教    説     詩篇42篇1〜5節   ヨハネ福音書16章1〜4節

「最も幸いなること」

2016・03・13(説教16111634)  「わたしがこれらのことを語ったのは、あなたがたがつまずくことのないためである」と主イエスは 言われました。今朝お読みしたヨハネ伝16章1節の御言葉です。この「つまずく」という言葉を私た ちキリスト者は、あまり深い考え無く用いることがあるのではないでしょうか。たとえば、信仰生活に 熱心であった人が、ある人間どうしのトラブルに巻きこまれて信仰を失ってしまう。教会にも来なくな ってしまう。そういう時に「あの人は“つまずいて”しまった」などと申します。ある意味で、私たち にとって最も親しい聖書の言葉のひとつが、この「つまずき」であるかもしれません。  そこで、もともと「つまずく」と訳された本来の言葉は“スカンドロン”というギリシヤ語です。こ れは週刊誌などに出て来る“スキャンダル”という言葉の語源にもなった言葉です。その本来の意味は、 ある人の前に“故意に石を置くこと”です。人の足を滑らせてわざと転ばせることです。そうしますと、 この言葉の意味は受身なのです。実際に私たちは、自分の意志ではなく、他人から意図的に陥れられ、 足元を掬われることを「スキャンダルに巻きこまれた」と言うのです。人から酷い仕打ちを受けること です。  ところが今朝の御言葉において、主イエス・キリストは全く違う意味でこの言葉をお用いになりまし た。それが今朝の16章の1節です。「わたしがこれらのことを語ったのは、あなたがたがつまずくこと のないためである」。ここでは主イエスは「あなたがたがつまずくことのないため」と言われ「つまずか されることのないため」とは仰ってはいません。つまり受身の形ではなく、私たちが自ら「つまずく」 という意味でこの“スカンドロン”という言葉を用いられたのです。これはとても不思議なことです。 自分の意志で「つまずく」ことは常識ではありえないからです。そのありえないことを、主イエスは敢 えて弟子たちに、また私たち一人びとりに語っておられるのです。  さて、それでは主イエスが言われる私たちの「つまずき」の内容とはどのようなものでしょうか?。 それが続く2節に記されている「人々はあなたがたを会堂から追い出すであろう。更にあなたがたを殺 す者がみな、それによって自分たちは神に仕えているのだと思う時が来るであろう」と言われたことで す。この「会堂」というのはユダヤ教の会堂(シナゴーグ)のことであり、しいてはシナゴーグを中心 とした地域社会の交わりのことを指しています。つまり主イエスは弟子たちに「あなたがたは、わたし を信じる信仰のゆえに、地域社会の交わりから“追い出される”ような仕打ちを受けるであろう」と言 われたのです。さらに「あなたがたを殺す者がみな、それによって自分たちは神に仕えているのだと思 う時が来るであろう」と言われたのです。  これは、とても過激な言葉です。そこには私たち人間にとって、最も嫌なこと、呪わしいこと、おぞ ましいことが語られているからです。慣れ親しんだ地域社会の交わりから疎外されること。しいては、 自分を殺す人々がみな、その死ぬ姿を見て「自分たちは神に仕えているのだと」思い拍手喝采すること。 こうした場面は想像するだに恐ろしいものではないでしょうか。わが国でも過去何度も死刑廃止論が起 りました。そのたびに立ち消えになったのは、残虐非道な犯罪に対して“赦せない”という世論が廃止 論にまさったからです。とても人間のした事とは思われない残忍な犯罪をおかした人間が絞首台に上が るのを、私たちはある意味で「当然の報い」だと思っています。譬えて言うなら、それと同じことがあ なたの身に、信仰のゆえに起こったならどうか?と主イエスは問われるのです。しかもそれは、残忍無 比な犯罪をおかしたからではない。ただ主イエス・キリストを「主」と告白する信仰のゆえに地域社会 の交わりから疎外され、自分を殺す人々が拍手喝采する、そのような酷い扱いを受ける「時」が「来る であろう」と言われるのです。  これは実際に初代教会の歴史の中で、あるいは過去二千年の教会の歴史の中で起こってきたことです。 このヨハネ福音書が書かれたのは西暦2世紀の初めごろですが、既にその時代にはローマ帝国による組 織的なキリスト教迫害が行われていました。国家の名において、キリストを信ずる人々を地上から抹殺 する政策が実行されていたのです。