説    教      詩篇16篇1〜11節   ガラテヤ書2章11〜14節

「教会の伝統と革新」

 ガラテヤ書講解(13) 2013・02・17(説教13071471)  「ガラテヤ人への手紙」は2章15節以下が手紙の「本論」なのですが、その前にパウロは3 つの事柄を「序論」としてガラテヤ教会に書き送っています。第一は1章11節以下に記された 「洗礼を受ける前後のパウロの歩み」、そして第二は2章1節以下に記された「エルサレム使徒 会議の報告」です。そして第三に今朝の御言葉である2章11節以下に記された「パウロがケパ (ペテロ)をアンテオケで譴責したこと」が続きます。そこで、この3番目の「アンテオケに おけるペテロとパウロの対立の経緯」につては使徒行伝にも実は何も記されていません。しか しこの出来事は西暦50年の“エルサレム使徒会議”ののち、最初の異邦人教会として設立され たシリヤのアンテオケ教会で起こった非常に重要な出来事でした。この出来事の難しさは、そ れが初代教会における「福音の真理に関わる重大事件」であったことです。だからこそパウロ はこの出来事に関して、先輩の使徒であるペテロをさえ譴責せざるをえなかったのです。  教会に起こる問題には大きく分けて2つの問題があります。ひとつは福音の本質に関わらな い相対的な問題、もうひとつは福音の本質に関わる絶対的な問題です。前者の問題は福音の本 質に関わらないのですから、賢く対処すれば済む問題です。それによって教会が損なわれるこ とはありません。しかしそうではない本質的な問題が起こったとき、まさに福音の本質を揺る がす問題が生じたとき、教会は決してそれを放置せず正しく対処せねばなりません。それを放 置するなら教会が根本から損なわれてしまうからです。  つい先日、かつて私が赴任したある教会(現在は若い牧師がおられます)のことを聴きまし た。東京の都心にある教会です。まだ信仰の経歴も内実も未熟な人が長老に選出されてしまっ た。それ自体も大きな問題ですが、その人が先日、礼拝が終わった直後に、滔々と自分の意見 を主張したと言うのです。礼拝を損ない教会の秩序を乱す行為で容認してはならないことです。 そのような人を長老に選んでしまう教会の選挙規定にも重大な問題があります。私がいた頃に はきちんとした規定がありましたが、それを撤廃した結果そのようなことが起こったのです。 こうした事柄は放置して良いものではありません。牧師はもちろん長老会がきちんと対処し、 そういう人には長老を辞任せしめ、長老会において長老選出の内規を確立せねばならないと思 います。  アメリカのラインホールド・ニーバーという神学者が献げた祈りに、次のようなものがあり ます。「神よ、われらに、変えることができる事柄と、変えることができない事柄とを、見分け る信仰のまなざしを与えたまえ。そして、変えるべき事柄については、それを変えることがで きる勇気を、変えることができない事柄については、それを受け入れる思慮と従順とを、われ らに与えたまえ」。  パウロは今朝のガラテヤ書において「変えることのできない事柄」を、つまり「教会が決し て変えてはならない事柄」を見ています。だからこそ、それを変えようとしたペテロを人々の 面前で厳しく譴責したのです。すなわち今朝の11節にパウロはこう記しています。「ところが、 ケパ(ペテロ)がアンテオケにきたとき、彼に非難すべきことがあったので、わたしは面とむ かって彼をなじった」。そして14節にはこうもあります「彼らが福音の真理に従ってまっすぐ に歩いていないのを見て、わたしは衆人の面前でケパ(ペテロ)に言った、『あなたは、ユダヤ 人であるのに、自分自身はユダヤ人のように生活しないで、異邦人のように生活していながら、 どうして異邦人にユダヤ人のようになることをしいるのか』」。  パウロがペテロを譴責した理由は、それが「福音の真理」つまり教会が立つか倒れるかとい う重大な問題であったからです。言い換えるならこの問題は、ペテロをはじめとする他のユダ ヤ人キリスト者には「どうでもよい問題」(変えてもよい事柄)のように見えたのです。パウロ はこの問題について、正しい信仰(使徒信条を告白する、キリストを中心とした教会の信仰) のみがそれを解決すると確信していました。「衆人の面前で…彼(ペテロ)をなじった」とある のは、まさしくその事柄をパウロが「教会の本質」に関わる重要な問題として「主なる神の御 前で」取り上げたことを意味しています。