説     教   詩篇139篇7〜10節  第一ペテロ書3章18〜22節

「主は陰府に降りて」

2015・05・10(説教15191589)  使徒信条に記された全ての言葉の中から私たちが「自分はこの言葉にいちばん心を惹かれる」という ものを自由に選んだとしたら、最も多くの関心を集めるのはどの言葉でしょうか。この問いは逆に向け ることもできます。私たちの心は使徒信条のどの言葉に最も関心が薄いでしょうか。アンケートを取っ た結果などはありませんけれども、それは関心が多いのも薄いのも、想像いたしますに、おそらく主イ エス・キリストが「陰府にお降りになった」という告白ではないかと思うのです。  そもそも、キリストが「陰府にお降りになった」という告白に冷淡であったのは今に始まったことで はなく、使徒信条が制定された西暦4世紀、つまり今から1600年以上も前のいわゆる「古カトリック 教会」の時代に遡れることです。既にその時代に、この文言を使徒信条の中に入れるか否かは最後の最 後まで議論されていたようです。その名残でありましょうか、今でも私たちが目にする使徒信条の日本 語訳、たとえば1890年の「日本基督教会信仰の告白」の中の使徒信条では、この部分だけが括弧で括 られていたりします。信徒の人たちはあんがい、こういうことをとても気にします。「先生、どうして使 徒信条の『陰府にくだり』という部分だけに、括弧が付いているのですか?」。こうした質問を幾度受け たか知れません。そのたびに「これは今から1600年以上も前に疑問視されていたので」などと言って も意味のないことです。使徒信条の中に入っていて、しかも括弧にくくられているのでは、信徒の人た ちが疑問を抱くのは当然です。  1890年(明治23年)の「日本基督教会信仰の告白」の形式は、括弧も含めてそのまま踏襲すべきと いう見解があります。それも一理あるでしょう。しかし伝統に忠実なことと形式に忠実なことはやはり 違います。キリストが「陰府に降り」たもうたという告白、これはとても大切な信仰の告白であり、括 弧に括ってはならないものです。信仰告白は私たちの信仰の生命に関わることです。言い換えるなら、 括弧つきの告白文で、あなたは殉教できますか?…ということです。使徒信条に括弧(但し書き)付き の文言などはありえないのです。  さて、主イエス・キリストは、私たちのために十字架に死なれ、私たちを罪から救うために、永遠の 贖いを成し遂げて下さいました。ある意味において私たちの信仰生活はキリストの「死と葬り」を深く 覚えつつ、礼拝中心の生活を形作ることです。そして私たちは、やがて私たち自身の身にもこの「死と 葬り」という事柄が紛れもなく起こることを知っています。言い換えるなら、キリストは「死にて、葬 られ」という事実によってもなお、否、その事実によってこそ、私たちと完全に一体になって下さった 救い主であられるのです。死の完成としての「葬り」の彼方にさえ、主は私たちの変わらぬ贖い主でい ましたもうのです。ここに私たちは、罪と死に勝利して下さった主による、確かな慰めと救いを見いだ すのです。  ところが、続いてキリストが「陰府にくだりて」と聴きますとき、私たちは少し戸惑ってしまうので はないか。「死と葬り」において、私たちにぐっと近づいて下さった主が、また離れて行ってしまわれた ような思いがするのです。主イエスはまたもや私たちの思いを超えたところに行っておしまいになった。 少なくとも私たちは「陰府」という言葉が自分にとって「わかりやすい」などと申すことはできません。 下手をすれば「この部分が括弧で括られたのは当然だ」などとさえ感じかねないのです。そもそも「陰 府」という言葉じたい、日常会話の中でほとんど用いられることはありません。せいぜい日本神話(古 事記)に、イザナギノミコトが亡くなった妻イザナミノミコトを慕って陰府の比良坂を訪れた、などと いう話を読むぐらいのものです。  しかしそれだけに、きちんと聖書の御言葉を学べば思いこみによる誤解を避けることができます。特 に外国語の例を見ますと、英語やドイツ語などでは全てではありませんけれども、昔からの伝統的な訳 語としてこの「陰府」という言葉に「地獄」という訳を当てはめました。