説    教     ミカ書5章2節   ルカ福音書2章1〜7節

「キリストの降誕」 2011年 聖夜礼拝

2011・12・24(説教11511409)  「クリスマス」はもともとラテン語で「キリストを礼拝する日」という意味です。2011年 前、最初のクリスマスの夜、ユダヤのベツレヘムという村の馬小屋で、私たちの主イエス・キ リストは生まれたまいました。世界で最も低く貧しく暗い場所に主はお生まれになったのです。 私たちはこのクリスマスの日、互いに「クリスマスおめでとう」と喜びと平安の挨拶を交わし ます。私たちだけでなく、この湘南の地に住む全ての人々に、東日本大震災の被災者たちの上 に、そして全世界の人々に御降誕の主イエス・キリストの祝福と平和があるように祈ります。 ある意味でクリスマスは日本の「国民的年末行事」になりました。デパートにもショッピング モールにも高速道路のサービスエリヤにさえ、大きなクリスマス・ツリーが飾られます。本家 本元である教会のほうがよほど飾りが少ないのです。  しかし私たちの目をあの最初のクリスマスの夜、ベツレヘムの馬小屋へと向けるなら、そこ にはさらに何ひとつ飾りなどありませんでした。あったのはただ果てしない夜の闇と寒さ、そ して馬小屋の中に置かれた一個の飼葉桶だけでした。ドイツの教会に行きますと「クリッペ」 (Weihnachtskrippe)と申しまして、キリスト御降誕の様子のミニチュア人形が教会の前などに 飾られます。その「クリッペ」にも華やかなものはひとつもありません。壊れそうな馬小屋の 中で飼葉桶の中に眠りたもう幼子キリストを表現したものです。その周囲にはマリヤとヨセフ、 そして羊飼いたちと羊や牛やロバやニワトリなどの動物たちがいるだけです。  さきほどご一緒にお読みしたルカによる福音書の少し先、2章7節に「客間には彼らのいる 余地がなかった」とありました。実はこれこそ私たち人間の現実をあらわしているのです。神 がその独子イエス・キリストを世にお与えになったとき、私たちの世界はキリストをお迎えす るに相応しい場所を(余地を)どこにも持たなかったのです。私たちの世界は今なお神の前に「余 地」のない「馬小屋」のような暗さに満ちているのです。現代の日本にさえ、豊かさの背後に どんなに大きな「暗さと悲惨さ」があるか、それがあの東日本大震災によって明らかになりま した。それなら、私たちの主キリストは、まさにその私たちの「暗さと悲惨さ」のただ中にお 生まれになったのです。ベツレヘムの馬小屋に「余地なきところ」に主は来て下さったのです。  私たちは少しの贈り物をしても、もし相手が感謝してくれなければとても気にします。「せ っかく贈ったのに」と不満を抱くでしょう。しかしまことの神は私たちが神の御子キリストを 「余地」なき「馬小屋」にお迎えするような人間だから、だからクリスマスを「止めた」ので はなかった。むしろその逆でした。「余地なき」私たちだからこそ、神は私たちの世界の罪の どん底に、キリストを与えて下さったのです。この世界の最も低く暗く悲惨な場所に主はお生 まれ下さった。ヨハネはそれをヨハネ福音書1章9節に「すべての人を照らすまことの光があ って、世に来た」と告げています。この「全ての人を照らすまことの光」こそキリストなので す。  キリストの御降誕は、神が人となられた、つまり神が私たちと同じ肉体を取られたという出 来事です。肉体は、病気をし、傷つき、衰え、最後には死ぬものではないでしょうか。それな らキリストが肉体を取って生まれたとは、永遠なる神が「死ぬもの」になって下さったことで す。まさにキリストは「全ての人を照らすまことの光」として、十字架にかかって私たちの罪 を担われ、全ての者に生命を与えるためにベツレヘムの馬小屋にお生まれになった。神は私た ちの「救い」のためにただ処方箋を書いたかたではないのです。こうせよ、ああせよ、そうす れば救われる、という処方箋を与えたのではないのです。そうではなく、まことの神は私たち のただ中に(肉体と歴史のただ中に)この世界の全ての混乱と破れの現実の中に身を投じて下さ った。譬えて言うなら、溺れている人に向かって岸から「こうせよ、ああせよ」と指示したの ではなく、黙って水に飛びこんで来てその人を救って下さった。そしてご自分は死んで下さっ た。それがキリストの御降誕と十字架の出来事なのです。  だからこそ、私たちはこの日を全世界の人々と共に喜び祝うのです。そして「クリスマスお めでとう」と心からなる挨拶を交し合うのです。クリスマスのメリーネス(限りない喜び)は、 まさに私たちを極みまでも愛し、十字架の道を歩んで下さったキリストの測り知れぬ愛に根拠 があるのです。この喜びが全世界の人々と共にありますように。この国の隅々にまで御降誕の 主の祝福と平和がありますように。クリスマスおめでとうございます。主はまことに、あなた のもとに来て下さいました。