説    教     アモス書4章12〜13節  ガラテヤ書1章13〜17節

「アラビヤ滞在三年」

 ガラテヤ書講解(9) 2013・01・20(説教13031467)  「月の砂漠」という童謡があります。加藤まさをという詩人が大正12年(1923年)に千葉 県の御宿海岸で着想を得た詩に基づいて、佐々木すぐるという人が作曲したものです。この ような歌詞です。「月の砂漠をはるばると、旅の駱駝が行きました。金と銀との鞍置いて、 二つ並んでゆきました。金の鞍には銀の甕、銀の鞍には金の甕、二つの甕はそれぞれに、紐 で結んでありました。さきの鞍には王子様、あとの鞍にはお姫様、乗った二人はおそろいの、 白い上着を着てました…」。  この歌詞を読んでもわかるように、私たち日本人の「砂漠」のイメージはどこか優しいも のです。加藤まさをがアラビヤの砂漠を意識していたかどうかはわかりません。しかし彼が 描いた砂漠の世界は「緑滴る」とまではゆかぬものの、人間を拒絶しない穏やかな自然です。 王子様とお姫様が助け合いながら旅を続ける砂漠なのです。  しかしもちろん、現実のアラビヤの砂漠はそのようなものではないのです。今朝の御言 葉・ガラテヤ書1章13節以下、特にその17節以下にパウロは、御言葉と聖霊によって現臨 したもう復活のキリストに出会い、アナニヤから洗礼を受けてキリストの使徒として新たな 出発をしたのち「直ちに、血肉(人間)に相談もせず、また先輩の使徒たちに会うためにエル サレムにも上らず、アラビヤに出て行った。それから再びダマスコに帰った」と記していま す。  そして続く18節には「その後三年たってから」とありますが、これはギリシヤ語の文法 で「アラビヤに3年間滞在した」という意味になります。つまりパウロはキリストの使徒と して召命を受けたのち直ちに「アラビヤ」に行きそこで3年の月日を過ごしたのです。「ア ラビヤ」とは当時も現在もだいたい今日のサウジアラビアをさす地名です。ダマスコからア ラビヤまでは直線距離でもおよそ800キロの距離があります。これは想像ですが、おそらく パウロはいったん死海に沿って南下し、今日のイスラエルの最南端アカバ湾に面するエイラ ート(パウロの時代にはエディオン・ゲベルという港町)から船に乗って紅海を南下し、ア ラビヤに渡ったものと思われます。  そこで最大の謎は、いったいパウロは「アラビヤ」で3年間「何をしていた」のかという ことです。実はガラテヤ書にも他の聖書の御言葉にも、私たちはその3年間のパウロの足跡 の手掛かりを見出すことはできません。ただひとつ確実なことがあります。それは当然なが らアラビヤには茫漠たる砂漠があるだけであった。その「何もない」アラビヤにパウロが3 年間滞在したということは、主なる神と一対一の対話をするためでした。パウロは使徒とし て伝道のわざに遣わされる備えとして「祈り」と「礼拝」そして「御言葉」の研鑽をするた めに「アラビヤ」に3年間滞在したのです。言うなればパウロはアラビヤの砂漠と言う神学 校に入って3年間の修練の日々を過ごしたのです。  宗教改革者マルティン・ルターは、友人フィリップ・メランヒトンが編集した「ティッシ ュレーデン」(卓上語録)の中で次のように語っています。「今日、私は2時間の祈りを必要 とするほど忙しかった」。私たちはこうした感覚からはずいぶん遠いところに生きています。 忙しければまず削ってしまうのが祈りの時間、あるいは礼拝かもしれないのです。しかしル ターは「そうではない」と言うのです。朝、今日なすべき一日の務めの重さを思う。思えば 思うほど主なる神の助けと導きなくして務めを果たしえない自分であることを知る。それゆ え「2時間の祈りを必要とするほど忙しかった」のです。キリストの御手に自分を委ね、御 言葉に打ち砕かれ、新たにされねばならなかったのです。  パウロも同じでした。