その場合、使徒信条の言葉は より激烈なものになります。「(キリストは)地獄に降りたもうて」となるからです。つまずきに近い思 いさえ、私たちは抱くかもしれません。しかし、まさしく主イエスは、私たちを地獄(測り知れない罪) から救うために、みずから地獄のどん底に降って下さったかたなのです。このような驚くべき訳を敢え てしたことの明確な根拠は、ここで「陰府」と訳された元々の言葉が旧約聖書の原語ヘブライ語で「シ ェオール」という激烈な言葉だからです。「シェオール」とは、神に呪われ捨てられた人間の行き着くと ころと考えられていました。つまり救いの余地の全くない場所のことです。もはやそこには神のご配慮 さえ及ばず、神の御手さえ届くことはない、永遠の暗黒と絶望の世界、それが「シェオール」(陰府)で した。だから「地獄」と訳されたのです。  私たちは「地獄」と聞くと抵抗を感じるのです。それは特別な悪人の行く所だと思うからです。自分 とは無関係だという思いがどこかにあるのです。しかし少なくとも聖書の語る「シェオール」(陰府)と は、そういう、私たちと無関係な場所ではありません。むしろ聖書によってはっきり示されていること は、私たちは全て例外なく、生ける聖なる神の御前に「罪」ある存在だということです。譬えて言うな ら、私たち人間は罪という名の泥沼に落ちてもがいているようなものです。もがけばもがくほどいよい よ自分の重みによって深みに落ちてゆき、やがて滅びるほかはない存在が人間なのです。自分をその泥 沼から救い上げようとしても手がかり足がかりが何もありませんから救いようがないのです。「シェオ ール」(陰府)とはそのような私たちの、罪に囚われた現実をさす言葉です。それをパウロは「生まれな がらの滅びの子」という言葉であらわしたのです。  だから「地獄」は特別な場所でも何でもない、私たち自身がそこに自分を見いだす場所こそ「シェオ ール」(陰府)なのです。かつて武田泰淳という作家が「私の中の地獄」という文章の中で「地獄の地獄 性は測り知ることができない。測り知りえないからこそそれは地獄なのである」と申しました。これは 全く当を得ています。私たちは自分の罪をさえ測りえぬほどに暗黒に閉ざされている存在です。地獄の 地獄性は測り知ることができないのです。いっさいの人間の希望は、哲学者の営みすらも、そこで終止 符が打たれます。「この泥沼から自分を引き上げることは不可能である」という現実の前に、ただ果てし ない虚無だけが残るのです。しかしその罪の泥沼にはまっている私たちを、誰かが生命がけで外から引 き上げてくれるなら、いっさいの状況は変わって来るのではないでしょうか。それこそ人間の不可能の 限界を超えて向こう側からもたらされる「救い」です。いっさいの虚無はそこで終わりを告げるのです。 言い換えるなら、私たちは神を見失っているのですが、神は私たちを見失いたまわない。たとえ私たち は神を捨てていても、神は決して私たちを捨てたまわない。この現実が私たちの福音として世界に現わ れたところ、それこそキリストが「陰府にくだり」たもうたところ、すなわちこの「地獄の地獄性」と も言うべき私たちの現実にほかならないのです。  カール・バルトがある本の中でこのようなことを語っています。それは1933年、ドイツにおいてナ チス党がドイツ国会中288名の議席を獲得して大勝利をおさめ、ヒトラーが政権を掌握するに至った年 のことです。バルトはそこに神を見失った現代の底知れぬ虚無と、その虚無が引き起こした政治的革命 を見ます。その中でバルトはこう語るのです。「神はキリストにおいて陰府にまで降りたもうたという福 音の真理の前に、第三帝国(ヒトラーの政権)は完全に滅び去るであろう」。歴史はこのバルトの洞察が 真実であることを示しました。主イエス・キリストは、私たちの測り知れぬ罪の虚無をさえ、陰府に降 りたもうたことによって担い取って下さった救い主であられる。  近代社会はニーチェの「神は死んだ」という叫びによって始まりました。しかし私たちはその現実の 中でこそはっきりと知るのです。神はキリストにおいて既に陰府にまで降りたもうたということを。こ の神の恵みの福音の前にもはや私たちの虚無は力を持ちえないのです。むしろその虚無はキリストの恵 みと祝福が響く空洞になるのです。