それが約250年間続きまして、やがて西暦313年にキリスト教がロ ーマ帝国の国教となるに及んで迫害は終息しました。同じようなことは16世紀ヨーロッパの宗教改革 の時代にも、または20世紀のナチスドイツによる告白教会への迫害という形においても、繰返し起っ て参りました。この日本においてさえ、戦時中はどんなにキリスト者が社会から嫌がらせを受け、教会 が監視下に置かれていたか、その記憶を持つ人々がまだ存在するのです。礼拝の前には「国民儀礼」と 申しまして宮城遥拝が強制され、説教の内容も特高警察の監視下に置かれたのです。それに反対した牧 師たちの中には獄中で死んだ人々もいたのです。  しかし、私たちがその歴史の中で本当に忘れてはならないことは何でしょうか。当時の教会がどんな に戦時下国家体制の中にあって不自由な思いをしたか、ということでしょうか。信教の自由・言論結社 の自由は守られねばならないという教訓でしょうか。それも大切なことかも知れない。しかし、そのよ うなことより遥かに大切なこと、本当に忘れてならないことは、そのような時代的風潮の中で、どんな にたくさんのキリスト者が教会から離れてゆき、信仰を捨ててしまったか、という事実ではないかと思 うのです。 あの戦争の時代、わが国のどの教会でも、礼拝出席者は戦前の五分の一、否十分の一に激 減しました。百名の礼拝出席があった教会が十名ほどに減ってしまったのです。空襲等によって消滅し てしまった教会も少なくなかったのです。  私たちの葉山教会も大変な経験をしました。当時の牧師先生であられた杉田虎獅狼先生(1936年1月 〜1945年3月病死)また宮崎豊文先生(1945年3月〜1981年4月)は栄養失調で苦しみつつ、なお葉山 に福音宣教の火を灯し続け数少ない信徒を励まして礼拝を守り続けました。ともあれ、わずか130年の この国の教会の歴史の中でさえ、戦争という嵐の中で多くの信徒がそれこそ「つまずいて」教会から離 れ去っていった。そうした苦難の時代があったことを、私たちは決して忘れてはなりません。それと同 時に、たとえどんなに数少なくなっても礼拝を献げ続けた信徒たちが存在していた事実を忘れてはなら ないのです。  そこで、敢えて歴史に「もしも」を設定したいと思います。もしも私たちが当時のキリスト者と同じ 状況に立たされたならどうでしょうか?。私たちは本当に「自分はどんなことがあっても葉山教会から 離れない」と言い切れる信仰生活を「いま」しているでしょうか?。それとも私たちは、主イエスが今 朝の御言葉で言われるように、地域社会から疎外され迫害を受けることを怖れて、教会から離れ信仰を 捨ててしまうことにならないでしょうか?。そう考えますとき、まさに今朝の「つまずき」の御言葉は 今ここに集う私たち自身への問いなのであります。  私たちは、再びあの戦争のような状況を経験することは「あってはなりません」。しかしたとえいつの 時代にあっても、キリストを真に「救い主」と信ずる人々が、慰めと喜びと同時に、苦しみと悩みをも 受けなかったことはないのです。あるいはさらに過酷な経験が私たちを待ち受けているかもしれないの です。そのような時にあたって私たちのこの群れは、葉山教会は、礼拝出席が激減するような群れにな ってはなりません。そのためには「いま現在」の信仰生活が大切です。それこそ主イエスが言われるよ うに、私たちは「つまずく」ことのない教会生活をせねばなりません。そのためには「自分をつまずか せる国家が、地域社会が、あの人、この人が、悪いのだ」と、国家や政治や人間関係を批判していれば それで良いのではないのです。また「仕方がない」と諦めれば済む問題でもありません。あるいは「徹 底的に抵抗せよ」と、国家に対する抗議抗戦の旗印を掲げれば教会が保てるのでもないのです。  私たちが執るべき道は、そのいずれでもありません。私たちが歩むべきキリスト者の道はいつも変わ ることはない「古くて新しい十字架の道」なのです。それは「わたしに繋がっていなさい」と言われた 主イエスに、いつも繋がって生きる本当の主の僕になることです。「わたしはまことのぶどうの木、あな たがたはその枝である」と言われた主イエスの御招きにいつも従順な主の僕であり続けることです。キ リストの贖いの恵みの内に健やかにあり続けることです。何よりも主イエスは今朝の御言葉ではっきり と言われました「わたしがこれらのことを語ったのは、あなたがたがつまずくことのないためである」 と。