説    教    イザヤ書40章3〜5節   ガラテヤ書1章13〜17節

「パウロのアラビヤ滞在」

2017・02・19(説教17081684)  今朝の御言葉ガラテヤ書1章13節以下、特にその17節には、熱心なパリサイ人であったサウロがダ マスコに行く途上で復活のキリストに出会い、アナニヤから洗礼を受けてキリストの使徒パウロとして 新たな出発をした直後の出来事が記されています。すなわちパウロは「直ちに、血肉(人間)に相談もせ ず、また先輩の使徒たちに会うためにエルサレムにも上らず、アラビヤに出て行った。それから再びダ マスコに帰った」のでした。そして続く18節を見ますと「その後三年たってから」とありますから、 これは文脈から判断いたしますに、アラビヤに3年間滞在したと理解することができるでしょう。  つまり、私たちが素直に今朝の御言葉を読むなら、パリサイ人サウロはキリストの使徒パウロとして 召命を受けたのち「直ちに」アラビヤに行き、そこで3年間を過ごしたのです。「アラビヤ」というの は当時も現在も、だいたい今日のヨルダンからサウジアラビア北部の範囲をさす地名ですが、もし仮に パウロが向かった先が今日のサウジアラビアであった場合、ダマスコからは直線距離でおよそ800キロ の距離があります。そこで、これは想像ですけれども、おそらくパウロは死海から「王の道」と呼ばれ るエジプトに通じる道を南下して、今日のイスラエル最南端アカバ湾に面するエイラート(パウロの時 代にはエディオン・ゲベルという港町でした)に出て、そこから船に乗って紅海を南下しアラビヤに渡 ったのではないかと想像されるのです。  さて、ともかくも使徒パウロがアラビヤで3年間何をしていたのか、実はガラテヤ書の御言葉からは 私たちは確実なことを窺い知ることはできません。しかし想像いたしますにひとつ確実なことは、パウ ロが行ったアラビヤにはただ茫漠たる砂漠が拡がっていたという事実です。ですから、そこにパウロが 敢えて向かって行ったということは、主なる神との一対一の祈りの対話をするためではなかったでしょ うか。つまりパウロは礼拝と祈りのためにこそアラビヤに向かったのです。そして礼拝と祈りに明け暮 れる3年間を砂漠の中で過ごしたのです。それがパウロのアラビヤ滞在の目的であったのです。  宗教改革者マルティン・ルターは、友人フィリップ・メランヒトンが編集した卓上語録(ティッシュレ ーデン)の中で「今日私は、たっぷり2時間は祈らねばならなかったほど忙しかった」と語っています。 私たちはこのような言葉の感覚からは、実はずいぶん遠いところに生きているのではないでしょうか。 私たちは忙しさを理由にまず祈りの時間を削り、礼拝を平気で休み、悪びれもせず「いや忙しかったん です」と言い訳をするのではないでしょうか。しかしルターは、人間は「そういうものであってはなら ない」と言うのです。朝起きて、今日なすべき一日の務めの重さを思う。思えば思うほど、主なる神の 助けと導きなくして務めを果たしえぬ自分であることを知るのです。それゆえルターは「たっぷり2時 間は祈らねばならなかった」のです。キリストの御手に自分を委ね、御言葉によって打ち砕かれ、新た にされる必要があったのです。  パウロも同じではなかったでしょうか。キリスト教会の迫害者であったほどに律法に熱心なパリサイ 人であったサウロ。そのパリサイ人サウロがキリストの使徒パウロとして召命を受けたとき、主なる神 は彼に砂漠における3年間の礼拝と祈りの時をお与えになったのです。いわば「アラビヤでの3年間」 は使徒パウロの神学校時代だと言えるでしょう。この「アラビヤでの3年間」なくして、パウロは神の 御招きと御業に従うことはできなかった。これは想像ですけれども、おそらくパウロは旧約聖書ただ一 冊だけを携えてアラビヤの砂漠に入っていったはずです。そのアラビヤには岩山が聳えています。その 岩山の山肌の、洞窟のような処にパウロは寝泊まりして、そこで聖書を読みながらひたすらに礼拝と祈 りの日々を過ごしたのです。それは壮絶なまでに厳しい生活でした。  