説     教    イザヤ書9章6節   ルカ福音書2章8〜14節

「メリー・クリスマス」 聖夜礼拝

2010・12・24(説教1051b1356)  ドイツにローテンブルクという古い町があります。正式名をローテンブルク・オプ・デア・ タウバーと言います。タウバー川を見下ろす丘に中世そのままの家並みを残す美しい町です。 この町の入口に門があります。そこには「ここを入る人に喜びあれ。ここを出る人に祝福あ れ」と刻まれています。私たちもそのような人生を歩みたいと願います。「ここを入る人に喜 びあれ。ここを去る人に祝福あれ」。それは神の御子イエス・キリストが共におられてはじめ て可能なのです。  クリスマスは神が全ての人に与えて下さった測り知れない喜びの日です。この日、私たち は「クリスマスおめでとう」と呼び交わします。英語で言うなら「メリー・クリスマス」で す。この「メリー」とは“メリーネス”つまり「限りない喜び」という言葉からきています。 つまり「メリー・クリスマス」とは「あなたに、クリスマスの限りない喜びがありますよう に」という意味です。それこそ「ここを入る人に喜びあれ。ここを去る人に祝福あれ」はク リスマスにおいて実現するのです。  私たちの周囲を顧みるなら、世界はクリスマスの喜びとは無縁のもののように存在してい ます。「混乱と殺戮の世紀」と呼ばれた20世紀からもう10年が経ちました。真の平和と一致 をと願う人類共通の希望のもと21世紀も十分の一、しかし私たちの世界には依然として混乱 と争いが絶えません。新聞やテレビにも人間の罪が醸し出す悲惨な事件が報じられない日は 一日もありません。自然災害への不安もあります。不景気の嵐も収まりません。そうした中 で私たちはみな先行きの見えない不安や恐れを抱えているのではないでしょうか。  今から2千年前、最初のクリスマスの晩にベツレヘムの羊飼いたちが経験した夜の闇も恐 ろしく深いものでした。さきほどお読みしたルカ福音書2章8節以下にはこう記されていま す。「さて、この地方で羊飼たちが夜、野宿しながら羊の群れの番をしていた」。この羊飼た ちはベツレヘムの郊外で、エルサレム神殿に犠牲として献げられる羊を飼っていた人々です。 彼らは当時社会的に最も低い地位にあった人々でした。理由はユダヤ教の安息日の掟を守れ なかったことによります。私も農学校の出身なのでわかるのですが、家畜の世話というのは 休みなしです。加えて彼らには住む家さえなく、羊の群れと共に「野宿」していました。そ の羊飼いたちが、世界で最初のクリスマスの「限りない最大の喜び」を告げる人々になった のです。  同じルカによる福音書の2章7節には、私たちの主イエス・キリストは「余地なきところ」 にお生まれになったと記されています。主イエス・キリストは私たちのこの世界の「余地な き」罪の現実の中に、最も低く貧しいお姿で、ベツレヘムの馬小屋の飼葉桶の中に生まれて 下さったかたなのです。まさに住む家さえなく、最も卑しめられていたこの羊飼いたちが、 主イエス・キリストの愛と恵みを告げる人々として選ばれたのです。彼らは大切に愛を注い で育てた小羊が、犠牲として殺されるために連れてゆかれる悲しみを誰より良く知っていた 人々でした。言い換えるなら、この世界の全ての人の罪を贖うまことの犠牲(贖い主)とし て、最愛の独子イエスをこの世界にお与えになった父なる神の限りない愛と恵みをいちばん よく理解できる人々だったのです。  彼ら羊飼いたちは、今日のルカ福音書によれば、夜の闇を恐れたのでもなければ、不安定 な貧しい生活を恐れたのでもありませんでした。もちろんそういう「恐れ」もあったと思い ます。しかし彼らがなによりも恐れたのは、天使によって告げられたクリスマスの出来事で した。すなわち9節に「すると主の御使が現れ、主の栄光が彼らをめぐり照らしたので、彼 らは非常に恐れた」とあるとおりです。つまり彼らが恐れたこの「恐れ」とはキリストを信 じる信仰のことでした。クリスマスとは「キリストを礼拝する日」という意味です。彼らは 本当にキリストを救い主として信じ、礼拝したのです。  顧みて、私たちはどうでしょうか。本当に畏れるべきものは畏れず、反対に恐れるべきで はないものを恐れ、囚われていることはないでしょうか?。繰り返し申します。羊飼いたち が恐れたのは、夜の闇の暗さでも不安定な生活でもなく、彼らをめぐり照らした神の栄光(救 い主キリストの御降誕の知らせ)だったのです。 彼らは本当に恐れるべきものを恐れたゆえに、あらゆる恐れに支配されているこの世界(夜 の闇の中で恐れている人々)に、救い主の御降誕という「すべての民に与えられる大きな喜 び」を宣べ伝えることができました。現実のあらゆる恐れの中に、主の平安を抱いて立ち向 かうことができたのです。「ここを入る人に喜びあれ。ここを去る人に祝福あれ」。  あのローテンブルクの町も、実は第二次世界大戦中に爆撃によって完全な廃墟になったの です。しかし戦後、瓦礫の山になった町を人々が石を一つずつ積み上げて、昔のままの姿に 復興したのです。そのきっかけは1945年に瓦礫の中で献げられたクリスマス礼拝でした。ロ ーテンブルクの中心にある教会には焼けただれた十字架が保存されています。町の人々は廃 墟の中でクリスマスの音信を受け止め、以前にまさってキリストによる喜びと祝福を告げる 群れになったのです。  天使は私たち全ての者にクリスマスのメッセージを伝えています。10節の御言葉です「す べての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。きょうダビデの町に、あなたが たのために救い主がお生まれになった。このかたこそ主なるキリストである。あなたがたは、 幼な子が布にくるまって飼葉桶の中に寝かしてあるのを見るであろう。それが、あなたがた に与えられるしるしである」。  まことの神はこの世界を、そして全ての人々を限りなく愛しておられます。だからこそ「全 ての民に与えられる大きな喜び」を、あらゆる「恐れ」の中にいる私たちに告げて下さいま した。この世界に、私たちに、罪からの救い主として神の御子キリストが与えられたのです。 神は私たちを極みまでも愛され、私たちの罪によって「余地なき」ものとなったこの世界の ただ中に、ご自身の最愛の独子を与えて下さいました。主はその恵みによって私たちの人生 を「ここを入る人に喜びあれ。ここを去る人に祝福あれ」と、喜びと祝福を告げるものにし て下さいます。そこにクリスマスの“メリーネス”があるのです。  メリー・クリスマス!。クリスマスおめでとうごさいます。主はまことに、あなたのため に、全世界の人々のために、お生まれになりました。