たとえどのような時代、どのような状況にあっても、決して「つまずく」ことのない本当のキリス トの弟子たるべく、私たちは招かれ、導かれているのです。今朝の御言葉が受身ではなく、まさに私た ち自身への主イエスの問いであることが、ここでこそ明確になります。主イエスはまさしく、私たちが どのような時にも決して「つまずく」ことのないために御言葉を語られたのです。私たちをつまずかせ る相手を批判するためではありません。私たちがどんな時にも「つまずく」ことのないキリストのまこ との弟子になるためです。  使徒行伝の7章には、エルサレム教会の執事ステパノの説教と殉教の様子が記されています。ユダヤ 人たちに「イエスはキリストなり」と証したステパノは、怒り狂った群衆によって町の外に追放され、 そこで石打の刑に処せられました。人々に石で打たれている間、ステパノは自分を殺害する人々のため に祝福と赦しを祈り続け、そして息絶えました。その殉教の様子を上着の番をしながら見ていたのが、 後に使徒パウロとなったパリサイ人サウロでした。ダマスコ途上におけるサウロの改心はこの日の出来 事の結果であったと言っても良いのです。サウロはステパノの殉教の様子を見て、そこに本当の神の僕 の姿を見たのです。ステパノの死が、律法によって死んだサウロの死せる魂に、キリストによる復活の 生命の喜びを灯したのです。ステパノは、エルサレム教会が迫害に遭ったからと言って「つまずく」こ とはなかったからこそ、サウロにキリストの生命を伝えることができたのです。彼は教会の中で「つま ずいた」人々を励まし、苦難の中で教会に仕え、キリストの証人として、死にいたるまで従順であった のです。それはジェンケヴィッチが“クォ・ヴァディス”に描いた使徒ペテロの姿にも見て取れます。 迫害の嵐吹き荒れるローマから避難すべくペテロがアッピア街道を歩いていますと、途中で復活の主に 出会った。驚いたペテロは「わが主よ、何処に行きたもう?」と問います。ラテン語で“Quo vadis Domine?”と訊いたのです。すると主は答えて言いたもうた。「われローマヘ行かんとす。もし汝がわ が子らを棄ててローマを去るならば、われ再び十字架にかかるためにローマに赴くべし」。この言葉を聴 いてペテロは決然としてローマに引き返し、殉教の死をとげたと伝えられているのです。  それは、ステパノ自身の力によるのでしょうか。ペテロが強い人間だったから出来たのでしょうか?。 そうではありません。ステパノもペテロも、私たちと同じ弱い人間にすぎませんでした。彼らはただそ の「弱さ」の中で、あるがままにキリストの贖いの恵みの内を歩み続けたのです。だから彼らは「つま ずき」ませんでした。同じように「つまずき」の危機の中にある人々に「主にある慰めと平安と勇気」 を宣べ伝える僕とされたのです。どのようなことがあっても、キリストの生命が、キリストの祝福が、 福音の豊かな慰めと喜びをもって、いつも自分を支えていて下さることを信じたのです。彼らはいつも 「まことのぶどうの木」であられるキリストに繋がる「枝」であり続けたのです。だからこそ、たとえ 自分が弱くとも「つまずく」ことはなかった。杉田先生も宮崎先生も同様でした。その時代の長老会も 同様でした。キリストが存在の根底から支えていて下さることを確信することができたのです。その幸 いを同じ「つまずき」の中にある人々にも鮮やかに指し示すことができたのです。  主は言われました。今朝の御言葉の4節です。「わたしがあなたがたにこれらのことを言ったのは、 彼らの時がきた場合、わたしが彼らについて言ったことを、思い起させるためである。これらのことを 初めから言わなかったのは、わたしがあなたがたと一緒にいたからである」。あなたがた「つまずかせる」 ような迫害の時代が来た時こそ、忘れてはならないと主は言われます。同じヨハネ伝15章16節以下に 記された祝福です。「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。 そして、あなたがたを立てた」。いま私たち一人びとりが「主にありて」「決してつまずかない」僕とし て立てられています。この祝福にまさる幸いはなく、この主の導きにまさる平安と喜びはないのです。 いまともに心を高く上げて、信仰の道に邁進する私たちでありたいと思います。