説    教   詩篇62篇5〜7節  ヨハネ福音書5章41〜44節

「神からの誉れ」

2008・05・04(説教08181217)  主イエスは「あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、こ の聖書は、わたしについてあかしをするものである」とはっきりと言われました。聖 書全体がキリストを証しているのです。そして、そのすぐ後で主は、いささか唐突と も思える仕方で、「わたしは人からの誉を受けることはしない」と、“誉れ”の問題へ と話題を転ぜられるのです。  なぜ、主イエスはここで、突然“誉れ”の問題を扱っておられるのか。なによりも、 そう言われたパリサイ人たちが、いちばん驚いたに違いないのです。なぜなら、パリ サイ人たちにとって「人からの誉を受ける」ことこそ、人生における最重要課題であ ったからです。  福音書を見ますと、会堂や宴席での上座を好み、わざと大きな房の付いた服を着、 広場で人から挨拶されることを喜ぶ、パリサイ人の姿が出て参ります。パリサイとい うのは「分離する」という意味のヘブライ語に由来する言葉ですが、彼らは自分たち を、一般庶民とは違う、特別な、選ばれた人間だと考えていました。だから、自分た ちが「人からの誉を受ける」ことは、当然のことだと考えていたのです。  ユダヤ教の会堂(シナゴーグ)に入って、すぐに気がつくことは、椅子にそれぞれ 名札が付いていることです。背もたれのところに、真鍮のネームプレートがついてい ます。それは、社会的な地位や名誉に応じて、上席に座るようにできているのです。 うっかり新参者が偉い人の席に座れば「そこはあなたの座る場所ではありませんよ」 と注意されるのです。それが、キリスト教会との大きな違いです。私たちの教会では、 社会的な地位や名誉が幅を利かせることはありません。主の礼拝堂の中では、何人と いえども神の前に等しく重んじられるのです。  しかし、主イエスの時代の、ユダヤ教の会堂はどうであったかと申しますと、会堂 の入口に門番のような人が立っていて、入って来る人間を逐一チェックしている。見 知らぬ人がやって来ると、まずその人の社会的な地位を値踏みするのです。服装とか、 持物とか、人相や言葉づかいなどで判断をする。パリサイ人がこだわったのは、そこ でした。たとえば、旅先などで会堂に入ったとき、門番にそれとなく、自分の地位を ひけらかすのです。大きな房の付いた服がものを言うわけです。門番は服装を見て「パ リサイの偉い先生」が来たというわけで、会堂の上席に案内をする。むろんパリサイ 人のほうでも心得たもので、自分の座る席はここぐらいだと、算段しているわけです。 それより下の席に案内されると機嫌が悪い。それより上席に案内されると、ご機嫌で ある。そういう光景が、安息日ごとに、ユダヤ全土において繰り広げられていました。  これは、まことに愚かしいことですけれども、あんがい、こうした愚かしい事にこ だわりを持つのが、私たち人間の姿なのではないでしょうか。上席だの、末席だの、 目くじらを立てるのは、傍から見れば児戯に等しいことです。しかしあんがいそうし た論理が、今日の社会でも幅を利かせていることがあります。結婚の披露宴の招待状 を出すとき、誰もが悩むのは、どこに誰を座らせるかということです。あるいは、お 葬式の弔電披露などでは、誰からの弔電を先に読むかということで、気を磨り減らし たりいたします。失敗すると、それから先の人間関係にもひびが入りかねない。そう いう物言わぬ怖さを、実は「人からの誉れ」は持っているわけです。  そこで、主イエスは「わたしは人からの誉を受けることはしない」と言われました。 たとえ、人が主イエスにこの世の名誉を与えようとしても、主はそれを拒絶されるの です。それをお嫌いになるのです。このことは、主イエスに従って歩む私たち一人び とりに、主が求めておられる新しい「掟」(主に贖われた者の新しい喜びの人生)です。 社会の論理に対するキリスト者の論理なのです。  今から140年ほど前、当時の幕府の命により、岩倉具視がアメリカに派遣され、ニ ューヨークで新島襄に会いました。新島は幕府の国禁を犯して渡米し、すでに十年近 くアメリカの神学校で学んでいました。政治的な筋から言えば、新島は国禁を犯した 犯罪者であり、岩倉は幕府の高官で正使節でした。実際に、新島と共に岩倉に謁見し た他の数名の日本人留学生は、床に土下座したそうです。しかし新島はそれをしませ んでした。立ったまま、丁寧にお辞儀をしたのです。これは前代未聞のことでした。 新島は、神の前に人間は平等であるとの信念を曲げなかったのです。  その新島は、後年、京都に同志社英学校を建てたのですが、有名な話があります。 