説    教   レビ記23章33〜36節  ヨハネ福音書7章1〜9節

「キリストの時」

2008・09・28(説教08391238)

 「そののち、イエスはガリラヤを巡回しておられた。ユダヤ人たちが自分を殺そう
としていたので、ユダヤを巡回しようとはされなかった」。これが今朝のヨハネ福音書
7章1節冒頭の御言葉です。

 ここにはっきりと「ユダヤ人たちが(主イエスを)殺そうとしていた」とあります。
主イエスに対する律法学者や祭司たちの非難攻撃が、日ごと厳しくなっていたことが
伺えるのです。先祖伝来の律法と儀式に満足し、生ける神の御言葉を宣べ伝えること
を忘れていた律法学者や祭司たちにとって、ただ神の福音のみを宣べ伝え、人間の真
の救いだけをお告げになるキリストの存在は、自分たちの立場を危うくするものと受
け止められたのでした。

 いつの時代にも、真実を語る者の声はなかなか素直に受け止められず、多くの抵抗
に遭うのです。ましてやそれが“神の福音”であればなおさらです。神の福音とこの
世の権威との対立は、ユダヤ人たちが主イエスを殺害せんと画策するほどに激しさを
ましていました。それで主イエスは、伝道の範囲を当面のあいだガリラヤに限定なさ
いました。ユダヤに行くことができなかった、というよりも、まだその「(御自分の)
時」が来ていないと判断されたのです。

 ここに「巡回した」とあるのは、町々村々を巡り歩いて福音を宣べ伝えることです。
最近ではほとんど聞かれなくなりましたが、昔はよく「巡回伝道」という言葉が用い
られたものです。これはやはり私たちにとって、大切なことではないかと思うのです。
それは何も「ものみの塔」の人たちのように、戸別訪問をして歩くというような意味
ではありません。

 そうではなく、私たちがいつどこで生きるにせよ、いつもキリストの福音によって、
教会に連なって生きているか否かが問われているのです。キリストに遣わされた者と
して人生を歩んでいるか否かが問われているのです。私たちの「巡回」できる範囲は
ごく限られているでしょう。出会う人々の数も限られています。そこでこそ問われて
いることは、私たちにとってのその「ガリラヤ」を、私たちがいつも大切にしている
かどうかということです。私たちに与えられている「ガリラヤ」での「巡回伝道」の
務めを、いつも忠実に果たしているかどうかということです。

 まさにこの葉山、逗子、横須賀、鎌倉、横浜、湘南地区こそ、私たちにとっての「ガ
リラヤ」なのではないでしょうか。私たちの職場や家庭もまた「ガリラヤ」なのでは
ないでしょうか。それならば、私たちがそこでの“巡回伝道”をためらっている間に
も、主イエスは率先してそこを「巡回」なさるのです。ユダヤ巡回を後回しになさっ
てでも、キリストはいま、私たちのもとに来て下さるのです。

 それならば私たちはなおさら、そのキリストを信じ、キリストにの御跡に忠実に従
う群れであらねばなりません。「ガリラヤ」はまさに主イエスの弟子たち(つまり私た
ち)の故郷のことです。私たちは、私たちの故郷を巡回して下さるキリストの背中を
黙って見つめているだけで良いのでしょうか。私たちこそキリストと共に、キリスト
に従って、主の教会に連なり、礼拝者として喜んで生きるとき、その私たちの姿を通
して、福音の喜びは周囲の人々にも必ず伝えられてゆくのです。それが福音を携えて
「巡回伝道」をすることです。私たちの主にある日常生活のことなのです。

 主イエスが「ガリラや」から離れたまわなかったもうひとつの理由があります。そ
れは「ガリラヤ」のペテロの家に最初の教会が建てられていたことです。本当の伝道
とは、そこに“本物のキリストの教会”が建てられてゆくことです。イエスを「主」
と告白した弟子たちは“礼拝の群れ”(主の教会)へと成長していったのです。それな
らば、その教会を養い、育て、成長させ、強める務めがあるのです。それこそが、主
イエスがガリラヤを離れたまわなかったもうひとつの大きな理由です。

 私たちが「巡回伝道」と聞くとき、すぐに思い浮かべるのは使徒パウロの伝道旅行
でしょう。パウロは4回にもおよぶ大伝道旅行を行い、当時の地中海世界各地に有力
な教会を形成しました。しかしパウロにとって「伝道」とは「キリストの身体なる教
会を建てること」であり、単に回心した人々を獲得することではありませんでした。
たとえ回心した人々が何百人、何千人与えられたとしても、もしそこにキリストの教
会が建てられなければ、その伝道は失敗に終わったも同然なのです。