今から30年ほど前に、私はエジプトのシナイ半島のほぼ中央にあるシナイ山に登ったことがありま す。アラビヤ語でジュベル・ムーサ(モーセの山)と呼ばれる標高2285メートルの岩山です。モーセが十 戒を授かった山です。私はまず麓にある聖カタリーナ修道院に一泊し、夜明け前の午前3時に出発、午 前7時ごろにシナイ山の頂上に着きました。そして午前11時頃に出発点である聖カタリーナ修道院に 帰って来ました。周囲は峨々たる岩山が聳える岩石砂漠です。そこは焼けつくような陽ざしが容赦なく 照り付ける、摂氏40度にもなる灼熱の世界でした。そこで私ははじめて、修道院を取り囲む岩山の中 腹に幾つかの洞窟があることに気がつきました。「あれはいったい何のための洞窟ですか?」と修道院の 人に訊きましたら、それは約2000年前に初代教会の使徒たちが礼拝と祈りのために修業をした洞窟だ という答えでした。ドイツの聖書学者ティッシェンドルフが、シナイ写本という聖書の最も重要な写本 を発見したことで知られる聖カタリーナ修道院は、元々はそのような洞窟居住の修道士たちが325年の ニカイア公会議を記念して建てたものです。見上げるような岩山のかなり高い場所にその洞窟はありま した。あんなに高い場所までどうやってそこまで登るのかと訊きましたら、その修道士の人も「縄梯子 か何かで登ったのでしょう」ということでした。目測ですが200メートルぐらいの断崖絶壁の上です。  そこで私も想像いたしました。ああそうか、使徒パウロもこのような場所を求めてアラビヤに行った のではなかったか。そこは人跡の絶えた岩石砂漠の岩山ですが、何も無かったのではありません。なに よりも主なる神が共におられ、神の御言葉が共にありました。パウロは余念なく「御言三昧只管礼拝」 の生活をするためにアラビヤでの3年間を必要としたのではないでしょうか。その意味では「アラビヤ での3年間」もその後のパウロの使徒としての人生にも、基本的な違いは何もありませんでした。かつ て私が神学校に入学したとき、礼拝説教の中で当時の学長が「諸君の牧師としての歩みは、いまこの瞬 間に始まっている」と語ったことを思い起こします。パウロの伝道者たる歩みもまた「アラビヤでの3 年間」において既に始まっていたのです。  そこで、私たちの信仰生活において今日の御言葉はいったいどのような意味を持つのでしょうか。私 たち一人びとりへの福音のおとずれは何でしょうか?。それは、私たちもまたパウロと同じように「ア ラビヤでの3年間」を与えられているということです。それは神の限りない恵みとして与えられている キリスト者の生涯です。それは何かと申しますと、今朝の御言葉で明確に答えが示されています。礼拝 と祈りの生活です。パウロにとって礼拝と祈りの生活は別々のものではありませんでした。礼拝すなわ ち祈り、祈りすなわち礼拝でした。さらに言うなら、礼拝者としての歩みの中にこそ本当の祈りの生活 があったのです。それは私たちも同じではないでしょうか。  顧みて、私たちは本当に忙しい、慌ただしい毎日を過ごしています。「忙しい」という字は「心を亡く す」と書きますが、実はそれこそ現代人のキーワードであると言ってよいのです。大人だけではない、 子供も忙しいです。文字どおり私たちは様々な用事に「忙殺」されてしまっています。健やかに生きる べき人間の生活が忙しさによって「亡きもの」にされてしまうのが現代社会です。そのような毎日の中 で私たちが人間として本当に健やかに、喜びと感謝を持って生きてゆくのは、神の御言葉に生かされる 生活、礼拝者の生活以外にはないのです。昔からの諺に「急がば回れ」というのがあります。この「回 れ」とは「寄道をせよ」という意味ではなく、本当に大切なものを見失わないようにということです。  マルタとマリヤの姉妹が、ベタニヤの村でいつも主イエスを心からもてなしました。ルカ伝10章38 節以下です。姉のマルタはいつものようにかいがいしく主イエスのために食卓を整え、台所で忙しく働 いていました。それに対して妹のマリヤはただ主イエスの足もとに座って御言葉に耳を傾けていた。