説    教     詩篇27章5〜6節   ガラテヤ書4章12〜18節

「パウロとガラテヤ教会」

 ガラテヤ書講解(30) 2013・07・07(説教13271491)  今日のガラテヤ書4章13節には不思議なことが書かれています。それは13節に「あなたがたも知っ ているとおり、最初にわたしがあなたがたに福音を伝えたのは、わたしの肉体が弱っていたためであっ た」とあることです。読み違いではありません。パウロはガラテヤの諸教会に対して、自分がガラテヤ に福音を宣べ伝えることができたのは、それは自分の「肉体が弱っていたためであった」とはっきり語 っているのです。パウロが肉体的に健康ではなく、むしろ病気であったことが、ガラテヤ地方に福音が 宣べ伝えられる契機(きっかけ)になったと言うのです。  そこで、パウロの病気は具体的にどのようなものだったのでしょうか?。想像する以外にないのです が、今朝のガラテヤ書4章15節がひとつの鍵になるでしょう。「はっきり言うが、あなたがたは、でき ることなら、自分の目をえぐり出してでも、わたしにくれたかったのだ」。ここから、パウロの病気は眼 病ではなかったかと想像されるのです。それは同じガラテヤ書6章11節に「ごらんなさい、わたし自 身いま筆をとって、こんなに大きい字で、あなたがたに書いていることを」とあることでも裏付けられ ます。視力が弱っていたから「大きな字」で手紙を書く必要があったのです。ガラテヤ教会の人々が「で きることなら自分の目を」パウロに差し上げたいと願ったことも、パウロの目がいかに不自由であった かを示すものでありましょう。  そればかりではない、この眼病以外にもパウロは、様々な病気や障害に苦しんでいたようなのです。 それは特に今朝の4章14節にこう語られていることからもわかります。「そして、わたしの肉体にはあ なたがたにとって試練となるものがあったのに、それを卑しめもせず、また嫌いもせず、かえってわた しを、神の使かキリスト・イエスかでもあるように迎えてくれた」。つまりパウロの病気(あるいは障害) には、他の人から見て「試練」(つまずき)になるようなものがあったと言うのです。具体的に何であっ たかはわかりません。しかし当時の古代ギリシヤ人は肉体の美しさ(肉体美)を非常に大切にしました。 それは今日も古代ギリシヤの彫刻などを見ればわかります。均整のとれた理想的な肉体美を尊重する気 風があったのです。  それならばなおのこと、ギリシヤ人が好み尊ぶ“肉体美”を使徒パウロは持ち合わせていなかった。 むしろパウロは人々から「卑しめ」られ「嫌われる」ような、そういう病気(または障害)を持つ人で あった、そのことが今朝の14節からはっきりとわかるのです。ところがそんなパウロをガラテヤ教会 の人たちは「卑しめもせず、またきらいもせず、かえって……神の使かキリスト・イエスかでもあるよ うに迎えてくれた」と言うのです。それはなぜでしょうか?。それはガラテヤの人々はパウロを通して 「イエス・キリストの福音」を聴いていたからです。神の御言葉を受けていたからです。御言葉によっ て救いに入れられたからです。パウロの語る福音の言葉を通してガラテヤの人々は、いまここに生きて 御業をなしたもう主イエス・キリストに出会ったのです。だからパウロの肉体の障害は何の問題でもな かった。ガラテヤの人々は御言葉の麗しさ(キリストの恵みの確かさ)に打ちのめされたのです。だか らパウロを「神の使かキリスト・イエスかでもあるように迎えてくれた」のでした。  しかしそれは残念なことに、いま現在のガラテヤ教会の姿ではないとパウロは語っているのです。15 節に「その時のあなたがたの感激は、今どこにあるのか」とあることです。そして先ほどの言葉が続き ます「はっきり言うが(あの時)あなたがたは、できることなら、自分の目をえぐり出してでも、わた しにくれたかったのだ」。それほどまでに神の言葉を喜び、福音によってキリストに導かれ救いに入れら れた「あなたがたの感激」は「今どこにあるのか?」と問うのです。そしてパウロは16節にこう続け ます「真理を語ったために、わたしはあなたがたの敵になったのか」。