説    教     詩篇150篇1〜6節   ガラテヤ書1章18〜24節

「遣わされたる者」

 ガラテヤ書講解(10) 2013・01・27(説教13041468)  自分自身、あるいは自分の行いや主義主張の正当性を他人に認めてほしいと願うとき、し ばしば行われることは、いわゆる“著名人”と呼ばれる人の権威を借りることです。たとえ ば、選挙に出て代議士になりたいと願う人は、推薦人として大勢の有名人の名を列挙するも のです。あるいは新たな分野で活躍するにあたり、その道の権威ある人の推薦状を求めると いうこともあるでしょう。それらは他の人のうしろ盾や権威によって自分の能力や働きを評 価してもらうと共に、その後の活動が有利に進められることを期待する願いの現われです。  では、使徒パウロはどうだったでしょうか。パウロもかつてはそのような“後ろ盾”を頼 みとしていました。それが全てであったと言っても良い。パウロがまだパリサイ人サウロで あったころ、パウロは「大祭司のところに行って、ダマスコの諸会堂あての添書を求めた」 と使徒行伝9章1節以下に記されています。この「添書」とはエルサレム大祭司の“お墨付 き”です。それを“後ろ盾”としてパウロはキリスト教会迫害の権威を得たのです。しかし パウロは復活のキリストに出会い、キリストに捕らえられ、神の権威によって全ての人に福 音を宣べ伝える使徒とされたとき、もはや従来の人間の“お墨付き”を頼まない人に変えら れてゆきました。人間の権威や力によってではなく神の力、つまり主イエス・キリストにお ける神の恵みによって生きる人へと変えられたからです。  「使徒」(アポストロース)という字は「ただ神に遣わされた者」という意味です。初代教 会では最初「牧師」のことを旧約の伝統に従って「預言者」と呼んでいびましたが、この「預 言者」という字も同じように「世に御言葉を宣べ伝えるべく、神から遣わされた人」という 意味です。そのパウロは今朝のガラテヤ書1章18節に「その後三年たってから」とあること からもわかるように、神に召されてすぐアラビヤに旅立ち、そこで3年の歳月を「祈り」と 「礼拝」と「御言葉の研鑽」の内に過ごしました。いわば「アラビヤでの3年間」はパウロ の神学校時代です。使徒たるの備えの日々を砂漠の中で過ごしたのです。そしてこれは、私 たち一人びとりにも与えられている恵みなのです。パウロにとってアラビヤの砂漠は、何も ないように見えて、実は全てがあった場所でした。何もなかったのは、そこが砂漠であった からです。全てがあったのは、主なる神が共におられたからです。同じように、私たちは日 曜日のたびごとに安息日の礼拝を、何も持たぬ者として、主なる神の御前にあるがままの自 分を、神の恵みの御手に委ねて献げるのです。  だいぶ以前のこと「私は家庭の中に様々な悩みがあり、心が波立ち騒いでいます。こうした 心のままでは神様の前に出ることはできません。だからしばらく礼拝をお休みしたいのです」 と語ったかたがおられました。私は「それは逆です」と申しました。「主はあるがままのあな たを招いておられる。どうして“ふさわしくない”などと自分で勝手に決めつけるのですか」 と申しました。波風ひとつ立たぬ平静な心が神に「ふさわしい」などと思うのは私たちの傲 慢です。主なる神はそのようなものを私たちに求めておられない。悩みに満たされ波立ち騒 ぐ、そのあるがままの心を携えて教会に来ること、恵みの御座に近づくことを、主は求めて おられるのです。あるがままの自分で良いのです。神の前に「ふさわしくない」私たちの姿 (心)など何ひとつありません。それが「アラビヤに行くこと」です。その恵みがいつも私 たちに与えられているのです。  さて、アラビヤでの恵みの3年間を過ごしたパウロは、今朝の御言葉であるガラテヤ書1 章18節を見ますと「ケパを訪ねてエルサレムに上り、彼のもとに十五日間、滞在した」と語 っています。この「ケパ」というのは「岩」という意味のヘブライ語ですが、これをギリシ ヤ語に訳すと「ペテロ」となります。つまり「ケパ」とは使徒ペテロのことです。