説     教    出エジプト記35章29節  ピリピ書4章10〜13節

「奉献の生活」

2015・11・08(説教15441614)  「さて、わたしが主にあって大いに喜んでいるのは、わたしを思う心が、あなたがたに今またついに 芽ばえてきたことである。実は、あなたがたは、わたしのことを心にかけてくれてはいたが、よい機会 がなかったのである」。今朝、私たちに与えられた御言葉、ピリピ書4章10節において、使徒パウロは 愛するピリピの教会の人々にこのように語りかけています。この「主にあって大いに喜んでいる」とは、 ピリピの教会の人々が神への“感謝の献げもの”においていよいよ熱心な群れへと成長し、主の御業に 仕え、御栄えを現わすようになったことを、全てのことにまさって喜び、神に感謝しているという意味 です。ここに伝道者パウロの尽きせぬ喜びと感謝がありました。  そこで、少し後の17節以下を読みますとこのように記されているのです。「わたしは、贈り物を求め ているのではない。わたしの求めているのは、あなたがたの勘定をふやしてゆく果実なのである」。パウ ロの切なる願いは、献げもの(献金)を通してピリピの教会が成長し、強められてゆくことでした。続 く18節にはこのようにあります。「わたしは、すべての物を受けてあり余るほどである。エパフロデト から、あなたがたの贈り物をいただいて、飽き足りている。それは、かんばしいかおりであり、神の喜 んで受けて下さる供え物である」。そして最後に、パウロの感謝は神への頌栄と讃美をもって終わってい ます。19節です。「わたしの神は、ご自身の栄光の富の中から、あなたがたのいっさいの必要を、キリ スト・イエスにあって満たして下さるであろう。わたしたちの父なる神に、栄光が世々限りなくあるよ うに、アァメン」。  さて、ここに「エパフロデト」という青年の名が出てきます。エパフロデトはピリピの教会の交わり の中で育まれた青年であり、当時エペソの牢獄に囚われの身になっていたパウロを助けるために、ピリ ピの教会からの献金を携えてパウロのもとに遣わされた人でした。このエパフロデトはもしかしたら、 ヨーロッパにおける最初の信者ルデヤの息子であったかもしれません。ところが、パウロの伝道の手助 けをするはずであったエパフロデトは、長旅の無理がたたってか、エペソに着いて間もなく重い病気に 罹ってしまったのです。獄中のパウロを助けるどころか、逆に獄中のパウロの重荷になってしまった(パ ウロに看護される身となってしまった)のです。そのことを、純真なエパフロデトは非常に気に病みま した。このままではピリピの人たちに顔向けができないと思い悩んだのです。  やがてパウロのもとで健康を回復した主にある忠実な僕エパフロデトに、パウロは獄中で書いた「ピ リピ人への手紙」を持たせてピリピの教会に送り返します。それにあたってパウロは、この手紙の中で 「(エパフロデトは)キリストのわざのために命をかけ、死ぬばかりになった」のである。このような人 こそ重んじられねばならない。どうか彼をこころよく、私自身だと思って迎え入れて欲しいと、ピリピ の教会の人々に懇願しています。つまりパウロは、このエパフロデトの献身と、彼を獄中のパウロのも とに遣わしてくれたピリピの教会の主にある志を、何よりも尊い献げものとして、神に感謝しているの であります。ですからパウロは、同じピリピ書2章17節に「たとい、あなたがたの信仰の供え物をさ さげる祭壇に、わたしの血をそそぐことがあっても、わたしは喜ぼう。あなたがた一同と共に喜ぼう。 同じように、あなたがたも喜びなさい。わたしと共に喜びなさい」と語っています。この手紙が「喜び の手紙」と呼ばれるゆえんです。私たちが献金を献げて「感謝の祈祷」をするのも、ここに根拠がある といって良いのです。献金は献げることそれ自体が、私たちにとって大きな感謝なのです。  そこで、今朝の御言葉をよく注意して読みますと、私たちはここに、パウロがみずからの感謝の思い を十分に言い表しつつも、しかもピリピの教会に対する直接的な感謝の表明が、まったくと言ってよい ほど無いことに気がつくのです。「私はあなたがたからこれこれの献げ物を戴いて本当に助かった。心か ら感謝申し上げる」といった調子の文面はどこにも出てきません。むしろ意図的にパウロは、ピリピの 人々に対する直接的な感謝の言葉を避けているのです。ですから、ある神学者はここを「感謝なき感謝」 であると述べているほどです。  