説     教    詩篇98篇1〜3節   ルカ福音書2章1〜14

「キリストとサンタクロース」 2009年 聖夜礼拝

2009・12・24(説教09511303b)  クリスマスはなんの日でしょうか?。「クリスマス」という言葉はもともとラテン語で「キ リストを礼拝する日」という意味です。しかし日本ではどちらかと言うと「サンタクロー スの日」という感じになっているようです。もしかしたら「サンタさんにプレゼントをお 願いする日」というイメージが定着しているのかもしれません。  もちろん、クリスマスの本来の意味は、私たちのために人となられた神の御子イエス・ キリストの御降誕を喜び祝うことです。しかし、ではサンタクロースは架空の(存在しな い)人物なのかと言えば、そうではありません。サンタクロースは実在する人物なのです。 いまから約1600年前、西暦4世紀の小アジヤ(今日のトルコ西部)のミラという町の司 教(教区の指導者)ニコラウスという人です。聖ニコラウス、これをオランダ語ではシン タクラースと読みます。そこからサンタクロースという名前が定着したのです。だからサ ンタクロースは本当にいた人なのです。  この聖ニコラウスは、世界最古の神学校であるアレクサンドリア教理学校に学び、アタ ナシウスらと共に、全世界のキリスト教会共通の信仰告白であるニカイア信条の信仰に堅 く立ち、まことのキリストの教会に仕えた立派な神学者でした。当時の世界にはアリウス という神学者が「キリストは神ではなく、ただの人間に過ぎない」という異端の教えを語 って人々を惑わせていました。このアリウスの異端に対して正面から戦い、正統信仰を貫 いて人々をキリストに導いた人こそニコラウスでした。  西暦325年、第一回の世界教会会議がニカイアにおいて行われたとき、ニコラウスはア リウスが得々と間違った教えを語るのに我慢ができず、アリウスを殴りつけたという実話 が伝えられています。この事件をきっかけにニコラウスは聖職位を剥奪されそうになりま すが、司教たちの夢にキリストと共にいるニコラウスの姿が示され、聖職(牧師の職務) に復帰したと伝えられています。そのため東方教会ではイコンにニコラウスの姿を描くと き、必ず右側にキリストを描く習わしになっています。  ニコラウスはミラの街の人々をキリストの愛をもって愛し、貧しい人々や困っている人 たちを助けました。あるとき、貧しさのために身売りされそうになった3人の姉妹を、そ の家の煙突から銀貨を投げこんで助けたということです。そのときニコラウスが投げこん だ銀貨が偶然、薪ストーブの縁に吊るされていた靴下の中に入ったため、サンタクロース はプレゼントを靴下の中に入れてくれるという話になったのです。またあるときは、ニコ ラウスは無実の罪で処刑されそうになった3人の兵士たちのために、みずから剣の前に立 ちはだかって助けました。またあるときには船から落ちて溺れてしまった人を荒れ狂う海 に飛びこんで救いました。そのほかにも、ニコラウスが行った良い行いは数えきれないほ どでしたので、そこから「子供たち、貧しい人々、困っている人々のためにプレゼントを くれるニコラウス」つまりサンタクロースのイメージが定着したのです。ですから何度も 申しますが、サンタクロースは本当にいた人なのです。  サンタクロースはかならず赤い服を着ています。それは司教が着る聖職者の正装が赤と 決まっているからです。その赤は殉教者の血の色を現わしています。殉教者とはキリスト の愛を証して自分の生命を献げた人々のことです。迫害されて殺されても、自分を殺す人々 のために赦しと祝福を祈って死んでいったのです。聖書にはそのような殉教者(キリスト の証人=使徒)たちの姿がたくさん描かれています。たとえばステパノという執事は、キ リストの愛と恵みを説教で語ったために人々から石打ちの刑に処せられました。しかし石 で撃たれつつステパノは全ての人々を赦し祝福して、眼を天に上げて死んでいったのでし た。その殉教の様子を観て心砕かれた人こそ、使徒パウロとなったパリサイ人サウロでし た。このように、教会の歴史の中には殉教者(キリストの証人)が数え切れないほどたく さんいるのです。  サンタクロースもそうした殉教者の一人でした。つまりサンタクロースはキリストの愛 と恵みを証した人なのです。キリストを指し示した人なのです。だからイコンにも必ず右 側にキリストが描かれるのです。もしサンタクロースがここにいたら、私たちにこう言う に違いありません。「私ではなく、ただキリストのみを見つめて下さい!」と。「クリスマ スの主役は私ではありません。ただ神の御子イエス・キリストのみが、クリスマスにおい て礼拝を献げられるべきかたなのです!」と。サンタクロースがプレゼントを献げたのも、 それはなによりもキリストが全ての人々のために、御自分を献げ尽くして下さった十字架 の恵みを知るゆえにでした。この主キリストの恵みに応えるためには、自分の全生涯を献 げてもなお足りない思いでいたことでしょう。  キリストは私たちのために、そして全世界の全ての人々の救いと平和のために、ベツレ ヘムの馬小屋に生まれて下さいました。まさに今日、歴史がBCとADに分かれたのです。 BCとは“Before Christ=キリスト以前”という意味であり、ADとは“Anno Domini =われらの主の年”という意味です。神の御子が私たちを救うために、世界のいちばん低 く貧しく暗いところにお生まれ下さったのです。ニコラウスとはギリシヤ語で「勝利の民」 という意味です。その名のとおりキリストはご自身に連なる全ての人を復活の勝利の生命 をもって覆い包んで下さいます。クリスマスは御降誕の主イエス・キリストを信じ、この おかたの前にひざまずいて礼拝を献げ、サンタクロースらと共に、私たちも祝福の勝利の 生命に覆われた者とされていることを喜び祝う日なのです。  そのとき、私たちの日々の歩みもまた、殉教者の歩みに似たものとされてゆくのではな いでしょうか。神から御子イエス・キリストという測り知れぬプレゼントを戴いた私たち は、自分の生涯を通して神の祝福と愛を現わす、キリストの恵みの証人とされているので す。サンタクロースは歴史上の人物ですが、キリストは永遠の神の御子として、どんな時 にも変わらず私たちと共にいて下さるのです。クリスマスおめでとうございます。まこと に主は、あなたのためにお生まれになりました。