言い換えるならパウロはこの問題を(当然ですが) 隠れて他の人に電話で訴えたり噂話を流す仕方で扱わなかった。信仰の問題として、神と教会 との前に謙遜かつ真実に扱ったのです。  さて11節にある「アンテオケ(の教会)」は、エルサレムにおける執事ステパノの殉教のの ち、エルサレムから逃れてきたユダヤ人キリスト者たちによって今日のレバノン、当時のシリ ヤの地中海沿岸アンテオケに建てられた世界で最初の異邦人教会でした。しかしその中核とな ったのはエルサレムから来たユダヤ人キリスト者たちでした。いわばアンテオケ教会は、ユダ ヤ人とギリシヤ人という2つの相反する民族からなる“混成教会”でした。誕生まもないアン テオケ教会に「割礼問題」という難しい問題が生じたのも当然でした。ユダヤ人キリスト者た ちは旧約の律法を盾に、洗礼を受ける前に割礼を受けてユダヤ人にならなければその洗礼は無 効だと主張した。すると「キリストによりてのみ救われる」という福音の本質は崩れることに なります。この問題を解決したのが西暦50年の“エルサレム使徒会議”でした。この世界最初 の全体教会会議によって、救いはキリストのみにあり、割礼は不必要であることが確認され「割 礼問題」は決着したのです。そこに教会は世界伝道への礎を据えたのです。  ところが人間とはまことに身勝手なもので、この教会会議の決定に逆らって自分の考えをな お絶対化しようとする人たちがアンテオケ教会の中に現われた。それはガラテヤ教会を混乱さ せた「偽教師」たちと同じ「異なる福音」を説く人々でした。当時の世界の人々はキリスト者 とキリスト者以外の人々を一見して区別することができました。キリスト者には他の人々とは 明らかな違いがあった。どういうことかと申しますと、キリストを信じて洗礼を受けた人々は、 どのような民族も分け隔てなく教会に迎え入れたのです。そして同じ主にある信仰のもと、互 いに尊敬信頼し、ひとつの信仰告白のもと、同じ聖餐の食卓を囲んだのです。キリストに結ば れてひとつの群れにされた喜び、同じ救いにあずかった感謝を、当時は「アガペー」(愛餐)と 呼びました。それはなによりも共に食卓を囲むことで現わされたのです。  それは当時の人々にとっては大変な驚きでした。なぜならユダヤ人はユダヤ人以外の民族(つ まり異邦人)とは食卓を共にすることは絶対になかったからです。食事だけではない、会話を すること、もてなすこと、一緒に歩くことさえ禁じられていました。しかし教会に集まる人た ちは違う。みなが共に喜びと感謝をもってキリストに結ばれた救いの喜びを現わしている。そ のことがたちまちアンテオケ地方一帯に、さらには地中海世界各地に知れわたるようになり、 人々は続々と教会に集まるようになったのです。キリスト者たちの主にある喜びの姿勢がその まま世界伝道の力になったのです。「クリスチャン」という言葉が用いられたのもアンテオケが 最初でした。教会の外にいる人々が教会に集まる人々のことを「キリストの僕」という意味で 尊敬をもって「クリスチャン」と呼んだのです。この人たちはいっさいの垣根を設けないと…。  ところが、そうしたアンテオケ教会の喜びの姿を快く思わない人々がいた。なおも律法の定 めに執着し「異邦人とは絶対に食卓を共にすべきではない」と考える“律法的伝統主義者”た ちがエルサレムから、ペテロのアンテオケ教会訪問と時を合わせるようにアンテオケにやって 来たのです。実はペテロも最初は“エルサレム使徒会議”の決定に従い、異邦人たちと聖餐の 食卓を共にしていました。ところがエルサレムから来た「偽教師」たちに遠慮するかのように、 あろうことか今朝の2章12節にあるように「ヤコブのもとからある人々が来るまでは、彼(ペ テロ)は異邦人と食事を共にしていたのに、彼らがきてからは、割礼の者どもを恐れ、しだい に身を引いて離れていった」のでした。それだけならまだしも13節にあるように「そして、ほ かのユダヤ人たちも彼と共に偽善の行為をし、バルナバまでがそのような偽善に引きずり込ま れた」のでした。  それをパウロは見過ごしえなかった。決然と行動を起こしたのが14節です「彼らが福音の真 理に従ってまっすぐに歩いていないのを見て、わたしは衆人の面前でケパ(ペテロ)に言った 『あなたは、ユダヤ人であるのに、自分自身はユダヤ人のように生活しないで、異邦人のよう に生活していながら、どうして異邦人にユダヤ人のようになることをしいるのか』」。