説    教    詩篇37篇39節   ガラテヤ書2章11〜14節

「異邦人の使徒パウロ」

2017・05・28(説教17221698)  ガラテヤ人への手紙は西暦57年ごろ、使徒パウロが今日のトルコ中部・アナトリアのガラテヤ県 の諸教会に宛てて書いた手紙です。そこで、この手紙が書かれた背景として、西暦50年にエルサレ ムで開催された「エルサレム使徒会議」という重要な教会合同会議がありました。その会議で最重要 議題となった問題は、当時シリアのアンテオケ教会で起こった、ユダヤ人キリスト者と異邦人キリス ト者との、福音宣教の基本姿勢をめぐる対立でした。  初代教会の時代、キリストの使徒たちによって最初に建てられた教会はエルサレム教会でした。そ こで洗礼を受けてキリスト者となった人々は、当然ながらほとんど全員がユダヤ人でした。さて、も ともとユダヤ人の伝統的な考えによれば、神からの救いは選民であるユダヤ人だけの特権であって、 ユダヤ人以外の民族、つまり「異邦人」は救われることのありえない「地の民」(呪われた人々)でし た。しかしながら、福音がエルサレム以外の他の地方にも宣べ伝えられるにいたって、そこに初めて 異邦人キリスト者の問題が現れてきました。ユダヤ人でない他の民族で洗礼を受けてキリスト者とな った人々です。その意味では私たちも「異邦人キリスト者」であるわけです。  そこで、どういうことが起こったかと申しますと、シリアのアンテオケ教会というのは構成員の約 半数が異邦人キリスト者、残りの半分がユダヤ人キリスト者でした。この二つのグループが救いの正 当性を巡って対立しはじめたのです。どちらも主イエス・キリストを信じて洗礼を受けたキリスト者 であることに変わりはありません。しかしユダヤ人キリスト者は「自分たちだけが本当のキリスト者 である」と主張しはじめたのです。もちろん異邦人キリスト者も負けてはいません。双方の間に対立 と分争が生じ、教会が分裂するかもしれない状態に陥りました。  ここで、異邦人キリスト者を擁護する代表者として、同じような問題の渦中にあったガラテヤ教会 にこの手紙を書き送ったのが使徒パウロでした。パウロ自身はユダヤ人でしたけれども、主イエス・ キリストを信じて洗礼を受け、主の御身体なる教会に連なった者たちには「ユダヤ人と異邦人の区別 はない」と訴えました。たとえどのような国や民族に属していようとも、みな同じキリスト者であり、 同じ教会員であり、天に国籍を持つ者たちであることに変わりはないのだ。パウロが福音に基づいて 訴えているのはそのことです。キリストによる救いの普遍性です。聖なる公同の使徒的なる教会の本 質にかかわることです。  ところが、以外なところで反対論が起こりました。なんとキリストの直弟子である使徒ペテロがそ のパウロの主張に反対したのです。ペテロは「パウロ先生は間違っている。救いはユダヤ人だけに限 定されたものであって、異邦人には救いは与えられないものだ」と反旗を翻したのでした。そこで先 ほども申しました西暦50年の「エルサレム使徒会議」に繋がって参ります。簡単に申しますと両方の 立場を調停するための会議だったのですが、もっと積極的な意味がありました。それは「エルサレム 使徒会議」の結果、明確にユダヤ人キリスト者の律法主義的な主張が退けられ、それから以後の教会 の福音宣教基本方針は「異邦人伝道に全力を尽くす」こと、つまり全世界の全ての民への福音宣教を 行うことで一致することになったからです。  アメリカの、ラインホールド・ニーバーという神学者が、有名な祈りを献げました。「神よ、われら に、変えることができる事柄と、変えることができない事柄とを、見分ける信仰のまなざしを与えた まえ。そして、変えるべき事柄については、それを変えることができる勇気を、変えることができな い事柄については、それを受け入れる思慮と従順とを、われらに与えたまえ」。パウロは今朝のガラテ ヤ書2章11節以下において「変えることのできない事柄」を、つまり「教会が決して変えてはなら ない事柄」を見抜いています。