それは、なぜなのでありましょうか?。パウロは人に対する感謝の思いを素直に言い表せなかった人 なのでしょうか。もちろんそうではありません。むしろパウロは「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣 く」ことのできる人間でした。ですから獄中にある自分の「窮乏を補な」わんとするピリピ教会の「贈 り物」をも、深い感謝の念をもって受け取ったに違いないのです。その上で、あえてパウロはここに、 直接的な感謝の思いをピリピの人々に語ることを避けています。そこには深い意味があったからです。 ですから10節に「さて、わたしが主にあって大いに喜んでいるのは」とありますのも、繰返し申しま すが、それはパウロに与えられた「贈り物」に対する喜びなのではなく、むしろ、惜しみなく主の御業 に献げんとする志を、ピリピの教会の人々が「主にありて」抱くようになったことに対する感謝なので す。  パウロはいつも、自分を「キリスト・イエスの僕、使徒、そして御言葉の宣教者」であると自覚して いました。それ以外に自分を現わすことをしませんでした。もしパウロに名詞を作らせたなら、パウロ はそこに「キリストの使徒パウロ」とのみ記すことでありましょう。私の知人に世界的なクモ学者がい ました。もう天に召されたかたですが、この人があるとき、もう20年ほど前になりますが、私たちの 教会の日曜学校で講演をしてくれたことがあります。そのとき生徒たちにこう語られました。「私はクモ の研究ひとすじに80年歩んできましたが、クモのことはまだわからないことばかりです。全体の万分 の一も“わかった”とは言えない。それならば、この世界万物をお造りになられた神様はどんなに素晴 らしいかたであるか、想像もつきません。この神様の御言葉を聴いて生きることにまさって、大切なこ とはないのです。どうかそのことを、みなさんはよく覚えて欲しいと思います」。  この素晴らしさをこそ、私たちの教会は、いつも主から与えられているのではないでしょうか。それ ならばパウロは、それがどのようなものであれ、神の僕である自分の働きのための「献げ物」を、決し て自分自身への個人的なプレゼントとして捉えることはしなかった。できなかったのです。神の恵みに よって共に生かされ、新たにされ、罪を贖われた僕として、その恵みに対する感謝の応答として、最も 素晴らしい務めである伝道者パウロの働きを支えるために「窮乏を補う」献げものを送ってくれる、そ のピリピ教会の、否、私たちの教会の献げもののあり方を、改めて示されています。それは私たちが献 げものをもって、救い主なるキリストの御業にお仕えすることです。神への献身のしるしです。奉献の 生活です。だからこそパウロは、それを個人的な感謝の次元などで受け止めてはいません。そうではな く、その感謝の献げものが向かっている究極的な目標である「神の栄光」との関係においてのみそれを 受け止め、ただ主にのみ感謝と讃美を献げているのです。  私は葉山教会に赴任して、早いもので21年になります。私がここに赴任する以前におりました東京 の千歳教会の前任者であった上与二郎という牧師先生は、戦前の日本基督教会台湾中会の議長を務めら れたかたです。有名なエピソードがあります。台北にある日本基督台北教会、堂々たるアングロノルマ ン風の煉瓦の会堂は、今は台湾の重要文化財に指定されています。その広い礼拝堂を、イースターとク リスマスの前に、教会の青年たちがまる一日かけて、総出で大掃除をしました。椅子をみな屋外に運び 出し、大理石の床にホースで水をかけてブラシで磨いたのです。みんな汗だくになって奉仕しておりま すと、ときどき上与二郎先生が様子を見に入って来られる。しかし「ありがとう」とも「おつかれさま」 とも仰らない。ただ黙って見ておられる。  当時、青年であった早坂礼吾さん、このかたは宮城学院の院長を長く務めたかたですが、あるとき思 いきって上先生にお訊ねした。「先生、先生はどうして、私たちに“ありがとう”と言って下さらないの ですか?」。すると上先生は早坂青年の顔を見つめてこう言われたそうです。「君は、私のために奉仕し ているのではない。神のため、教会のために奉仕しているのだろう。それなら、私が“ありがとう”と 言うのは、おかしなことではないか」。この上先生のひと言が、それから以後の早坂さんの信仰生活を決 定的なものにしたのでした。