パウロに とって、エルサレムに使徒ペテロを訪ね、ペテロと共に過ごしたこの「十五日間」は2つの 意味で、生涯忘れがたい“恵みの時”となりました。第一に、ペテロは主イエスを3度も裏 切った罪の中から、復活の主によって使徒たる務めへと召された人です。それはそのまま、 パウロ自身の恵みの経験(救いの経験)でもありました。ペテロもパウロも「罪人のかしら」 であるがままに、キリストの祝福の器として世に遣わされた人です。御言葉の「使徒」とさ れたのです。その喜びと光栄を彼らは共に頒ちあい、主に讃美と感謝を献げたことでした。 何よりもパウロは主の直弟子であったペテロから、主イエスの御業と御言葉について親しく 教えられたことでしょう。のちに第一コリント書15章3節においてパウロは「わたしが最も 大事なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことであった」と語ってい ますが、この「受けたこと」はこの「十五日間」にペテロから受けたことが大きかったので はないでしょうか。  第二に、大切なことは、ペテロはこのときすでにエルサレムにおいて伝道と教会形成のわ ざに勤しんでいた人であったということです。つまりパウロは教会を通して、御言葉と聖霊 において今ここに生きて救いの御業をなしたもうキリストに出会ったのです。これはとても 大切なことです。と申しますのは、のちにコリントの教会などで使徒の正統性(使徒の権威) に関する論争が起こりました。ペテロのようなキリストの直弟子であった使徒に較べて、パ ウロは使徒たる権威に乏しいのではないか。本当の使徒とは呼べないのではないか、という 主張が現われたのです。そのときパウロは、キリストを知るということは「肉において」知 ることではなく、御言葉と聖霊によって、いま私たちのために救いの御業をなしておられる 生けるキリストに出会うことだ、ということを明らかにしました。もしそうでなければ、キ リストは単なる過去の人物になるからです。  これは、私たちにとってもたいへん重要なことです。キリスト教は一子相伝の家元制度の ように、過去の記憶に繋がる宗教ではありません。言い換えるなら、キリストは「教祖」や 「始祖」ではない。「元祖家元」でもない。御言葉と聖霊によって、いまここに私たち一人び とりに確かに出会っていて下さるかたなのです。過去・現在・未来の全てを支配しておられ る唯一の「主」であり、ニカイア信条が語るごとく「神と同質なるかた」なのです。真の神 の真の御子であられるのです。千葉県の佐倉市に「宗吾霊堂」というお寺があります。正し くは真言宗東勝寺と申します。かつて佐倉宗吾という義人が藩主堀田玄蕃の圧政に苦しむ付 近数十村の農民を救うために将軍に直訴をして死刑になった、その遺徳を慕って香華を手向 ける人が絶えません。歌舞伎や講談でも有名な実話です。しかしそれは過去の物語であり、 その救いは過去のものであり、物質的一時的なものに過ぎません。キリストによる救いはそ のようなものではないのです。二千年前のユダヤにキリストという義人がいて、当時のユダ ヤ人たちの窮状を救うために十字架にかかって死んで下さった、その遺徳に私たちが香華を 手向けるということではないのです。そうではなく、キリストは現にここに私たちと共にお られ、生きて救いの働きをなしたもう救い主です。聖餐において主を「想起」するというの も、思い出すということではなく、聖霊によって心を高く主のもとに上げ、昔おられ今いま し再び来たりたもう主を、私たちの、また全世界の救い主として告白することであります。  私たちにとって本当に大切な唯一のことは、主が私たちのために何をして下さったかにあ ります。キリストによる救いの御業にあずかり、いまここにおける神の御業を讃美すること が礼拝です。私たちの罪の現実がどんなに深いものであっても、その深みもろともに、私た ちの存在の重みもろともに、主は全てを十字架において贖い取って下さった。それが過去の ことなどではなく、今ここにおける救いの恵みとして私たち全ての者と共にあるのです。