つ いに姉のマルタが主イエスに食ってかかります。「主よ、妹がわたしだけに接待をさせているのを、なん ともお思いになりませんか。わたしの手伝いをするように妹におっしゃってください」。そのマルタに主 イエスはおっしゃいました。「マルタよ、マルタよ、あなたは多くのことに心を配って思いわずらってい る。しかし、無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである。マリヤはその良い方を選んだの だ。そしてそれは、彼女から取り去ってはならないものである」。  主イエスはここに、台所でまめまめしく働くマルタに対して、そんなことは無意味だとか、あなたは 間違っている、などとはひと言もおっしゃっておられません。そうではなく「あなたは多くのことに心 を配って思いわずらっている」と言われたのです。忙しさの中で、無くてはならない唯一のものを忘れ てしまっていると言われたのです。それこそ礼拝と祈りです。「御言三昧・只管礼拝」の生活です。御言 葉と聖霊によって、いまあなたの救い主・贖い主として出会っておいでになる主イエスにお目にかかる ことです。それを忘れてどうして私たちの本当の生活があるでしょうか。人間を真に人間たらしめるも の、それはいっさいの御栄を神に帰したてまつるまことの礼拝にほかなりません。それを求めているマ リヤから、その唯一のものを取り去ってはならないと主はマルタに言われたのです。  あるドイツの牧師で作家としても有名な人がこういうことを語っています。私たちは礼拝がいつも「か けがえのない神の招き」であることを忘れてはいないだろうか。私たちは礼拝者として生きることによ って、この地上の旅路を永遠に連なりつつ生きる者となる。永遠の生命、まことの神との生きた交わり の内を歩む者とされるのだ。そしてこう語っています。私たちは地上の旅路を終えて御国に召されたと き、そこで御国の聖徒たちとどのような会話をするのだろうか?。パウロは、罪人の頭であった自分が 贖われてキリストの使徒とされた恵みを語るであろう。ペテロは、主を3度も拒んだ自分が主の招きを 戴いた喜びを語るであろう。マリヤは、大きな罪の中から主によって永遠の生命を戴いた幸いを物語る であろう。あのサマリヤのスカルの女性は、人目を避けて水を汲みに来た自分に主が出会って下さった 喜びを語るであろう。  では、私たちは何を語るのか?。私たちは、自分の教会の礼拝で受けた、御言葉と聖霊による主との 出会いの喜びと幸いを語るのではないか。その喜びと幸いとにおいて、永遠の生命の祝福において、聖 徒らと少しも変わらぬ恵みを戴いていることを、感謝と讃美をもって証しする者と、私たちはならせて 戴いているのです。私たちはいまここにおいて、かけがえのない礼拝を献げる者とならせて戴いている。 十字架と復活の主の永遠の御身体である教会に、ただ恵みによって連なる者とされているのです。たと え肉体においてここに出席することができない人々も、同じ主の生命の祝福にあずからしめられている のです。私たちはその幸いと祝福のもと、たとえ日々の生活がどんなに多忙であっても、ここに「アラ ビヤでの3年間」を持つ者とされているのです。あのマルタとマリヤのように、なくてはならぬ唯一の 御言葉によって、キリストに贖われた者として、いつも新たに生かされる者とされているのです。  私たちは、この礼拝を献げることによって、来るべき永遠の御国に備えているのだと言えるのです。 パウロが使徒として用いられるために、あの「アラビヤでの3年間」が必要であったように、私たちも また、この移りゆく世界において、決して変わることのないもの、全ての人に対する、まさに「この世」 を愛したもう限りない神の愛を知り、その喜びに生きる者と、いよいよ堅くされるために、そしてこの 葉山の地、湘南の地に住む全ての人々に、救いと神の祝福を伝える群れとなるために、礼拝者としての 真実な歩みを、神の導きと祝福のもと、心を高く上げて歩み続けて参りたいと思います。祈りましょう。