同志社に五平さんという小遣いさんがいた。学生はみな「五平、五平」と呼び捨てに していた。しかしひとり新島のみは、丁寧に「五平さん」と呼んでいた。学生たちに も「呼び捨てにしてはならない」と戒めたと言うのです。キリスト者である新島にと って、社会的な身分の差は眼中にありませんでした。大切なのはその人の人格であり、 重んずべきは神に対する姿勢です。新島の時代から百年あまりも経ちましたが、私た ち今日のキリスト者が果たして、百年あまり前の新島以上に「人からの誉を受けるこ とはしない」姿勢に生きえているかどうか、問われていると思うのです。  パリサイ人たちは「人からの誉を受ける」ことを人生の最大目的としていましたけ れど、二千年後の私たちもあんがい、社会の中でパリサイ人に似た生活をしているこ とがあるのではないでしょうか。キリスト者であると言いつつも、内実は旧態然とし た「古き人」に留まっていることがあるのではないか。その根本原因はどこにあるか と申しますと、それは今朝の御言葉の42節に主が仰せになっているように、ただ神 のみを見上げているか、神を本当に信じているか、ということです。主はパリサイ人 たちに「あなたがたのうちには神を愛する愛がない」と言われました。同じことが、 私たちを「人からの誉」を求める者としてはいないでしょうか。  いくら熱心に人に仕えようとしても、その根本に「神を愛する愛」がなければ、そ れは「人からの誉を受ける」わざに終ってしまうのです。否、人に仕えることさえ、 単なる見せかけで、実は自分の誉れを求めているのが人間なのです。それで、裏切ら れたと言っては怒り、見返りがないと言っては失望し、理解されないと言っては不遇 を喞つことになるのです。その根本にあるものは「神を愛する愛がない」信仰の問題 なのに、それに気がつかず、ただ自分が冷遇されていると嘆くのです。ときに教会の 中にさえ、そのようなこの世の声が働くことがあります。「ただ神にのみ栄光を」と言 いつつも、求めているのは「人からの誉れ」だとしたら、それこそ私たちの「うちに は神を愛する愛がない」のです。  「神を愛する愛」のないところ、それは具体的に、どのようなところなのでしょう か。私たちはそのような生活をしないために、いま、どこに立つべきなのでしょうか。 それが、続く43節に示されています。「わたしは父の名によってきたのに、あなたが たはわたしを受け入れない」と、主イエスははっきりと言われます。「神を愛する愛」 のないところ、それは、父の名によって来たキリストを「受け入れない」ところなの です。逆に申しますなら、私たちがどんなに人間として弱く、失敗ばかりで、欠けの 多い者であっても、そこで私たちが、本当に偽りなくキリストを「受け入れる」(信ず る)者となるなら、もはや私たちはいかなる場合にも「人からの誉れ」を求める必要 はなくなるのです。それほどキリストにおいて、いっさいを満たされた群れとして生 きうる者とされているのです。  私たちの教会は「すべてのものを、すべてのものの内に満たしたもうお方が、満ち 満ちているところ」です。かつてパリサイ人であった青年サウロ(のちの使徒パウロ) は「主イエス・キリストを知る絶大な価値のゆえに」それまで自分にとって「誉れ」 であり「利益」であったいっさいのものを「ふん土のように」思うに至りました。そ れは、キリストの十字架の満ち溢れる恵みの前に、おのれの義など無に等しいことを 知りえた者の、新しい喜びと感謝の生活です。そこに、キリストの使徒パウロとして の新しい生活が始まったのです。もはや、おのれの義(誉れ)など求める必要が全く ないほどに、キリストによって満たされ、キリストの義に覆われた者の歩みを、私た ちもまた、歩む者とされているのです。  パウロは、ピリピ書3章17節に「兄弟たちよ。どうか、わたしにならう者となっ てほしい。また、あなたがたの模範にされているわたしたちにならって歩く人たちに、 目をとめなさい」と語っています。もともと「わたしに倣いなさい」という言葉は、 それこそ、おのれの「誉れ」を誇る者の言葉でした。ところが、パウロによってそれ は逆転しました。おのれの何物をも誇りえぬほどに、キリストの義に覆われて生きる 「わたしにならう者」になりなさいと、パウロは言うのです。そればかりではなく、 そのように、キリストに倣って「歩む人たちに、目をとめなさい」と言うのです。そ こにこそ、真に確かな人生の勇気と希望がある。そこにこそ、真に健やかな社会人と しての生活がある。そこにこそ、人間が人間でありうる唯一の道がある。神の誉れ(神 の愛と祝福)を現わして生きる者とされてゆくのです。  そこでこそ、主イエスは言われます。44節です。