 だからパウロは、福音を宣べ伝え、信者を獲得し、洗礼を授けて、それで責任を全
うしたとは考えませんでした。かならず、そこに教会を建て、礼拝の群れを整え、教
会の長老たちを任命し、彼らに福音宣教のわざを委ね、教会の自給独立の礎を固めて、
それではじめて、その地での「巡回伝道」の務めを全うしたと考えたのです。だから
パウロは前回の訪問で不十分だと感じたところを、次の訪問の時にはかならず補って
います。それは何よりも、キリスト御自身がそのような「巡回伝道」の歩みをなさっ
たからです。キリストの「巡回伝道」はまさに「教会形成」の御業であったのです。
私たちの「巡回伝道」の務めも同じなのです。それはこの地に、私たちが主から委ね
られているこの葉山という「ガリラヤ」に、キリストの主権のみを現す真の教会を形
成することです。教会形成と一体でない「巡回伝道」はありえないのです。

「教会」をあらわす代表的なギリシヤ語「コイノニア」は「共に一つの糧にあずか
る」という意味です。それで私たちは改めて、先に学んだ同じヨハネ伝6章において、
主イエスが繰り返し「わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物」と
語られたことを思い起こします。あれこそまさしく「コイノニア」そのものを示して
いるのです。キリストは私たちの(そして全世界の)罪の贖いのために、御自分の全
てを十字架において献げ尽くして下さったのです。そして私たちを御自分の御身体に
「共にあずかる群れ」(コイノニア)として下さいました。だから教会は、主の完全な
自己放棄の恵みのもとに成り立っています。キリストに選ばれ、招かれた弟子である
私たちは、ただ十字架の主の恵みのもと、主の生命に共にあずかる教会(コイノニア)
を形成してゆくのです。

 ところがまさにここに、私たちの罪から来る不協和音が響くのです。今朝の2節を
見ますと「時に、ユダヤ人の仮庵の祭が近づいていた」とあります。「仮庵の祭」とは
毎年秋分の日に最も近い満月の日から一週間、出エジプトの際の荒野の旅路と、そこ
で与えられた神の恵みを記念して献げられた礼拝でした。この時に(3節以下を見ま
すと)主イエスの兄弟たちが近づいて来て、こう言ったというのです。「あなたがして
おられるわざを弟子たちにも見せるために、ここを去りユダヤに行ってはいかがです。
自分を公にあらわそうと思っている人で、隠れて仕事をするものはありません。あな
たがこれらのことをするからには、自分をはっきりと世にあらわしなさい」。

 この言葉はいっけん丁寧ですが、ようするに主イエスに対して「あなたは、こんな
田舎のガリラヤで燻っていないで、ユダヤの都エルサレムに出て、多くの人々に自分
を現したらどうか?」と言ったのです。続く5節を見ますと「こう言ったのは、兄弟
たちもイエスを信じていなかったからである」と記されています。おそらく主イエス
の「兄弟たち」(身内の者たち)は「多くの弟子たち」が主イエスから離れ去っていっ
たことに対して、身内の者として苛立ちと恥ずかしさを感じていたのでしょう。そう
した事態を打開するためにも、このさいエルサレムで旗揚げしたらどうか(王になっ
たらどうか?)と進言したわけです。これは、主イエスの十二弟子たちも同じ思いで
いたことなのです。

 言い換えるなら彼らは、主イエスがいつまでも一つの教会で牧会しておられるのを
好ましく思わなかったということです。主イエスに「早くこの教会から出ていっても
らいたい」と思っていたということです。教会の“かしら”を主イエス以外のものに
したかったということです。そもそも教会を否定していたということです。だからこ
そ5節には、その発言は不信仰によるものだったと記されているのです。

 これは、まことに恐ろしいことではないでしょうか。教会は「キリストの御身体」
であり、キリスト以外の「かしら」はなく、キリスト以外の「土台」もありえません。
それを失うとき、教会ははや教会ではなくなります。昔、植村正久牧師は「世に“腐
っても鯛”と言うが、腐った鯛ほど始末に負えぬものはない」と言われ、名目だけの
教会を誡められました。「キリストが唯一の『かしら』でなくなった教会」ほど鼻持ち
ならぬものはないのです。それならば、まさに私たちの「罪」はそのような「鼻持ち
ならぬ教会」を願うことにあると示されているのです。たとえどんな田舎の小さな教
会も、大都会の何百人が集まる教会も、教会に連なり、教会に仕え、キリストの主権
を現す務めにおいては全く同じです。「巡回伝道」の喜びの務めは同じなのです。大切
なことは、私たちが主から委ねられた「ガリラヤ」において、キリストのみが唯一の
「かしら」である真の教会形成をすることです。正しい礼拝を献げ、福音のみを宣べ
伝えることです。この最も大切なことを少しでも軽んずるなら、私たちこそ簡単に「腐
った鯛」になってしまうのです。

