日本キリスト教団   葉山教会 240-0112 神奈川県
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Hayama Presbyterian Church

祈祷会「雅歌」講解3

中村健一牧師

雅歌1章5・6節

エルサレムの娘たちよ、わたしは黒いけれども美しい。ケダルの天幕のように、ソロモンのとばりのように。わたしが日に焼けているがために、日がわたしをみつめてはならない。わが母の子らは怒って、わたしにぶどう園を守らせた。しかし、わたしは自分のぶどう園を守らなかった。

「エルサレムの娘たち」とは、教会とそこに連なる私た ちであり、主イエス・キリストに贖われた者たちをさしています。「黒いけれども」とい うのは、労働をして日焼けをしたということで、健康な美しさであります。「ケダルの天幕」 とはソロモンの時代、黒い羊の毛でおおわれた真っ黒な天幕です。「見つめる」という言葉は 色が黒いことに驚くということです。主なる神に仕える私を見つめるまなざしが、あなたと同 じ主を見つめるまなざしへと変えられていくようにと、雅歌の詩人は歌っているのです。「自 分のぶどう園を守らなかった」というのは、母の声、つまり兄弟たちがぶどう園を守らせよう としたのに、私は自分のぶどう園の持ち場を守らなかった、ということです。これはいけない ことのように聞こえますが、そうではない。日焼けして彼女は美しいのですから。この教会の 民は、主に贖われた者たちは本当の美しさをもっている。では本当の持ち場で働かなかったな らば、どこで働いたのでしょう。それは、神のぶどう園です。自分の所有をささげてまで、神 の持ち場で働いた。御国のわざに仕えたのです。これが私たち、主の教会に連なる者たちの喜 びではないでしょうか。イエス・キリストを信じ、教会に連なる者、永遠のいのちに与る者と されて、日々の生活の中で、主なる神に本当に仕える者として、来たるべき主の御国において、 主なる神の御顔を仰ぎ「よき忠実なる僕よ、よくやった」と神からおほめの言葉をいただくよう に励み、教会生活を続けてまいりたいものです。