説    教    イザヤ書16章6節   第一コリント書8章1〜13節

「愛による自由」

2012・05・13(説教12201430)  使徒パウロの伝道者としての生涯は困難苦労連続でしたが、わけてもギリシア南部の港町コ リントでの伝道はその困難さにおいて特筆すべきものがありました。コリントはパウロの時代 すでに人口60万もの大都会でした。しかしそのうち約40万人、つまり全人口の3分の2がロ ーマの奴隷階級に属するという異常な社会でした。人類の歴史を顧みても奴隷制国家あるいは 奴隷制度を容認する社会制度が永続した例はありません。コリントという都会は古代末期の奴 隷制国家ローマ帝国という構造的末期症状の上に辛くも成り立っていた“病める大都会”であ ったわけです。  そうしたことからでしょうか、当時のコリントの街には至るところに道徳的な退廃がありま した。人々は労働を「奴隷の仕事」として卑しみ、学問や文化も表面的なものになり、宗教は 浅はかな知識欲を満たすものになり、退廃的享楽的な雰囲気がコリント中を支配していました。 当時のギリシア語に「コリント人のように振舞う」という表現がありましたが、それは「自堕 落で慎みのない振舞」を意味していたほどです。ギボンという歴史家は「ローマ帝国衰亡史」 の中で「ローマ帝国は国家を生み出したが文明を生み出さなかった」と語っています。それは コリントにおいて明白でした。物質的な豊かさだけが重んじられ、人間の魂の飢え渇きが軽ん じられていたのです。  それは今日の日本の状況とも驚くほど通じているのではないでしょうか。コリントの伝道の 問題は今日の日本伝道の課題を深く考えさせられるものです。最近の日本の社会において、オ カルト的(魔術的)な人生観が人々を支配し、多様性の中に人格を埋没させる運命論的人生観 が多くの人々を捕らえています。コリントにおいても状況は似ていました。コリントの至ると ころに異教の神々の神殿や祠が建てられ、それは人々を精神的混乱と道徳的退廃へと導いてい たのです。この一点だけを観てもコリント伝道がいかに困難であったかがわかるのです。この 困難の中にパウロは一歩もひるむことなく、ただイエス・キリストの福音による真の救いのみ を宣べ伝えました。アテネ伝道において用いた「すぐれた言葉や知恵」をいっさい用いず、コ リントにおいては「イエス・キリスト、しかも十字架につけられたキリスト」のみを宣べ伝え てやまなかったのです。  その結果、数々の困難苦労の末に、コリントには有力な教会が建設されました。アテネには ついに教会は建ちませんでしたが、コリントにはキリストの身体なる教会が形成されたのです。 伝道とはキリストの身体なる教会を建て、そこに集う私たちが心をひとつにして教会に連なり 教会に仕えることです。ところが使徒パウロがコリントの教会を離れた後で予期せぬ問題が起 こりました。そのひとつが今朝の御言葉・第一コリント8章1節以下に現れている「偶像への 供え物の問題」でした。それはいったいどのような問題だったのでしょうか?。  コリントはギリシアには珍しく豊富な地下水に恵まれた都会でした。今日のような冷蔵庫が なかった古代ギリシアでは、人々は肉や魚を保存するため井戸の冷気を用いたのです。つまり 井戸の途中に棚や網を設け、そこに肉や魚を置いて保存したのです。これは今日でもイタリア やスペインでは普通に行なわれているそうです。そうすると夏でも4日間は生肉生魚を保存す ることがでるそうです。するとどういうことが起こるかと申しますと、異教の神殿において偶 像の神々に供えられた肉が、そのまま数日後に市場で売られているということがあったらしい のです。当時のギリシアの人々の感覚では、そうした偶像の神々に供えられた肉を食べること は「お福分けにあずかる」ことでした。つまり偶像の神々に交わることを意味したのです。わ が国でも神社の祭礼などではそういう考えかた(習慣)が残っています。神前に供えられた御 神饌を氏子たちが分け合って食べる、するとそこに氏神との交わりが生まれる、そういう理解 が今日の日本でもあるわけです。私が以前にいた教会で地域の神社の祭礼のとき「ご神饌」と いう菓子が牧師館にも配られました。私はすぐに食べてしまいましたが、それも「ご神饌」な ら氏神に供えられたお下がりなのです。