そ れならばどうして、その主の恵みの御座に近づくことを私たちは躊躇うべきでしょうか。主 があなたを招いておられるのです。あるがままのあなたをいま主は招いておられる。測り知 れない愛をもって、私たちのために十字架を担いたもう主が、私たちと共にいて下さるので す。  だからパウロは今朝の御言葉の20節に「ここに書いていることは、神のみまえで言うが、 決して偽りではない」と申しています。それは第一には、ペテロと「主の兄弟ヤコブ以外に は、ほかのどの使徒にも会わなかった」ことです。つまりパウロは、人間の“お墨付き”に よって使徒になったのではない。私たちと同じキリストによる救いの恵みを「いま」戴いて いる者として、共に主の御名に讃美と栄光を帰したてまつる歩みを始めたのです。使徒(神 に遣わされた者)としての歩みは神の御業によるものです。そのための備えに生きた、若き 日のパウロの日々もまた、「偽りではない」と言うのです。ただ神の真実に支えられ、御言葉 によって導かれた日々であったということです。その同じ神の真実に、いま支えられ導かれ ている者として、私たちもパウロと同じ主の恵みを戴いているのです。  それこそ、私たち一人びとりにいま与えられている大きな祝福であり幸いではないでしょ うか。私たちは自分を省みるとき「偽りがない」などとは絶対に言えない者です。むしろ顧 みるほど「偽り」だらけの私たちです。心が波立てば、自分は神の前に「ふさわしくない」 などと勝手に決めつけてしまうほど傲慢で不真実な私たちなのです。しかしその私たちをあ るがままに、無条件に丸ごと、限りない愛をもって覆い包んでいて下さるかたが、私たちの 存在を根底から堅く支えていて下さる。その御手の真実は永遠に揺るぐことがないのです。 讃美歌にもございましょう?「主のまことは荒磯の岩、さかまく波にも、などか動かん」と。 「波は逆巻き、風吹き荒れて、沈むばかりの、わが身を守り」たもうと。私たちはどんなに 不確かな、脆く、弱い存在でありましても(事実そうなのですが)私たちを支えたもう主の 真実(まこと)は、絶対に揺るぐことはないのです。  その恵みの真実にこそ、パウロは立ち続けたのでした。だから彼はその真実なる主の御業 のみを宣べ伝えたのです。今朝の御言葉の21節以下にはこう記されています「その後、わた しはシリヤとキリキヤとの地方に行った。しかし、キリストにあるユダヤの諸教会には、顔 を知られていなかった。ただ彼らは、『かつて自分たちを迫害した者が、以前には撲滅しよう としていたその信仰を、今は宣べ伝えている』と聞き、わたしのことで、神をほめたたえた」。 特にこの「シリヤ」の地方というのは、パウロとバルナバを異邦人伝道へと送り出し、彼ら の働きを最後まで支え続けたアンテオケ教会のある場所です。ステパノの殉教によってエル サレムを追われた人々が建てた教会です。貧しく小さな群れでしたが、主のために献げる喜 びに溢れ、大きな祝福を現わした教会でした。このアンテオケ教会の人々と同様、パウロに とっては、自分の顔が知られるなどどうでもよいことでした。ただキリスト救いの恵みのみ が現わされることだけが願いでした。だから「顔を知られていなかった」というのは、喜び と感謝の表現なのです。  そうではなく、ユダヤの諸教会の人々に、パウロの顔ではなく、それらの人々が、「(パウロ は)以前には撲滅しようとしていたその信仰を、今は宣べ伝えている」と聴いて「わたしのこ とで、神をほめたたえ」ている事実こそパウロの喜びでした。それこそ何にもまさる幸いで した。伝道者パウロの喜びと幸いはここに尽きると言えるのです。そしてそのことは、私た ち一人びとりにもいま主が与えていて下さる恵みであり祝福なのです。私たちもまた、主の 御身体なる教会に堅く結ばれ、主のご臨在の恵みに共に豊かにあずかり、御言葉の導きのも とに生き続ける者とされている。そしてキリストの祝福を携えゆく使徒とされているのです。 あるがままの私たちが、人生そのものを通して、主の祝福と恵みを現わす者とされているの です。