この「真理」とはイエス・キリス トの福音です。主が全ての人々のために世に来られ、十字架におかかりになったという音信です。キリ ストのみを贖い主として宣べ伝えることです。パウロは言います「そのことで(福音を語ったことで) 私はガラテヤの人々の敵になったのだろうか?」と。  福音を宣べ伝えることは伝道です。伝道とは、福音の上に堅く立ち、キリストのみを証しする真の教 会を建てることです。それなら、そのことによってガラテヤの人々がパウロの「敵になった」とは、彼 らがキリストを証ししない、福音に立たない、伝道しない教会になってしまったということです。これ をどうしてパウロが憂えずにおれるでしょうか。その回復のために祈らずにおれるでしょうか。17節に パウロは「彼らがあなたがたに対して熱心なのは、善意からではない。むしろ、自分らに熱心にならせ るために、あなたがたをわたしから引き離そうとしているのである」と語っています。この「彼ら」と は、パウロが去った後で入りこんできた「偽教師」(律法主義者)たちのことです。彼らは、人が救われ るのは律法によるのであり、洗礼を受ける前にまず(ユダヤ人になるための)割礼を受けなければ、そ の洗礼は無効だと主張した者たちでした。  そこでこそパウロは明確に語ります。「彼らがあなたがたに対して熱心なのは、善意からではない」と。 彼らは神に仕える謙虚で純粋な心からではなく、自分たちを正当化する傲慢な思いからあなたがたに取 り入ろうとしている。だからその目的は「自分たちに熱心にならせるため」だと言うのです。つまり彼 らは教会をキリストの教会ではなく人間の群にしようとしている。まず信徒に媚を売り、自分たちの取 り巻きを作ろうとしているにすぎない、そのようにパウロは警告しているのです。そのために「(彼らは) あなたがたをわたしから引き離そうとしているのである」と言うのです。  そこで、こうした今朝の御言葉から見えてくる状況は「偽教師」(律法主義者)たちがガラテヤ教会を パウロから「引き離そう」(対立させよう)として、わざとパウロの肉体的な病気や障害を誹謗中傷して いるという構図です。もともとガラテヤの人たちにとって、パウロの肉体の病気や障害などは全く問題 でなかった、ただパウロを通して語られたキリストの福音だけが喜びであった。まさにその喜びからガ ラテヤの人たちを引き離すために「偽教師」たちは「パウロの病気(障害)はパウロが神の僕ではない 証拠だ」と誹謗中傷したのでした。彼らは十字架の主を誹謗中傷したローマの兵士たちのように、もし パウロが本物のキリストの使徒なら、自分の病気も治せるはずではないかと揶揄したのです。誕生して 間もないガラテヤ教会の信徒たちは、彼らのその言葉に撹乱され惑わされて、パウロが宣べ伝えた、キ リストのみを救い主とする福音から離れていった、そういう状況であったことが見えてくるわけであり ます。  そこでパウロは、自分の肉体の病気や障害のことでどんなに誹謗中傷されようとも、それで伝道・牧 会のわざを止めるような人ではありませんでした。むしろどんなに誹謗中傷されても、パウロのガラテ ヤへの愛と祈りはますます熱く、伝道の歩みは少しも変わることはなかったのです。だからこそ、キリ ストのみをかしらとする教会が、そのかしらなるキリストから離れようとしているとき、パウロの熱誠 は堰を切るごとくに迸らざるをえなかった。「それはいけない」と叫ばずにはおれなかったのです。自分 はどんなに非難中傷されてもかまわない。しかし教会が唯一のかしらなるキリストから離れることは教 会の死を意味するのですから、これをパウロは断じて看過しえなかった。例えばパウロは第二コリント 書11章28節以下にこう語っています「なおいろいろの事があった外に、日々わたしに迫って来る諸教 会の心配ごとがある。だれかが弱っているのに、わたしも弱らないでおれようか。だれかが罪を犯して いるのに、わたしの心が燃えないでおれようか。もし誇らねばならないのなら、わたしは自分の弱さを 誇ろう」と。そして実は、この「弱さを誇ろう」と言い切った伝道者パウロの主にある志こそ、今朝の 御言葉の12節「どうか、わたしのようになってほしい」という祈りに即応するのです。  