だからこそ、それを変えようとしたペテロを公衆の面前で厳しく譴責 したのでした。すなわち今朝の11節にパウロがこう記しているとおりです。「ところが、ケパ(ペテ ロ)がアンテオケにきたとき、彼に非難すべきことがあったので、わたしは面とむかって彼をなじっ た」。そして14節にはこうもあります。「彼らが福音の真理に従ってまっすぐに歩いていないのを見 て、わたしは衆人の面前でケパ(ペテロ)に言った、『あなたは、ユダヤ人であるのに、自分自身はユ ダヤ人のように生活しないで、異邦人のように生活していながら、どうして異邦人にユダヤ人のよう になることをしいるのか』」。  ペテロに対するパウロの譴責の理由は、それが福音の真理、教会が立つか倒れるかという重大な福 音宣教の本質にかかわる最重要問題であったからです。言い換えますならこの問題は、ペテロをはじ めとするユダヤ人キリスト者たちには「どうでもよい問題」(変えてもよい事柄)のように見えたので す。パウロはこの問題について、正しい信仰(使徒信条を告白する、キリストを中心とした教会の信 仰)のみが、それを解決すると確信していました。「衆人の面前で…彼(ペテロ)をなじった」とある のは、まさしくその問題をパウロが、教会の本質に関わる最重要事項として、教会の中で(主なる神 の御前で)取り上げたことを意味しています。  さて11節にある「アンテオケ(の教会)」は、エルサレムにおける執事ステパノの殉教ののち、エ ルサレムを追われたユダヤ人キリスト者たちが核となって、今日のレバノン(当時のシリア)の港町 アンテオケに建てられた教会でした。先ほども申しましたように、このアンテオケ教会は教会員の約 半数が異邦人、残りの半数がユダヤ人という構成でした。しかし、その核となったのはあくまで、エ ルサレムから来たユダヤ人キリスト者たちでした。そこにアンテオケ教会独自の難しい問題が起こり ました。それは「割礼」を巡る両者の深刻な対立です。つまり、ユダヤ人キリスト者たちは旧約の律 法を盾に、洗礼よりも「割礼」(ユダヤ人になるための儀式)のほうが大切だと主張したのです。そう しますと「キリストによってのみ救われる」という福音の本質が崩れることになります。つまりそこ に「福音の無力化」が起こるのです。キリストという中心を失った教会は、もはや教会ではなく単な る人間のコミュニティーにすぎなくなります。だからパウロはこの問題を最重要課題として取り上げ ました。ペテロを厳しく譴責しているのも、それが福音の本質にかかわる重要問題であったからなの です。  ところが、人間はまことに身勝手なもので、こうしたパウロの努力と訴えにもかかわらず、エルサ レム教会会議の決定に背いて、自分の考えをなお絶対化しようとする輩がアンテオケ教会の中に、ま たガラテヤ教会の中にも現われたのです。パウロはその輩のことを「偽教師」と呼んで非難していま す。  当時の世界の人々は、キリスト者とそうでない人々を、一見して区別することができたのです。明 白な違いがそこにはあったからです。それは、キリストを信じて洗礼を受けた人々は、どのような民 族、どのような文化、どのような伝統を持った人をも、少しも分け隔てなく教会に迎え入れたことで す。そしてキリストを信ずる同じ信仰のもと、互いに尊敬し、愛と信頼と感謝をもって、聖餐の食卓 を共に囲んだのです。キリストに結ばれて一つの群れとされた喜び、同じ救いの恵みにあずかった感 謝を、初代教会では「アガペー」(愛餐)と呼びました。それは礼拝において御言葉の糧に共にあずか る恵みをあらわしています。礼拝におけるキリスト者の交わり、聖徒の交わりです。  その聖徒の交わりこそ、当時の人々にとって大きな驚きでした。なぜならユダヤ人はユダヤ人以外 の民族、つまり異邦人と食卓を共にすることなど、絶対にありえなかったからです。食事だけではな い、会話をすることも、友としてもてなすことも、ほとんどありませんでした。しかし教会に集まる 人たちは違うのです。そこに当時の人々の大きな驚きがありました。