要するに「偶像のお下がりをキリスト者が食べても良 いか否か」という問題がコリント教会の中で取り沙汰されたわけです。  そこで、この「偶像に供えられた肉を食べて良いか否か」という問題を巡って、コリント教 会の中に2つの対立する立場、2つの対立するグループが現れました。まず、そういう偶像に 供えられた肉を食べることは「偶像崇拝になるから絶対に止めるべきだ」と主張するグループ がいました。パウロはこれを「弱い人々」と呼んでいます。この人々は「今後はいっさい市場 で肉を買うのはやめるべきだ」と主張したわけです。この人々のほうが数は多かったようです。 これに対してパウロが「強い人々」と呼ぶグループがありました。この人々は、そんなことは どうでも良い、たとえ偶像に供えられたものであっても肉は単なる食物に過ぎない。だから市 場で肉を買って食べても「構わないではないか」と主張したわけです。  この2つのグループはただ意見の対立だけなら良かったのですが、事柄をいっそう複雑にし たのは「強い人々」のグループが自分たちには「知識がある」と称して「弱い人々」つまり「市 場の肉を食べるべきではない」と主張した人々を審きはじめたことです。「強い人々」は自分 たちこそ「知識のある強い者」であると主張し、市場の肉を食べるべきではないと主張する「弱 い人々」を「知識のない弱い者たち」と呼んで蔑んだのです。やがてこの2つの立場の違いは コリント教会内部の分裂へと発展してゆきました。もう一緒に礼拝を献げることはできない、 この人たちとは同じ教会にいたくない。お互いにそう言い出して自らの正しさを主張し、互い に相手を罵り審き合う混乱へと発展したのです。  もとを質すなら、まことに些細な問題にすぎません。パウロ個人の立場は「偶像に備えられ た肉を食べても構わない。それは偶像崇拝などにはならない」というものでした。しかし人間 どうしの分裂はそういう物事の是非・理非曲直では済まないから難しいのです。コリントの教 会の場合問題の根本に信仰の未熟さ、特にキリストの復活に対する確信のなさがありました。 それは何よりも私たちの罪の現れです。弱さそのものは決して罪ではありません。その弱さを 正当化して相手を審くこと、あるいは「強い」と称する者たちが弱い兄弟たちを審くことが「罪」 なのです。弱くても強くても、互いに主の前にあるがままに、ただキリストにのみ栄光を献げ 礼拝者として生きることができたはずです。それができずに分裂の危機を生み出したのは、十 字架のキリストの恵みが見失われていたからです。言い換えるなら、自分たちの正しさだけで 教会を建てようとしたからです。この問題をパウロは心から憂い、そして信仰生活の原点に立 ち返るようにと祈りつつ勧めているのが今朝の御言葉です。すなわち1節にパウロは申します。 あなたがたに「知識がある」ことは私にもわかっている「しかし知識は人を誇らせ、愛は人の 徳を高める」。「もし人が、自分は何か知っていると思うなら、その人は、知らなければならな いほどの事すら、まだ知ってはいない。しかし、人が神を愛するなら、その人は神に知られて いるのである」。これがパウロがコリントの人々に、また今日の私たちに宣べ伝えている福音 の内容です。  わが国のキリスト者の詩人であった八木重吉という人が「魂」という短い詩を書いています。 「不思議なものは魂である。まったき魂は腐れている。砕かれているときのみ、魂は完全であ る」。コリントの人々は、否、私たちこそ、この「砕かれている魂」の幸いを知らずにいるこ とはないでしょうか。大切なことは「(私たちが)神を愛するなら、その人は神に知られてい る」という事実なのです。この「神に知られている」人生こそ、死に至る罪の支配からキリス トによって贖われた自由と幸いの人生です。この十字架のキリストの恵みを知る者は、もはや 自分を「知識のある強い者」と呼べなくなるはずです。自分はキリストに贖われた僕である。 キリストの教会に仕え、そのことによってキリストの恵みを証しし、神の栄光を現わす僕であ る。この喜びと幸いと自由が私たちの共通言語となるとき、そこにはじめて真の教会が形成さ れてゆくのです。詩篇51篇の詩人ダビデも「神よ、あなたの喜びたもういけにえは、悔いし 砕けし心です」と歌っています。