「互に誉を受けながら、ただひと りの神からの誉を求めようとしないあなたがたは、どうして信じることができようか」。 このことは実に、信仰生活の根幹をなす問題なのだと、主は言われるのです。もし私 たちが、教会の中でも外でも「互に(人からの)誉を受けながら、ただひとりの神か らの誉を求めようとしない」なら、そのとき、あなたがたの内に信仰の歩みはないと、 主は仰せになるのです。まことに厳しい御言葉です。 ここで注目すべきは「ただひとりの神からの誉」という言葉です。これは「ただお 一人の神から来る誉れ」とも訳せますし、または「唯一の神から来る、唯ひとつの誉 れ」とも訳せる言葉です。いずれにしても、この「誉れ」は唯一のものであって、他 と比較することなどできないほど素晴らしい、私たちを生かしめる祝福の生命なので す。私たちは、人から受ける虚しい誉れに満たさる必要がないほどに、それほどキリ ストの救いの恵みに満たされて生きる者たちなのです。  19世紀のイギリスに、マイケル・ファラデーという電気物理学者がいました。ベン ゼンの発見や、電磁誘導の法則、電気分解の法則(いわゆるファラデーの法則)を発 見した人です。「ロウソクの科学」という本で有名です。この人は経験なキリスト者で あり、どんなに忙しくても主日の礼拝を欠かさなかった人です。しかしある年の暮れ、 王立学士院(ローヤル・アカデミー)から、名誉会員に推挙されることになり、その 授与式が日曜日でした。ファラデーは牧師に無断で礼拝を休み、その授与式に出席し た。それを、教会の長老会は戒めました。ファラデーを長老会に呼んで、なぜあなた は「唯一の神からの誉れ」を受ける場である礼拝を無断で休んで「人からの誉れ」を 受けることを選んだのか、それを問題にしたのです。  この長老会の指導に対して、現代の私たちが、それは余りに厳しすぎるとか、形式 主義だとか、批判を持つことは簡単です。しかしファラデーは、この長老会の戒規に、 心からの悔改めをもって応えたのです。そしてそれからの生涯をますます忠実な礼拝 者として、喜びと感謝をもって生きぬいたのです。ファラデーは科学者としてのみな らず、なにより一人のキリスト者として、後世の模範たるべき姿を示したのでした。 私たちはファラデーの教会の厳しさを批判するより、その十分の一ほどの喜びをもっ て礼拝に生きえているか否かと、自問せねばなりません。「そんな厳しいことを言われ ては困る」という私たちではなく、「唯一の神よりの誉れ」を求める主の教会へと、い よいよ成長してゆく私たちでありたいのです。  使徒パウロは、テモテへ第二の手紙4章5節以下に、愛する弟子テモテに対して、 このように書き送っています。パウロの絶筆ともなった手紙です。「しかし、あなたは、 何事にも慎み、苦難を忍び、伝道者のわざをなし、自分の務を全うしなさい。わたし は、すでに自身を犠牲としてささげている。わたしが世を去るべき時はきた。わたし は戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした。今や、 義の冠がわたしを待っているばかりである。かの日には、公平な審判者である主が、 それを授けて下さるであろう。わたしばかりではなく、主の出現を心から待ち望んで いたすべての人にも授けて下さるであろう」。  さきほどもお読みしたピリピ書3章には「私たちの国籍は天にある」と語られ、主 が歴史において教会を完成されるその日、主は「わたしたちの卑しいからだを、ご自 身の栄光のからだと同じかたちに変えてくださる」と告げられていました。いまここ でも、パウロは「義の冠」という言葉で、キリストに贖われた全ての者が受けるべき 「唯一の神からの誉れ」をあらわしているのです。それは、やがて実現する主の約束 であるばかりでなく、私たちにいま、この教会において、豊かに与えられている恵み でもあるのです。私たちは、現在の信仰のあらゆる戦いの日々の中で、主の御身体で ある教会に結ばれることにより、すでにキリストの勝利の内に入れられている者たち なのです。 主は御自身の教会を愛され、その教会のために生命を献げて下さいました。私たち の罪のために十字架にかかられ、罪の唯一かつ永遠の贖いとなって下さったのです。 私たちはいま、このキリストの満ち溢れる救いの恵みに堅く結ばれています。主の栄 光の御身体の枝とされ、「義の冠」を与えられている私たちなのです。「悩みは、強く とも、み恵には、勝つをえじ」と讃美歌291番に歌われています、絶大な勝利の主の 御手に、守られ、導かれ、支えられて、私たちの日々の歩みが備えられていることを 感謝しつつ、「人からの誉れ」ではなく、「唯一の神からの誉れ」のみを現わす私たち となりたいと思います。