近代社会が「神は死んだ」と宣言するよりも遥かに深く真実な意味 で、神はみずからを死に引渡し陰府にまで降られたかただからです。ギターやヴァイオリンの中身は空 虚です。しかしその空虚な部分が旋律を響かせる空間となるように、私たちの虚無、私たちの中の地獄 は、もはや私たちの主とはなりえない。まことの主がその虚無の中に降って来て下さったからです。そ の虚無は、主が御言葉と復活の生命によって満たして下さったからです。罪に死んだ私たちを、主と共 なる喜びの生命に甦らせて下さるために、主は測り知れぬ地獄のどん底にまでお降りになったのです。  そのような明確な信仰の告白からでしょう、スコットランド国教会、これは私たちと同じ改革長老教 会ですが、その礼拝式文の扉にある使徒信条の訳では、従来の「地獄」という訳に替えて「死」という 言葉そのものを用いています。「(主は)死の中にお降りになった」と訳すのです。それは「死人」とも 訳すことができる言葉です。「(主は)死人の中にお降りになった」と訳すことができるのです。何のた めでしょうか、そこで「死人」を贖われるためです。陰府の支配に閉ざされていた死者のもとにさえ、 主イエスは限りない生命を現して下さった、そこに、私たちの大きな慰めがあります。  ペテロ第一の手紙3章18節以下には、主イエスが「陰府に降られた」恵みが明確に宣べ伝えられて います。特に私たちは19節「こうして、彼は獄に捕われている霊どものところに下ってゆき、宣べ伝 えることをされた」とあることを聴き取りたいのです。罪による滅びが全ての人を捕らえ支配する「陰 府」すなわち完全な「死」そのものの中に、主イエスはみずから降って下さった。ここに主が十字架に おかかりになってから、甦られるまでの三日間の消息があると理解することもできます。しかしそれは 過去の出来事ではなく、いまここにおける私たちに対する主イエスの救いの恵みなのです。主は生命の 御言葉を「陰府」に「死者」に宣べ伝えて下さった。あのラザロを御言葉によって墓から甦らせられた ように、私たちにも御言葉によって、永遠の生命を与えて下さるのです。このキリストが来られたから には、神の御手が届かぬ「陰府」はもはや存在しないのです。このキリストが十字架にかかりたもうた からには、神の御言葉が宣べ伝えられない「陰府」もまた存在しないのです。神の恵みの支配の及ばな いいかなる場所もない、そのような世界に私たちは生かしめられているのです。キリストは「死」に勝 利されたのです。私たちはその勝利に連なる枝とされているのです。それこそ「(主は)陰府にお降りに なった」という告白が告げる福音なのです。  最後に、私たちはこういう疑問を一度は抱くのではないでしょうか。「洗礼を受けることなく死んでし まった自分の親や兄弟たちは、どうなるのだろうか?」という疑問です。その疑問に対する大きな答え が今朝の第一ペテロ書3章20節に記されています。「これらの霊というのは、むかしノアの箱舟が造ら れていた間、神が寛容をもって待っておられたのに従わなかった者どものことである」。これは誰のこと か?。私たちのことなのではないでしょうか。私たちはここに改めて、自分がどんなにキリストの恵み を過小評価していたかを痛切に思い知らされます。私たちが常識で判断して、まさかここには「救い」 はありえないと考えていた、その場所に主はすでに御手を伸ばしていて下さる。私たちが勝手に「ここ には主はおられないだろう」と判断するその場所に、主はすでに来ておられる。私たちは不信仰を恥じ 入るばかりです。「主よ、われ信ず、信なきわれを助けたまえ」と祈らずにはおれないのです。  神は私たちが愛する者を、私たちの愛に遥かにまさって愛したまい、その救いのために、私たちの思 いを遥かに超えた備えをして下さることを、私たちは信じることができるのです。もちろん、信仰がな くても救われるとか、洗礼を受けなくても救いはある、ということを申すのではありません。そうでは なく、信仰を持たずして亡くなった愛する人々のことを、私たちが心配するよりもっと遥かに確かに、 主がご配慮下さることを、私たちは信じることができるのです。その慰めを聴き取ることも「陰府にく だり」という信仰告白に連なることなのです。