そうだ、自分は神のため、主の教会のために、奉仕させて戴いているのだ。 それなら、人の評価や報酬などを求めるべきではない。人に評価されんとして信仰生活をしてはならな い。心からそう思える、生きた信仰生活の背骨が育てられたのです。  改めて10節を見てみましょう。「さて、わたしが主にあって大いに喜んでいるのは、わたしを思う心 が、あなたがたに今またついに芽ばえてきたことである。実は、あなたがたは、わたしのことを心にか けてくれてはいたが、よい機会がなかったのである」。ここにパウロは「わたしを思う心」と語っていま すが、それはパウロ個人のための献げもののことではありません。パウロの使命である神の御言葉の宣 教のわざのため、という意味であります。言い換えるなら“神に仕える奉仕のわざ”です。その「心」 が「今またついに芽ばえてきた」というのは、ピリピの教会は、最初の奉仕の志を失いかけていたとい うことです。感謝の「献げ物」への熱心さを失いかけていたのです。その背景には、パウロがピリピを 去った後に入りこんできた「偽教師」たちによる教会の混乱があったと考えられています。とまれ、そ れが、エパフロデトの病気という、人間的には不幸な出来事を通して「今またついに芽ばえてきた」こ とを、私は主に感謝せずにはおれないと、パウロは語っているのです。  そうした教会の志によって献げられる「献げ物」は、贈り、受け取る、授受の関係(ギブアンドテイ クの関係)に終わるようなものではない。その「献げ物」が向かっている明白な目標があるのです。そ れは共に主の御業に仕え、主の御栄えを現わさんとする聖徒たちの志です。その意味で、私たち一人び とりが、献金を通して使徒たるわざに仕えているのです。いま、そのような思いを教会に新たにして下 さった主なる神に、感謝を献げずにはおれないとパウロは語るのです。それは主の御業のための、聖な る「果実」が現われたことである。だから17節にパウロは「わたしの求めているのは、あなたがたの 勘定をふやしてゆく果実なのである」と語っています。これは文語訳では「唯なんぢらの益となる実の 繁からんことを求むるなり」です。  私たちは献金によって、教会のわざに単に協力しているのではありません。献金は共同出資金でもな ければ教会の維持管理費でもありません。“教会の働きを少しばかりお手伝いする”という次元のことで はないのです。そうではなく、献金は主の恵みに対する私たちの従順と献身のわざであり、神の御業に お仕えすることです。だからこそ、私たちは献金を献げるたびに、献金感謝の祈りにおいて「この献金 をささげる幸いと光栄を与えられたことを感謝します」と祈るのです。それこそ本当の「献金感謝の祈 り」です。それは初代教会以来の喜びの伝統です。だからこそ献金感謝の讃美歌においても「ささげま つる、ものはすべて、みてよりうけたる、たまものなり」と歌うのです。この私の存在と生活の全てを、 私たちの全生涯を、あなたの尊い御用のためにお用い下さいと祈り献げるのです。改めてそのことを、 今朝のピリピ書の御言葉を通して私たちは示されているのです。  今朝あわせてお読みした出エジプト記35章29節に「このようにイスラエルの人々は自発のささげ物 を主に携えてきた」とあります。「自発の」とは、心からなる献身のことです。その心がピリピの教会か ら一時期、見えなくなっていたことがあった。しかしいま、主なる神がその機会を得させて下さり、教 会に連なる全ての人々の心に、自発の献げ物を携え来る思いを芽生えさせて下さった。そのことをパウ ロは限りなく主に感謝すると同時に、いよいよ私たちが心をひとつにして、あらゆる境遇において、順 境にも、逆境にも、健やかなときも、病むときにも、変わることなく、礼拝者として、主の民として、 キリストに贖われたる僕として、心を高く上げて歩んでゆこう。そしてここに、キリストの主権のみを 現すところの真の教会に連なり、共に主の御業に仕えてゆく祈りと志において、健やかな群れに成長し ようではないかと祈っているのです。ご自身の独子をさえ私たちのためにお与えになった神は、私たち をいっさいの良き賜物と祝福において、限りなく富ましめて下さるかたなのです。19節をもう一度拝読 して終わりましょう。「わたしの神は、ご自身の栄光の富の中から、あなたがたのいっさいの必要を、キ リスト・イエスにあって満たして下さるであろう。わたしたちの父なる神に、栄光が世々限りなくある ように。アァメン」。