このパウ ロの譴責に注釈を加えますと、パウロはこういうことをペテロに語ったのです「あなたはユダ ヤ人の律法からキリストによって自由にされた人なのに、異邦人に対してはユダヤ人のように なれと語っているのはどういうことか。あなたは誰に対してもキリストの福音みを語るべきで あり、人の顔色を恐れて右顧左眄すべきではない。あなたはキリストの僕・福音の使徒なのだ」。  “エルサレム使徒会議”の決定を蔑ろにする人々は、いわば自分たちの主張が聖書の福音よ り「正しい」と考える人々でした。神よりも自分を「主」とする人々でした。その人たちがペ テロを自分らの側にひきこもうとしたのです。そしてペテロはその「偽教師」たちに遠慮して、 つまり神ではなく人の顔を恐れて、異邦人との交わりから身を引くようになった。それに対し てパウロは「それはキリスト者の姿にあらず」と神と教会の前でペテロを譴責したのです。箴 言1章7節に「主を恐れることは知識のはじめである」とあります。この「知識」とは人間と しての真に自由な生活です。「主を恐れる」とは、神が世にお遣わしになった救い主・御子イエ ス・キリストを信じ、教会に連なり、礼拝者として歩むことです。私たちにとって最も大切な ことは「主を恐れる」ことではないでしょうか。本当に畏れるべきかたを畏れ、畏れるべきで ない者を恐れない、そこに人間の本当の自由があります。そのときその人は本当に自由な独立 した人格として人を愛するようになります。逆に言うなら、神を畏れないかぎり私たちは罪の 奴隷である。神を畏れず、畏れるべきでないものを恐れるとき、私たちは絶対的なものを相対 化し、相対的なものを絶対化する過ちを冒すからです。主客転倒の人生になるのです。そのペ テロの過ちこそ12節に彼が「しだいに身を引いて離れて行った」とあることに現われています。 自分の非を認めつつもなお自己保身を行う気持ちが働いた。間違いだと知りつつ人から非難さ れたくないので取り繕ったのです。信仰の本質の問題なのに、あたかも相対的問題のように扱 ったのです。  パウロの同労者バルナバまでもが同じ「偽善」に引きこまれたのも、そこに私たち人間にと って魅力的な処世術があるからです。神ではなく人を恐れるほうが上手に世渡りができ、人間 関係も上手くゆくと私たちは考えやすい。本当にそうでしょうか?。最初は人はそれで納得す るかもしれません。その人は一時の友を得るかもしれない。しかし人の顔色を伺い自分の信仰 を裏切るような人を誰が最終的に信頼するでしょうか。これは他人のことではなく私たち自身 の問題です。もし私たちが今朝の御言葉の14節のように「福音の真理に従ってまっすぐに歩い ていない」なら、この葉山に住む人たちはどこに救いを見いだせば良いのでしょうか?。もし 私たちの教会が、主に結ばれキリストの十字架の恵みによって本当の救いを知っている私たち が、その救いの喜びを知らぬ者のごとく人の顔ばかりを恐れているなら、私たちはこの町の人 たちからも信頼と尊敬を得ることはないと思います。アンテオケの教会のように「クリスチャ ン」(あの人たちはキリストの僕だ)と呼ばれることはないでしょう。そのような私たちではな いはずです。私たちはいまここにキリストの満ち溢れる祝福のもと、ひとつの群れ・救いの喜 びを共にし、証する者たちとされているのではないでしょうか。  1572年スコットランドの宗教改革者ジョン・ノックスが、その雄々しい信仰の生涯を終えて 天に召されたとき、信仰の友であったサー・リージェント・モルトンによって墓前で短い説教 がなされました。モルトンは説教の最後に「ここに人の顔を決して恐れなかった者が眠る」と 告げました。それは真に畏れるべきかたのみを畏れた生涯であった、それこそがノックスの生 涯であったという意味です。私たちの生涯もまたその一点において、いつも健やかな教会生活 者であることを、神の恵みとして賜っているのではないでしょうか。私たちの教会、私たちの 信仰の歩みは、いつもどこにあっても、キリストの限りない恵みの支配のもとにあるのです。 それゆえ私たちはもはや人を恐れず、ただ主なる神を畏れ(信じ)それゆえにこそ、全ての人 に幸いと祝福を祈り、何よりもキリストを宣べ伝えることができる。主にある喜びと感謝を共 有する者とされているのです。