教会の迫害者であったほど律法に熱心なパリサイ人であったサウロ が、キリストの使徒パウロとして召命を受けたとき、彼は3年間の「祈り」を必要としたの です。「礼拝」を必要としたのです。それなくして神の招き・神の御業に従うことはできな かった。御言葉に打ち砕かれねばならなかった。だから聖書一冊を携えて「アラビヤ」の砂 漠に滞在したのです。これは想像ですが、パウロはおそらく岩山の洞窟のような場所に籠っ て、ひたすらに礼拝と祈りの日々を過ごしていたのではなかったでしょうか。  私はかつて、エジプトはシナイ半島のほぼ中央にあるシナイ山に登ったことがあります。 標高2285メートルの険しい岩山です。麓の聖カタリーナ修道院を午前3時に出発し頂上に 着いたのが午前7時ごろ。約2時間山頂にいて下山し、正午過ぎに再び聖カタリーナ修道院 に戻ってきました。戻ってみるとそこ摂氏40度もの灼熱の世界でした。太陽の光が眩しく て目を開けることができません。たまらず修道院の壁に身を寄せたとき、ちょうど向かい側 の数百メートル離れた岩山の中腹、かなり高い場所に幾つもの洞窟があるのに気がつきまし た。修道院の人に訊きましたら、それは2000年近く前に初代教会の神学者(隠修士)たち が「礼拝」と「祈り」と「御言葉の研鑽」のために修行をしていた場所とのことでした。ド イツの聖書学者ティッシェンドルフが「シナイ写本」という旧約聖書の最も重要な写本を発 見したことでも知られる聖カタリーナ修道院は、もともとはそうした洞窟居住の隠修士たち が325年のニカイア公会議を記念して建てたものです。私は感動で胸が熱くなりました。パ ウロもそのような岩山の洞窟の中に3年間を過ごしたのではないでしょうか。  そこは人里絶えた砂漠の真ん中でしたが、何も無かったのではありません。主なる神が共 におられ、生命の御言葉が共にあり、パウロは絶えず御言葉に聴き、導かれ、祈りを献げ、 礼拝と共に感謝と讃美に生きたのです。その意味ではアラビヤにおける3年もその後のパウ ロの使徒としての人生も基本的な違いは何もありません。かつて私が神学校に入学したとき、 入学式礼拝の説教の中で当時の竹森学長が「諸君の伝道者としての歩みは、いまこの瞬間に 始まっている」と言われたことを思い起こします。パウロの伝道者たる歩みも砂漠の中です でに始まっていたのです。  そこで、私たちもまた、パウロと同じように「アラビヤにおける3年」を与えられている のではないでしょうか。しかも神の限りない恵みとして与えられているのではないか。それ こそこの「礼拝」のことです。パウロにとって礼拝と祈りの生活は別個ものではありません でした。礼拝即祈り・祈り即礼拝でした。さらに言うなら礼拝者としての歩みの中に本当の 祈りの生活があったのです。それは私たちも同じなのです。私たちは本当に忙しい毎日を送 っています。「忙しさ」という言葉は現代人のキーワードです。大人のみならず子供も忙し いです。しかし日本語の「忙しい」という言葉は「心が亡くなる」と書きます。文字どおり 私たちは忙しさに「忙殺」されてしまうのです。忙しさを理由に人間が死んでゆくのが現代 社会です。そのような日々の生活の中で私たちが人間として本当に健やかに、喜びと感謝を 持って生きてゆくのは、それはただ神の言葉に生かされる生活(礼拝者の生活)以外にない のです。昔からの諺に「急がば回れ」というのがあります。この「回れ」とは「寄道をせよ」 という意味ではなく、本当に大切なものを見失わないようにということです。  マルタとマリヤの姉妹が、ベタニヤの村でいつも主イエスを心からもてなしました。ルカ 伝10章38節以下です。姉のマルタはいつものようにいそいそとまめやかに主イエスのため に食卓を整え台所で忙しく働いていた。しかし妹のマリヤはただ主イエスの足もとに座って 御言葉に耳を傾けるのみであった。