説    教     イザヤ書30章18節   使徒行伝16章11〜15節

「主を信ずる」

2015・04・26(説教15171587)  使徒パウロによる第二回目の伝道旅行が行なわれたのは、西暦48年から52年にかけての、 約4年間の出来事でした。48年にエルサレムにおいて行なわれた「エルサレム使徒会議」の結 果、キリストの救いは異邦人(全世界)に宣べ伝えられるべきものであるとして、伝道の新たな 幻を与えられたアンテオケの教会は、パウロとバルナバの二人を開拓伝道へと送り出すにあた って、彼らの伝道活動を支えるために、率先して物心両面にわたる必要を満たす決議をしまし た。経済的には決して豊かではなかったアンテオケの教会が、パウロの伝道を生涯にわたって 支える母体となったのです。伝道は教会を生み出し、生み出された教会は伝道を支えてゆきま す。そしてアンテオケの教会は、福音が最初にヨーロッパ大陸(ギリシヤのマケドニヤ)へと もたらされるきっかけを生み出したのでした。その消息を生き生きと伝えておりますのが、今 朝お読みしました使徒行伝16章11節以下の御言葉なのです。  さて、パウロはかねがね今日のトルコ北部、黒海沿岸のビテニヤ地方に伝道したいと願って いました。それでパウロは、アンテオケを出発したのち、ただちに第一回伝道旅行のおりに開 拓伝道をした諸教会を訪問しつつ、小アジヤと呼ばれた今日のトルコ中東部を北上して、最終 目的地であるビテニヤに入るつもりでいたのです。しかしパウロ自身、全く予期しなかった不 思議な導きによって、予定とは正反対の南西の方角へと、伝道の歩みは導かれてゆくことにな りました。さらにエーゲ海を渡って、今日のギリシヤ北部(マケドニヤ)へと、福音が宣べ伝え られてゆくことになったのです。  このあたりの消息を、使徒行伝16章7節は「イエスの御霊がこれを(ビテニヤに行くこと を)許さなかった」と伝えています。普通、私たちは自分が立てた計画が挫折した場合、それ を「失敗」だと思いがちです。しかしパウロはそこに「イエスの御霊」(聖霊)の導きを見いだ し、それこそ自分が行くべき新たな主の道であると確信したのです。計画していた路とは180 度違う道を示されたパウロでしたが、そこに必ず主のご計画があることを信じたのです。使徒 行伝はの16章の9節以下には、パウロがトロアス滞在中に、夢の中に現れたマケドニヤ人が 「わたしたちを助けて下さい」と願った「幻」に接したことを記しています。これは単に不思 議な夢を観たという経験ではなく、パウロがヨーロッパ伝道への道を聖霊によって示されたこ とです。ですから10節には「パウロがこの幻を見た時、これは彼らに福音を伝えるために、 神がわたしたちをお招きになったのだと確信して、わたしたちは、ただちにマケドニヤに渡っ て行くことにした」とあります。神が求めたもうとき、寸時も躊躇うことなく導きに従ったの です。これはパウロの全生涯を貫く伝道者としての基本姿勢でした。  さて、当時の船旅は危険に満ちたものでした。11節以下にはパウロの一行は「トロアスから 船出して、サモトラケに直行し、翌日ネアポリスに着いた」とありますが、その海域は季節風 の影響により多くの海難事故を起こすことで有名な海の難所でした。「サモトラケ」とは島の名 前ですが、そこにいったん寄航したのも嵐を避けるためであったと思われます。「ネアポリス」 というのはギリシヤ語で「新しい街」という意味です。そこに上陸したパウロとバルナバはさ らに「マケドニヤのこの地方第一の町で、殖民都市であった」ピリピに向かいました。ネアポ リスもピリピもいかにも新開地という雰囲気の街でした。つまり人々の“心の拠り所”がどこ にも無い、精神的に無秩序(アナーキー)な街であったわけです。  パウロは、新しい町に福音を宣べ伝えるとき、いつでもユダヤ教の会堂(シナゴーグ)から 始めるのを常としていました。新しい新開地であったピリピにはまだシナゴーグさえなかった のですが、しかしパウロは経験的に、必ずユダヤ人の女性たちが集まる「祈りの場所」がある ことを知っていました。13節を見ますと「ある安息日に、わたしたちは町の門を出て、祈り場 があると思って、川のほとりに行った」とあります。