キリストの恵みを見失い教会に仕える喜びを見失って信仰生 活が観念に陥るとき、私たちは「神に知られていること」の幸いから離れ、知識を誇る者にな ってしまうのです。愛による真の自由を失った歩みになってしまうのです。  終戦後まもなく1953年にスイスから来日され、1955年まで約30ケ月のあいだ東京神学大 学とICU(国際基督教大学)で教鞭をとられたエーミル・ブルンナーという立派な神学者が おられました。このブルンナー教授が来日して間もないころ、ある会合で盛んにパイプをくゆ らせていた。スイスやドイツでは牧師がパイプを吸うのはごく普通のことです。しかしその席 に一人の婦人がおられ、ブルンナー先生に「先生、日本では牧師先生は煙草を吸わないもので すよ」と申し上げた。ブルンナー先生は「あ、そう!」と言われてすぐにパイプを消してしま われたそうです。その日から2年半の後に日本を離れるまで、ブルンナー先生は二度とパイプ を手にされなかったというのです。ドイツには“テオローゲ・ムス・ラウヒェン”(神学者は すべからく喫煙すべし)という諺さえあります。普段のブルンナー先生のヘビースモーカーぶ りを知るあるドイツの牧師がそれを知って、ああそれはいかにもブルンナー先生らしい美しい 振舞いである。「彼はキリストにある本当の自由を知っているからね」と言ったそうです。  パウロがここに「誇らせる」と語っている言葉を、ある英語の聖書では「インフレイツ」と 訳しています。中身が無いまま膨張してゆくという意味です。私たちの信仰また教会生活も愛 による自由を失うとき自分を「インフレイツ」するものになってしまうのです。知識を持つこ とが罪なのではなく、その知識が信仰(イエス・キリスト)という土台を持たないとき、それ は人の徳を立てず、むしろ他者を審くものになり、対立と分派を生み出し、自由を失わせるの です。今朝の7節にパウロはこう語っています。たとえ偶像に供えられた肉を食べても食べな くても、それが私たちを少しも損なわないことは明らかである。「食物は、わたしたちを神に 導くものではない」(8節)からだ。しかしまだそのように理解しないいわゆる「弱い兄弟たち」 がコリントの教会にいるではないか。そこでこそ10節以下にパウロは「自分たちは強い」と 自称する人々に訴えています。あなたがたのその「強さ」を「審きの道具」とせず、むしろ「弱 い」兄弟姉妹たちに対する「愛」へと高めなさい。たとえどんなに自分を「強い」と主張して も、愛がなければいっさいは無益ではないか。そして11節にこう申します「そのとき、その 弱い人は、あなたの知識によって滅びることになる。この弱い兄弟のためにも、キリストは死 なれたのである。このようにあなたがたが、兄弟たちに対して罪を犯し、その弱い良心を痛め るのは、キリストに対して罪を犯すことなのである」。  もしあなたがたが自分を「主」として「弱い」兄弟姉妹たちを審くなら、それは「キリスト に対して罪を犯すこと」だとパウロは語るのです。むしろ「弱い」兄弟姉妹たちのためにも「主 が死んで下さった」恵みを覚えなさい。そして共に主の身体なる教会に喜びと感謝をもって連 なり、主に仕える僕になりなさいと勧めるのです。自分を主とし基準とする古い生きかたを捨 てて、キリストを中心(主)とする新しい祝福の生命にこそ本当の自由と幸いと喜びがあるの です。そしてパウロは自分ならどうするかを具体的に語っています。13節です「だから、もし 食物がわたしの兄弟をつまずかせるなら、兄弟をつまずかせないために、わたしは永久に、断 じて肉を食べることはしない」。ブルンナー教授が大好きだったパイプを止めたのも、この愛 による自由の喜びがなさしめたのです。  「徳を立てる」とは「主の教会を建てる」という意味です。一人でも多くの人々が主の教会 に連なり、まことの救いにあずかるために、喜んで自分を献げてゆく、主にお仕えしてゆく、 そのような本当のキリスト者の自由を、朗らかな心を、主に結ばれた愛の生活を、私たちもま た共に持つ者とされているのではないでしょうか。それは自己抑制などという陳腐なものでは なく、何物にも支配されないキリストの愛による真の自由、その健やかな自由に根ざした、御 言葉に生きる主の僕たちのみが持ちうる新しい祝福の生活なのです。