ついに姉のマルタが主イエスに申します。「主よ、妹が わたしだけに接待をさせているのを、なんともお思いになりませんか。わたしの手伝いをす るように妹におっしゃってください」。しかし主イエスはマルタにこう言われたのです。「マ ルタよ、マルタよ、あなたは多くのことに心を配って思いわずらっている。しかし、無くて ならぬものは多くはない。いや、一つだけである。マリヤはその良いほうを選んだのだ。そ してそれは、彼女から取り去ってはならないものである」。  主イエスは、台所でまめやかに働くマルタの働きを批判なさったのではありません。そう ではなく主はマルタに「あなたは多くのことに心を配って思いわずらっている」と言われた のです。忙しさの中で、無くてはならぬ「唯一のもの」を忘れてはならないと諭されたので す。それこそ「礼拝第一の生活」(御言葉に聴く生活)です。御言葉と聖霊によっていまあ なたの救い主・贖い主として臨在したもう主イエスにお目にかかることです。それを忘れて どこに私たちの本当の生活があるでしょうか。人間を真に人間たらしめるもの、それはいっ さいの栄光を神に帰したてまつる真の礼拝にほかなりません。それを求めているマリヤから、 その唯一のものを取り去ってはならないと、主はマルタに教え諭されたのです。  あるドイツの牧師、作家としても有名な人がこういうことを語っています。私たちは礼拝 がいつも「かけがえのない神の招き」であることを忘れてはいないか。私たちは礼拝者とし て生きることにより、この地上の旅路を永遠に連なりつつ生きる者とされる。永遠の生命、 真の神との生きた交わりの内を歩む者とされる。そしてこういうことを語っています。私た ちは地上の旅路を終えて御国に召されたとき、そこで御国の聖徒たちとどのような会話をす るのか。パウロは、罪人の頭であった自分が全てを赦されてキリストの使徒とされた恵みを 語るであろう。ペテロは、主を3度も拒んだ自分が主の招きを戴いた喜びを語るであろう。 マリヤは、大きな罪の中から主によって永遠の生命を戴いた幸いを語るであろう。あのサマ リヤのスカルの女性は、人目を避けて水を汲みに来た自分に主が出会って下さった喜びを語 るであろう。  では、私たちは何を語るのか?。私たちは、自分の教会の礼拝で受けた、御言葉と聖霊に よる主との出会いの喜びと幸いを語る。その喜びと幸いとにおいて、永遠の生命の祝福にお いて、聖徒たちと少しも変わらぬ恵みをいま戴いていることを、感謝と讃美をもって物語る 者と私たちはならせて戴いている。そのとおりではないでしょうか。私たちはいまここにお いて、かけがえのない礼拝を献げる者とならせて戴いている。十字架と復活の主の永遠の御 身体なる教会に、ただ恵みによって連なる者とされているのです。たとえ肉体においてここ に出席できない人々も、同じ主の生命の祝福にあずからしめられているのです。私たちはそ の幸いと祝福のもと、たとえ日々の生活がどんなに多忙であっても、ここに「アラビヤにお ける3年」を持つ者とされているのです。あのマルタとマリヤのように、なくてはならぬ唯 一の御言葉によって、キリストに贖われた者として、いつも新たに生かされる者とされてい るのです。  私たちは、この礼拝を献げることによって、来るべき永遠の御国に備えているのだと言え るのです。パウロが使徒として用いられるために、あの「アラビヤにおける3年」が必要で あったように、私たちもまた、この移りゆく世界において、決して変わることのないもの、 全ての人に対する、まさに「この世」を愛したもう限りない神の愛を知り、その喜びに生き る者といよいよ堅くされるために、そしてこの葉山の地、湘南の地に住む人々に、永遠の救 いと祝福を宣べ伝える群れとなるために、礼拝者としての真実な歩みを、神の導きと祝福の もと、心を高く上げて歩み続けて参りたいものであります。