パウロの目論見はぴたりと当たりました。 この「川」(ガンギテス川・現在はルデヤ川)の畔にユダヤ人の女性たちの「祈りの場所」があ り、安息日に大勢の婦人たちが集まって来ていたのです。その中に「ルデヤ」という中年の女 性がいました。ルデヤはパウロの語る福音の説教を聴いてイエス・キリストを神の子・救い主 と信じ、その家族もみな洗礼を受けて、ルデヤの家がヨーロッパ大陸におけるキリスト教会第 一号となったのです。  さて、この「ルデヤ」は14節によれば「テアテラ市の紫布の商人で、神を敬う」女性であ ったと記されています。何より印象ぶかいのは「主は彼女の心を開いて、パウロの語ることに 耳を傾けさせた」と記されていることです。この「耳を傾ける」とは「注意ぶかく祈りをもっ て聴くこと」です。その日、同じようにパウロの話を聞いた女性はたくさんいたはずです。し かしルデヤ一人だけが主を信じて洗礼を受けたのです。伝道の成果は決して数で計れるもので はありません。本当に主を信ずる者が一人でも起こされるなら、そこからどれほど多くの祝福 が現われることでしょうか。そして大切なことは、その人が生涯忠実に教会に連なり真のキリ ストの僕として生きることです。そうした本当のキリスト者の育つ教会へと、私たちもまた共 に成長してゆかねばなりません。  ところで、私たちは時々このように思うのではないでしょうか。ここに誰もが感心するよう な素晴らしい雄弁の持主がいて福音の説教を語る。そうすればたちまち何百、いや何千人もの 人々を教会に集めることができるのではないか。どこかにそのようなカリスマ伝道者がいない ものだろうか。たとえば特別伝道礼拝の講師などを選ぶ場合、意図せずして私たちはそのよう なカリスマの主を探していることはないでしょうか。逆に、教勢が伸びないのは説教に力がな いからだ。始めて教会に来た人にわかりづらい説教だからだ。わかりやすい雄弁な説教をすれ ば教勢は必ず伸びるはずだ。そこにはやはり、私たちが陥るひとつの危険があると思います。 いつの間にか私たちが説教(神の言葉)の判定人になってしまう危険です。自分が教会形成の ご意見番になる危険です。そして、すぐに他の教会と比較を始める。自分たちの教会に無いも のを論いはじめるのです。  使徒パウロの伝道、また教会形成は、そういうものではありませんでした。私たちが御言葉 の判定人(教会のご意見番)になるところには、まことの教会は決して建ちません。第二コリ ント書10章10節にパウロは「彼の手紙は重味があって力強いが、会って見ると外見は弱々し く、話はつまらない」と評されていたことが記されています。パウロの説教は「つまらない」 と評されていたのです。福音のみを正しく語る説教は、決して「わかりやすい」とか「わかり にくい」とかいう、人間を基準にした秤で測れるものではないのです。大切なことは、そこに 主(キリスト)を信ずる本当の信仰が起されることです。それを今朝の御言葉は「主が彼女の 心を開いて」下さったゆえであると告げるのです。  私たち一人びとりに求められていること、それは福音のみを正しく語る教会、福音の輝きと 喜びを全ての者が共有し、それを世に向けて語りだす教会へと成長することです。人間の能力 や雄弁ではなく、神の語りたもう福音を、大胆に恐れることなく宣べ伝える、主の器に徹する ことです。自分自身がまず御言葉によって打ち砕かれ、甦らせられ、作りかえられた者として 生きることです。私たちが福音の是非を判定するのではなく、福音が私たちを打ち砕くのです。 そのように御言葉を聴く耳は、神ご自身が開いて下さるのです。そういう経験がルデヤという 一人の婦人の上に起こったのです。  それは人間の目から見るなら、本当に小さな徴でした。ある意味でパウロの伝道は失敗に見 えました。たった一人の受洗者しか得られなかったからです。しかしルデヤは救われた喜びと 感謝を、パウロを自宅に招いて家族全員が洗礼を受け、さらにその自宅をピリピ教会の礼拝堂 として献げることであらわしました。ルデヤの家がヨーロッパにおける教会第一号となったの です。イギリスの思想家トマス・カーライルは「使徒と英雄との相違は、福音によるか、それ とも雄弁によるかの違いである」と語っています。