教会に集まる人たちは、ユダヤ 人も異邦人も、皆が共にキリストに結ばれた救いの喜びと感謝を現わしている。そのことがたちまち アンテオケの街中に、いや、地中海世界各地に知れわたるようになり、人々は続々と教会に集まるよ うになったのです。キリスト者たちの主にある喜びの姿勢が、そのまま世界伝道の原動力となったの です。「クリスチャン」という言葉が用いられたのもアンテオケが最初でした。教会の外にいる人々が、 教会に集まる人たちのことを「キリストの僕」という意味で、尊敬をもって「クリスチャン」と呼ん だのです。この人たちはいっさいの垣根を設けない人々である。この人たちは「クリスチャン」であ ると…。  私たちにとって最も大切なことは「主を恐れる」ことです。本当に畏れるべきかたを畏れ、畏れる べきではない者(人間)を恐れない、むしろ人間を愛するのです。そのときその人は本当に自由な、 一個の独立した人格となります。逆に言うなら、神を畏れないかぎり、私たちは独立した人格とはな りえないのです。そして神を畏れないとき、私たちは絶対的なものを相対化し、相対的なものを絶対 化する過ちをおかすのです。主客転倒の人生になるのです。そのペテロの過ちは、今朝の12節に彼 が「(アガペーの交わりから)割礼の者どもを恐れ、しだいに身を引いて離れて行った」とあることに 現われています。神への畏れよりも、自分を擁護する気持ちが中心に働くとき、私たちも主の教会か ら「しだいに身を引いて離れて行」く者になってしまうのではないでしょうか。  今朝の13節以下を見ますと、ペテロだけではなく、パウロの同労者バルナバまでもが同じ偽善に 引きこまれた様子がわかります。これはつまり、当初のペテロのような自己保身的な生きかたが、い かに私たちにとって魅力的かということです。神ではなく人を恐れ、人の顔色を窺って身を処するほ うが、上手な世渡りができ、人間関係も円滑にゆくと、私たちは考えやすいのですね。しかし実はち がうのです。最初はそれで人間関係が上手くゆくかもしれません。しかし本当の信頼は決してえられ ないのです。ましてや神の栄光をあらわすことはできないのです。それで近寄ってくる友は本当の友 なんかではないのです。人の顔色を伺って自分の信仰を裏切るような人を、誰が本当に信頼するでし ょうか。もし私たちが、今朝の御言葉の14節で言わているように「福音の真理に従ってまっすぐに 歩いていない」なら、この葉山に住む人たちはどこに救いを求めればよいのでしょう。もし私たちの 教会が、神を畏れず、人に媚を売るような教会であったとしたら、私たちは葉山の人たちからも、誰 からも、信頼と尊敬を得ることはないでしょう。アンテオケの教会のように「クリスチャン」(あの人 たちはキリストの僕だ)と呼ばれることはないでしょう。私たちはいまここに、キリストの満ち溢れ る祝福のもとに、ひとつの群れ、救いの喜びを共にする者たち、まさに「クリスャン」とされている のではないでしょうか。  1572年、スコットランドの宗教改革者ジョン・ノックスが、神に献げた生涯を終えたとき、友人の サー・リージェント・モールトンが墓前で「ただ神のみを畏れ、人をば決して恐れなかった者、ここ に眠る」(Here lies one who never feared any flesh.)と語りました。今でもエディンバラにあるノッ クスの墓にはこの言葉が刻まれています。それは、真に畏れるべき神のみを畏れた生涯であったとい うことです。私たちの生涯もまたその一点において、いつも健やかなキリスト者であることを、神か ら恵みとして賜っているのです。私たちの教会、そして私たちの信仰生活は、いつもどこにあっても、 キリストの限りない恵みのご支配のもとにあるのです。それゆえ私たちは、ただ主なる神を畏れ(信 じ)、それゆえにこそ、全ての隣人を、全ての人を愛して、その幸いと祝福を祈り、キリストの愛を証 することができる、異邦人の使徒とされているのです。パウロとともに、世々の聖徒らとともに、そ の恵みを喜びつつ、感謝しつつ、キリスト者の生涯を全とうして参りたいと思います。祈りましょう。