説 教 ネヘミヤ記3章1〜2節 ヨハネ福音書5章1〜9節「ベテスダの出来事」
２０１４・０４・１３（説教１４１５１５３２） 「過越の祭」の季節、エルサレムはユダヤ全土からの巡礼者で賑わいます。町中はそれこそお祭りの ような騒ぎでした。その中にあって主イエスのまなざしは、人々とは全く違うところを見ておられまし た。エルサレムの「羊の門」と呼ばれる門の近くに「ベテスダの池」という大きな池がありました。そ こには五つの回廊があり、強い陽射しから身を守ることができたものですから、いつのまにかそこは大 勢の病気の人たちが集まる病院のような場所になっていました。このベテスダの回廊の片隅になんと38 年間も身を横たえている病人がいました。廻廊は池に向かって擂鉢状に傾斜していましたから、廻廊の 片隅とは池から最も遠い所です。そこに38年間も寝たきりの人がいたのです。 さて、どうしてこのベテスダの池に大勢の病人たちが集まっていのか、そこには古くからの言い伝え があったからなのです。それは一年に一度か二度、池の水が泡立ち動くことがある。たぶんそれは間歇 泉か何かであったと思われるのですが、当時の人々はそれは、天から神の使いが来て水に触れるために 起こるのだと信じていました。そして水が動いたとき真先に池に飛びこんだ人は、どんな難病であって もたちどころに癒されるという言い伝えがあったのです。いわばこれは迷信にすぎません。しかし健康 な時には気にもとめないことでも、病気に苦しむ人にとっては「藁をも掴む」思いになるのではないで しょうか。迷信だと笑われても、一縷の望みをそこに託して、千歳一遇の癒しの機会を何とかして捕え んと必死になっていたのです。そのようにして38年間もの長い年月をこの人は回廊の片隅で過ごした のでした。それは思い出すだに辛い年月であったにちがいありません。 ある日なんの前触れもなく水が動くことがあります。明け方なのか、夜中なのか、昼間なのか、それ さえわかりません。突如として池の水面が泡立つのです。すると周囲の病人たちがいっせいに異様な叫 びを上げながら池に向かって殺到するのです。人を押しのけ踏みつけてまでもわれ先に池に飛びこもう とするのです。醜い争いの姿です。しかしそこにしか希望はないのですから、彼も一応は自分の身体を 動かそうとするのです。ところがその時には既に、誰かが飛びこんでしまった後なのです。真先に飛び こめる人はいつも、池のそばに陣取っている比較的元気な人、あるいは助け手がいる人なのです。本当 に救いを必要とする人、誰も助け手のいない人は、池に近づくことさえできないのです。「ベテスダ」と は「憐れみの家」という意味ですが、そこは言葉とは裏腹の、人間のエゴ丸出しの地獄絵がありました。 誰も38年間の苦しみを助けてくれる人はいなかったのです。それこそまさに、今日の人間社会の縮図 なのではないでしょうか。 まさにこの地獄絵のような場所に、主イエスが来て下さったのです。「憐れみ」などどこにもない「憐 れみの家」（ベテスダ）を、主が訪れて下さいました。そしてまっすぐにこの回廊の片隅に横たわる、こ の38年間病気に苦しんでいた人に近づいて来て下さったのです。彼が粗末な寝床の上に力なく横たわ っているのをご覧になって、主イエスは「なおりたいのか」とお訊ねになりました。今朝の御言葉の6 節には「（彼が）長い間わずらっているのを知って」と記されています。主イエスは彼を一目ご覧になっ ただけで、彼の今までの苦しみと絶望の全てを見抜いて下さいました。彼の人生の痛みと苦しみを主が 共に担って下さるのです。それにしては、しかし主イエスがなさった問いかけのなんと不思議なことで ありましょうか。38年間も病気で苦しんできた人に「なおりたいのか」と訊ねることは、不謹慎とも受 け取れることです。しかし実は、主イエスのこの問いかけこそ、彼の魂の核心に触れる根本問題であり、 全ての人の魂の急所をつくご質問でありました。 癒されることなき絶望に打ちひしがれた38年間。そして「憐れみの家」とは名ばかりの地獄絵の中 での虚しい生活。そこは適者生存・弱肉強食の原理だけが支配する人間の罪の縮図でした。その中にあ って、この人は「静かな諦め」という絶望の中に自分を置いていたのではないでしょうか。言い換える なら「静かな諦め」を自分の居場所にしていたのです。もちろん彼も癒しのための努力はしたに違いな いのです。しかし努力や願いが裏切られるたびに「静かな諦め」も根強いものになりました。そしてこ の「静かな諦め」という「寝床」はあんがい居心地が良かったのです。人間は全ての希望が裏切られた とき、絶望の中にさえ安住を見出そうとします。絶望という名の「寝床」に自分を委ねはじめるのです。 ドストエフスキーが語るように「人間は絶望にさえ慣れ親しむ存在」なのです。だから彼は主イエスに こう答えました。