 まさに、そのような罪によって「ガリラヤ」から離れようとする私たちに、主イエ
スははっきりと仰せになります。それが6節以下の御言葉です「そこでイエスは彼ら
に言われた、『わたしの時はまだきていない。しかし、あなたがたの時はいつも備わっ
ている。世はあなたがたを憎み得ないが、わたしを憎んでいる。わたしが世のおこな
いの悪いことを、あかししているからである。あなたがたこそ祭に行きなさい。わた
しはこの祭には行かない。わたしの時はまだ満ちていないから』」。そして9節にはこ
うあります。「彼らにこう言って、イエスはガリラヤにとどまっておられた」と。

 ルターが訳したドイツ語の聖書を見ますと、この6節はこのように訳されています。
「わが時はいまだ、ここにはあらず。されど汝らの時は、いつにても満たされておる
なり」。主イエスが言われたことはこういうことです。「あなたがたは自分の意志や力
で『時』を定めるが、わたしの『時』は神がお定めになるものであって、その『時』
はまだ来ていない」と。主イエスはいついかなる時にも父なる神に従順であられまし
た。私たちはそうではありません。父なる神に不従順であり、自分で「時」を定めた
がるのです。それができると自惚れているのです。神の御子に対してさえ「今こそ旗
揚げの『時』ではないか」と言って決断を迫ろうとするのです。

 神の「時」を無視して、この世の流れにだけ従うとき、私たちは却って真の自由を
失うのです。為すべきことを為さず、為すべからざることのみを為す存在となるほか
はありません。ガリラヤへと遣わされていながら、ガリラヤから離れてしまうのです。
おのれの幸福と満足のみを求めて、福音に生かされる幸い、福音を携えて行く喜びを
失うのです。そのような私たちに、主イエスは「わが時はいまだ到らず」と、厳かに
「神の時」を待つべきことをお教えになります。まさにその「神の時」の中でこそ、
真の礼拝者の生活へと私たちを整えて下さいます。そしてその「時」とは、主イエス・
キリストにとって「十字架の時」そのものであったのです。

 「時」を自分の利益と願望のために用い「罪の働く機会」としかなしえない私たち
の「罪」のために、主イエスは、父なる神の定めたもうた「十字架の時」を御自分の
全てを犠牲として献げたもう「わたしの時」としてお受け下さいました。その「時」
こそ、ゴルゴタへと十字架を負うて登られる「時」です。それは人々が期待していた
この世の「王」としての旗揚げの「時」とは正反対の、人々の嘲りの中での十字架の
「時」でした。この2つの「時」(「人間の時」と「神の時」)の違いは大切です。そう
でないと、この世の生活の中で自分が何のために生きているのか見えなくなってしま
うのです。人生という「時」の意味がわからなくなるのです。自分の存在にも他者の
存在にも、意味が見出せなくなってしまうのです。私たちは教会によってキリストに
結ばれてのみ「神の時」に生きる僕とされてゆくのです。

 現代は、この、まことに深刻な「時」喪失の時代であると言わねばなりません。「時」
を失うことは、人生の意味と目的を失うことです。行く先を知らぬまま港を出た船の
ようなものです。やがて、人生の荒波と虚無とが、私たちの存在を、空しい「時」の
記憶と共に、永遠の忘却の彼方へと呑みこむ時、私たちは全く無力で、なすすべはあ
りません。

 しかし、まさにその「時」の中にこそ、私たちが生きるガリラヤにおいてこそ、主
イエス・キリストは、御自分の選びと主権において、私たちを愛する弟子としてお招
きになり、そこに御自分の教会を建てて下さいました。この教会はキリストの御身体
です。だからそれは罪と死に打ち勝つ唯一の「生命の門」であり、私たちはそこにい
まキリストの贖いの恵みによって連なっているのです。主はそこに、その「ガリラヤ」
に、とどまって下さいます。永遠に変ることなく、私たちの教会の唯一の「かしら」
であり続けて下さいます。そこでこそ、私たちは本当に、生きるべきみずからの「時」
を持つ者とされてゆくのです。

 私たちの、まことに空しい、死に向う「時」の流れを生命の祝福として下さるため
に、主は御自分の教会に私たちを連ならせ、十字架による罪の贖いという御自分の「時」
をもって、罪の支配する私たちの「時」を、恵みの支配する新しい「時」へと造りか
えて下さったのです。だからこそ私たちは一週間の「時」の流れの中で、日曜日(安
息日)という唯一の「時」を、最も大切なものとして重んずるのです。

 毎週の安息日のたびごとに、私たちの「時」は、キリストの「時」に合わせられて
ゆきます。私たちの朽ちるべき生命は、キリストの御復活の生命に合わせられてゆき
ます。死ぬべきものが死なないものを着、滅ぶべきものが滅びないものに覆われてゆ
くのです。そこでこそ私たちは真に生きる者とされてゆく。いつ、どこにあっても、
私たちに与えられた「ガリラヤ」において、キリストの主権のもとを、キリストと共
に歩む者とされてゆく。そこで教会を建ててゆく幸いに、仕える僕とならせて戴いて
いる。そこに私たちの変らぬ幸いがあり、自由があり、喜びがあることを覚えるもの
であります。