この説教の最初に学んだことをもういちど思い起こしましょう。パウロがガラテヤ地方に福音を宣べ 伝える契機になったのは、それはパウロの肉体が「弱っていたためであった」と13節に記されていた ことです。この「ためであった」とは、福音伝道のまさに「原動力」になったという意味です。実際に 使徒行伝を見ますと、パウロは病気や苦難や挫折を通して、自分が立てた計画の変更を余儀なくされて いますが、それはいつも新しい地域や町への伝道の契機になりました。それをパウロは「主イエスの御 霊(聖霊)がそのように自分を導かれたのだ」と語っています。ガラテヤに福音が宣べ伝えられ、教会 が建てられるようになったのも、パウロが怪我の治療のためにガラテヤへの滞在を余儀なくされたから でした。それはあたかも西暦4世紀にアタナシウスが、ニカイア信条を制定したために反対者(アリウ ス主義者)たちから迫害を受け、ローマ皇帝の命令によって国外追放となり、スカンディナヴィアに幽 閉されたことに似ています。スカンディナヴィアに幽閉されたアタナシウスはそこで何をしたか。そこ にアタナシウスは福音を宣べ伝え、ニカイア信条に基づく聖なる公同の使徒的なる教会が建てられたの でした。パウロもまた、自分に与えられた病気すなわち「弱さ」が神の恵みの働く「器」となって、ガ ラテヤの地に教会が建てられたことを限りなく感謝し、ただ神の御名のみを崇めたのでした。「もし誇ら ねばならないのなら、わたしは自分の弱さを誇ろう」とは、そういう意味です。神の御業に対する感謝 の祈りなのです。  私たちもまた肉体の「弱さ」を持っているでしょう。「障害」とまでは言えなくとも、それこそパウロ が第二コリント書12章において、自分の肉体に加えられた「とげ」を取り去りたまえと「三度も主に 祈った」のにも似た思いで「この病気さえなければ」「この障害さえなければ」と自分の無力さ「弱さ」 を嘆く思いに捕われることがある私たちではないでしょうか。まさにそのような私たちに、今朝の御言 葉ははっきりと告げているのです。「もし誇らねばならないのなら、わたしは自分の弱さを誇ろう」と!。 それは主が私たちに「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあ らわれる」と語っていて下さるからです。「わが恵み汝に足れり」。  私がかつて葬儀をした一人のご婦人ですが、18歳の時に病気でほとんど視力を失ってしまった。藁に も縋る思いで眼病に霊験あるという寺に籠って修行をした。しかし眼は悪くなる一方であった。ついに 彼女は絶望のあまり自殺を決意するのです。「今日は私の命日」と思い、寺の宿坊で荷物の整理をしてい たら、遠くのほうから讃美歌の歌声が聞こえてきた。「神は愛なり」と聞こえた。その瞬間に彼女は思っ た「もしかしたら、私はまだ本当の神様を知らないのかもしれない」。涙が溢れて止まらなくなった。彼 女はその讃美歌を頼りに教会を訪ね、初めて礼拝に出席したのでした。19歳の時でした。やがて洗礼を 受けた彼女は、それ以後の全生涯を忠実な信徒また長老として、素晴らしい主の証人の生涯を歩んだの です。彼女の葬儀に出席した大勢の人たちの中に、彼女を通してキリストに導かれた人たちが30人ぐ らいいました。「もし誇らば、われはわが弱さを誇らん」。「わが恵み汝に足れり」。  私たちもまた、そのような主の証し人たる歩みへと導かれているのです。だから私たちもまた、今朝 の御言葉ガラテヤ書4章18節を、使徒パウロと共に喜びをもって語ることができます。「わたしがあな たがたの所にいる時だけでなく、いつも、良いことについて熱心に慕われるのは、良いことである」と …。この「良いこと」とは「主がなして下さった最も美しいこと」という意味です。私たち一人びとり の人生に、主は教会により、聖霊によって「最も美しいこと」を現して下さる。私たちをいつもご自身 の恵みと祝福に堅く立たせて下さり、主がなして下さる最も美しいことを、私たちの日々の生活を通し て、また全生涯を通して、現わして下さるのです。