたに与えられるしるしである」。

 まことの神は、この世界を、そして全ての人々を、限りなく愛しておられるかたです。だからこそ
「全ての民に与えられる大きな喜び」を私たち全ての者に告げて下さいました。それはこの世界に、
全ての人の真の救い主として、神の御子イエス・キリストがお生まれになったクリスマスの出来事で
す。神は私たち全ての者を極みまでも愛して、私たちの罪によって「余地なき」ものとなったこの世
界のただ中に、その「余地なき」現実の中にこそ、ご自身の最愛の独子を与えて下さったのです。そ
れが、クリスマスのメリーネスの意味なのです。

 私たちはいま、この御降誕の主の前に、本当の「畏れ」(信仰)を持って立っているか否か問われて
います。ヨハネ福音書1章9節に「すべての人を照らすまことの光があって、世に来た」と告げられ
ています。この「全ての人を照らすまことの光」こそ、飼葉桶に生まれたもうたキリストのことです。
そしてヨハネは1章5節にこうも告げています「光は闇の中に輝いている。そして、闇はこれに勝た
なかった」。

 私たちの闇のただ中に「まことの光」なるキリストが来て下さった、それがクリスマスです。そし
てイエス・キリストは、全世界の救いと平和のために、十字架の道を歩んで下さいました。たとえ闇
がどんなに深くても「まことの光」に勝つことはできません。だからこそ私たちはいま、真に畏れる
べきかたを畏れる者として、信じる者として、ここに招かれているのです。クリスマスは「全ての人
を照らすまことの光」が、いま全世界の人々と共にあることを喜び祝う時です。だからこそ天使は告
げました。「あなたがたは、幼な子が布にくるまって、飼葉桶の中に寝かしてあるのを見るであろう。
それが、あなたがたに与えられるしるしである」と!。そうです、これが全世界に対する救いの「し
るし」です。御子イエスが世界の最も低く、暗く、貧しく、悲惨なところに、お生まれ下さったこと
です。

 この「しるし」こそ、まことの救い主の「しるし」なのです。羊飼いたちは、ベツレヘムの馬小屋
の、飼葉桶の中に眠りたもう神の御子イエス・キリストを、心から礼拝し、キリストと共に生きる、
新しい歩みを始めます。ここにクリスマスのメリーネス(最も大きな喜び)があるのです。だからこ
そ、私たちも互いに祝福の挨拶を交わします。クリスマスおめでとうございます。まことに主は、あ
なたのために、あなたの生活のただ中に、お生まれ下さいました。