そして「福音は神から出で、雄弁は人から 出る。人を救うものは、ただ神から出たものだけである」と語っています。ルデヤは雄弁では なく、神から出た福音の大いなる力(御言葉の豊かさ)によって救われたのです。キリストを まことの主、救い主と信ずる女性になったのです。15節には、彼女をはじめ家族みなが洗礼を 受け、そしてパウロに対して「もし、わたしを主を信じる者とお思いでしたら、どうぞ、わた しの家にきて泊まって下さい」と「懇望した」と記されています。この「わたしを主を信じる 者とお思いでしたら」というのは、十字架のキリストによる救いの確かさに生かされた者とし て、という意味です。十字架のキリストによる救いの確かさに生かされた者として、どうか私 をも“御言葉の御用に仕える者にして下さい”と願ったのです。そして、そのルデヤの願いは、 主が限りなく祝福し、多くの人々の救いのために豊かに用いて下さったのです。  この後、このピリピにおいてパウロとバルナバはある騒動に巻きこまれて投獄されるのです が、そこでも説教の言葉に耳を傾けた獄吏に対して、パウロは「主イエスを信じなさい。そう したら、あなたも、あなたの家族も救われます」と語っています。その獄吏はそこで家族もろ ともにパウロとバルナバから洗礼を受け、同じ16章の34節を見ますと「さらに、ふたりを自 分の家に案内して食事のもてなしをし、神を信じる者となったことを、全家族と共に心から喜 んだ」と告げられているのです。ここに「家」という大切な言葉(キーワード)が現れてきま す。何よりもパウロ自身、のちにこのピリピの教会のためにエペソの獄中から「ピリピ人への 手紙」を書き送ります。当時、ピリピの教会からパウロの伝道を助けるために遣わされたエパ フロデトという青年がいました。ピリピの教会は、そうした忠実な主の仕え人を送る教会へと 成長したのです。しかしエパフロデトは、エペソに着いてまもなく病気になってしまうのです。 パウロの伝道を助けるために遣わされたのに、かえってパウロに看病される身になってしまっ た。重荷になってしまった。このことをエパフロデトは、遣わしてくれたピリピの教会に申し わけが立たないと、非常に気に病むのです。  このエパフロデトが、パウロの看病の甲斐あって健康を回復したのち、パウロは彼に「ピリ ピ人への手紙」を持たせて、愛するピリピの教会の人々に送り帰すわけです。ピリピ書2章26 節以下にこうあります「彼は、あなたがた一同にしきりに会いたがっているからである。その 上、自分の病気のことがあなたがたに聞えたので、彼は心苦しく思っている。彼は実に、ひん 死の病気にかかったが、神は彼をあわれんで下さった。彼ばかりではなく、わたしをもあわれ んで下さったので、わたしは悲しみに悲しみを重ねないですんだのである。そこで、大急ぎで 彼を送り返す。これで、あなたがたは彼と再び会って喜び、わたしもまた、心配を和らげるこ とができよう。こういうわけだから、大いに喜んで、主にあって彼を迎えてほしい。また、こ うした人々は尊重せねばならない。彼は、わたしに対してあなたがたが奉仕のできなかった分 を補おうとして、キリストのわざのために命をかけ、死ぬばかりになったのである」。  パウロが、愛するピリピの教会のために書いたピリピ書は「喜びの手紙」と呼ばれます。そ の「喜び」はまさにここに告げられていたように「主にあって(キリストの恵みによって)兄 弟姉妹を迎える」聖徒の交わりの喜びです。神が御子イエス・キリストによって、私たちの底 知れぬ罪を贖い、義となしたもうて、新しい生命に生きる者として下さった。主の復活の生命 に結ばれて生きる者として下さった。その救いの恵みを喜び、それを全ての人々と共有せんと する教会の喜びなのです。そのような主の救いの「家」を、主の教会を、主はここに建てて下 さった。そしてそこに、私たちをただ恵みによって招きいれて下さった。その救いの喜びを世 に証しし、全ての人々と共にキリストの祝福を頒ちあう群れこそ、私たちのこの教会にほかな らないのです。  どうか私たち一人びとりが、真実に主を、十字架のキリストを信ずる者として、ここに主の まことなる教会を形成し、ともに御業に仕え、全ての人々に祝福を宣べ伝えて参りたいと思い ます。