「主よ、水が動く時に、わたしを池の中に入れてくれる人がいません。わたしがはいり かけると、ほかの人が先に降りて行くのです」。この言葉はつまり「私はこのままで良いのです」という 意思表示です。「仕方がないのです」という絶望の「寝床」に慣れ親しむことです。もはや彼には死ぬこ と以外に何の希望もなくなっていたのです。自分には少しも救いの望みがないことを、暗黙の了解とし て既に受け取ってしまっているのです。 まさにこの「暗黙の了解」を、主イエスが厳しくお問いになるのです。あなたは「なおりたいのか」 と主は明確にお訊ねになる。あなたが心から願うことは、いまの「寝床」に留まることなのか、それと も本当に「治りたい」と願うのか、どちらなのかを明らかにしなさいと言われるのです。絶望に安住す る私たちの曖昧さを、主はお許しにならないのです。「なおりたいのか」と正面から訊ねたもうのです。 この主イエスの問いは実は、ここに集う私たち一人びとりにも向けられています。人生のあらゆる試練 や悩み、悲しみや重荷の中で、私たちこそいつも絶望のうちに安住し「私はこのままで良いのです」と、 自分を「寝床」に縛り付けてしまうのではないでしょうか。そのような私たちを、そこでこそ立ち上が らせる生命の言葉を、主はいま私たちに告げていて下さいます。「罪」という不治の病におかされ、ベテ スダの回廊に力なく横たわる私たちに、ただ十字架の主のみが「治りたいのか」と訊ねて下さるのです。 主は私たちが絶望という「寝床」に安住することを許したまいません。それが「なおりたいのか」とい う御言葉なのです。 「あなたは本当に癒されたいと願うのか。ごまかしではなく真剣に心から救いを願うのか？」。絶望と いう名の「自分の寝床」から起き上がって、主と共に歩む新しい喜びの人生に私たちはいま招かれてい ます。主の御言葉によって打ち砕かれ、父なる神の招きに身も魂も委ねて歩む、その新しい生命の与え 主として、主はこの人の前に、否、私たちの前に立ちたもうのです。主が問うておられるのは私たちの 「信仰」です。それならばこの人は、まさに十字架の主に対して信仰をもって応える者とされたのです。 「起きて、あなたの床を取り上げ、そして歩きなさい」。この主の御声こそ私たちの「救い」であります。 主が語りたもうたことは「私があなたを池に入れてあげよう」でもなければ「あなたの病気を治してあ げよう」でもありません。ただ「起きよ」「汝の床を取りあげ」「そして歩め」という3つのことです。 「起きよ」とは、主イエスをキリストと信じることです。「汝の床を取りあげ」とは、自分を縛りつけて いた絶望を主に委ねることです。「そして歩め」とは、主イエスと共に生きる新しい人生です。この人は、 否、私たちは、主のこの言葉に従うために、まず主イエスをキリスト（救い主）と信じなければなりま せん。 この人は（私たちは）ここに、主イエスご自身と、主の御言葉を信じる生活へと招かれているのです。 これは十字架の主に拠り頼む新しい生活への招きであり、キリストと共に生きる人生への招きです。単 なる肉体の癒しを超えた本当の「救い」がそこにあります。たとえどんなに健康でも、神から離れた「罪」 が癒されなければ、そこに本当の人間の幸いと自由はありません。十字架の主を信じるとき、私たちは 恐ろしい絶望の支配からさえ� 嵶�ち上がり」�◆崗欧鮗茲蠅△押廰�「（主イエスと共に）歩む」者とさ れるのです。キリストを信じるとき、私たちは今まで自分を縛り付けていた「床」を「取りあげて歩む」 者とされるのです。キリストの勝利に連なる者とされるのです。それが今朝の御言葉に現されている人 間の真の「救い」です。私たちの重荷と痛み、私たちの絶望的な病に、主イエスの御手が触れて下さる とき、私たちはそこで「立ち上がり」「床を取りあげ」「主と共に歩む」者とされるのです。そのゆえに、 私たちはもはや絶望することなく、この歴史と人生と現実の中を、喜んで生きる者とされてゆきます。 本当の「ベテスダ」（憐れみの家）が主によって現されたからです。それこそキリストの御身体なる教会 であり、私たちはいまそこに連なる者とされているのです。 今日から私たちは「受難週」の歩みに入ります。主が私たちのために十字架を担われ、ご自身の全て を献げて下さった恵みを心に刻み、祈りを深めて、礼拝中心の生活に励む私たちでありたいと思います。 私たちは十字架の主によって、いっさいの罪と死の支配から贖われ神の民とされているのです。主が下 さる復活の生命に立ち上がらせて戴き、主と共に歩む者とされているのです。主が与えたもう救いのみ が、変わることのない、永遠に続く平安と生命を私たちに与えます。それこそが本当の「癒し」であり 「ベテスダの出来事」は私たちの救いです。この恵みに感謝し、主に従う信仰の歩みを強めて参りまし ょう。